SP「香月比奈の暴走」
一周年記念人気キャラ投票第一位のスペシャルエピソードです。
また結果発表及びコメント返しを活動報告にて行いましたので、
よろしければそちらもどうぞ
「はい、出来たぞ」
「うわあ……美味しそう」
作った料理をテーブルに置く。比奈が目を爛々とさせてそれを見ていた。
終業式も終え、短い春休みに突入した俺達。今日比奈はオフということで少し遅れたホワイトデーを開催することにした。
ただチョコとかお菓子を返すだけじゃつまらないので、比奈を家に呼んで料理を食べてもらおうと考えた。しかも比奈がチョコに使用したというお酒を使った意作品を作ろうと思いついたのだった。
「良い匂いだね」
「あの料理酒を最大限活かせるものを作ったつもりだからな。中々美味しく仕上がったと思う」
それぞれの取り皿を設置して比奈の向かい側の席に座る。
「食べる前に再度確認するけど、こんなに量多くて本当に大丈夫なのか?」
「うん。カズ君の料理のためにお腹空かしてからきたから、ちょっと予想以上にお腹が減っちゃって……」
「……遠足が楽しみすぎて寝れない小学生みたいだな」
まあそれほど楽しみにしてくれてたってことだろう。あまり期待をかけられても返って恐縮しちゃうけどな。
「まあ、おかわりもできるからじゃんじゃん食べちゃってくれ。俺も一杯食べてくれた方が嬉しいし」
「けどやっぱちょっと恥ずかしいかな……」
巷ではたくさん飯を食べる女の子はネタ扱いされてたりするらしいけど、別に俺はそれを変に思ったりはしない。さっき言ったように自分が作ったものを食べてくれるのは普通に嬉しいし。それに幸せそうに食事する女の子って見ていて和むんだ。だから比奈よ、バケツに入れて食うぐらいの気持ちで来てくれて構わないぞ!
「気にするなって。それよりもほら、お腹空いてるんだろ? 冷めないうちに食べようぜ」
「そうだね。じゃあ、遠慮なく……いただきます」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふー……。あー、お腹いっぱい」
「美味しかったあ……」
宣言どおり比奈は結構食べた。流石に最後の方は箸の進みは遅くなってたけど、最初は俺と同じかそれ以上のペースでお腹に詰めてた。でも彼女が口に頬張り、笑顔で咀嚼する姿は作った身として純粋によかったと思えた。
「よし、のんびりする前にやることやっちゃうか」
空いた食器をまとめて台所に持っていこうとする。このまま比奈とのんびりするのもありだけど、自分はめんどくさい事を後回しにするとやらなくなってしまう性格なので先にやってしまうとする。
「あ、私も手伝うよ」
そして予想してた彼女の台詞である。
「いや、大丈夫。一応今日はホワイトデーという体だ。男が女に奉仕する日だ。だから比奈は何もしなくてオッケーだぞ。むしろ適当にくつろいでくれてた方が嬉しいかな。だからテレビでもつけて終わるの待っててくれ」
比奈対策はあらかじめバッチリだ。こういった言い回しをすれば分かったといって大人しく引っ込むはず。それに比奈は昨日仕事で一日働きづめで、素直に今日という休みを味わって欲しいという気持ちも本当だった。
「むー……」
比奈が寂しそうにむくれていたが「すぐ終わるから」と言って台所に向かう。
しかし彼女のあんな姿を見ることになろうとは……。やっぱり後回しでもよかったのかもしれない。
「うーむ、ちょっと寒いな」
台所にも暖房の風は来ているはずだが、エアコンから少し遠いところにあるため足元とかが少し冷える。ただでさえ結構古いエアコンだから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。
まあ、文句を言ってる暇があったらちゃっちゃと皿洗いを済ましてしまおう。
蛇口を捻って洗剤をスポンジにつけたところで背後から比奈がやってくる気配がした。
「気持ちは嬉しいけど、本当にいいってば」
「でもやっぱり悪いよ。家に上げてもらって、その上で料理も食べさせてもらって……。それにカズ君今寒いって」
「いやまあ言ったけども。でもそれとこれとは関係ないって」
「そんなことないよ。だから……私がカズ君を暖めてあげる」
何を、と発する前に比奈が後ろから抱き着いてくる。
「…………って、え?」
比奈が体をこれでもかと背中に密着させてくる。というか、肩甲骨近くあたりにその、他の場所とは明らかに硬さの違う何かが当たっているんですが。
後ろから回された彼女の手が俺の手の甲を掴む。さらに比奈の顔が俺の顔のすぐ横にあって……。
「ひ、ひひひ比奈さん? な、何をしていらっしゃるんですか?」
「カズ君のお手伝いだよ。何かおかしいかな?」
おかしいことしかないですよ!? え、何これ。どういう状況? どうして俺、比奈に後ろから抱きつかれてるの? どうして比奈さんの息遣いをこんな間近で感じているの?
「どうしたのカズ君。手が止まっちゃってるよ」
しかも心なしかその声と息遣いがとても色っぽい。
比奈が俺の手を動かそうとする。すると自然と彼女の体がさらに背中に押し付けられる。俺の足に彼女の足が絡んでくる。
ま、待て待て待て待て。本当に何だこれ。後ろにいるのは本物の比奈か? またお姉さんの変装だったりしないのか? いやいやそんなことがあるわけない。でも比奈がこんな誘うようなことするか!? つい先日の誘惑禁止条約はどこいった。でも比奈のことだからこの行為が誘惑行動だと認識していない可能性も十分ありえる。いやいやいや。ありえても彼女がこんな大胆なことするはずが――。
「ねえ……カズ君?」
耳元で名前を囁かれる。感じたことのないゾワっとした感情が流れる。
これは非常にまずい。何がやばいかどうかわからなくなってくるぐらいにやばい。ど、どうする? どうすればいい? 彼女の異変の原因はとりあえず置いといて、今はこの状況をどうにか脱しないと……!
「う、うおおおおおおおおお!」
俺は目まぐるしい速さで皿洗いを進めていく。審査員がいたなら、世界一早く皿洗いのできる男としてギネスブックに載れたことだろう。
「終わったぞー!」
「お疲れカズ君」
比奈は何事もなかったように体から離れ、小さく拍手を送ってくる。
「それじゃあリビングで一緒にテレビでも見ようよ」
「そうだな。その前に一旦お手洗いに行ってくるから、先に見てて」
次の行動に移る前に心を落ち着かせる必要があった。そのための尺稼ぎだ。
比奈の承諾を得るとトイレに向かって飛んでいったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
トイレに篭ってしばらく比奈の異変について考えてみたが、結局何も思いつかなかった。なのであの台所での出来事は幻とか儚い夢だったと考える。もしくは誰かに妙な入れ知恵を吹き込まれたか。この二つの仮説を立てて支持することにした。
「あ、カズ君。丁度今、私がテレビで映ってるよ」
リビングに戻ってくるといつもの調子でテレビを指差していた。
ああほらやっぱり。さっきのは何かの間違いだったんだ。きっと俺は欲求不満で、ちょっといけない妄想をしてそれが具現化したように勘違いしてしまったんだろう。
うん、比奈がおかしくなるより俺の頭がいかれたって考えた方がまだしっくりくる。
「どれどれ。お、これは」
その事実に安堵して彼女が映っているというテレビ画面を覗く。テレビの中の比奈は最近発売したニューシングルの曲を楽しげに踊りながら歌っている。
「普段の比奈も捨てがたいけど、こうしてアイドルアイドルしてる比奈もやっぱりいいな」
「そ、そんなこと堂々と言われると照れるよ……」
比奈の照れる姿を見たいから言うのです。
彼女の活躍をゆっくり見ようと比奈の隣に座る。
「…………ねえ、カズ君」
「ん? どした?」
テレビを見入っていると隣にいる生身の彼女がジト目でこちらを見ていた。俺、何かしたか? 黙って見てるのが悪かったのだろうか。
「どうして私の隣に座らないの?」
「え? 座ってるけど……」
「そうじゃなくてどうして少し離れて座ってるのって意味だよ」
確かに比奈とは十センチ程度離れて座ってる。けど何もおかしいことはないような。
「私達、本当の恋人同士なんだからもっと近づいてもいいはずだよね?」
「そ、そうかもしれないけど、だからってそんな……」
あまり密着されるとさっきみたいに気が気じゃなくなる。これぐらいの距離感が今の俺達には丁度いいと思ってるわけなんだけど。
「うー……ごちゃごちゃ言わない!」
「わ!?」
比奈に腕をとられ、無理矢理引っ張られる。
「な、な……比奈!?」
彼女は俺の右腕に抱きついてくる。右肩に彼女の顔が当たる。
「うん、こうしてる方が落ち着く」
比奈は猫のように顔をすりすりしてくる。その表情は至福に満ち溢れている。
「カズく~ん」
しかも俺の名を甘えるように呼び続けている。
いや……いやいやいや。ちょ、ちょっと待ってくれ。さっきの比奈は夢や幻じゃなかったのか。俺の妄想が現実になったとかそういうのじゃないのか?
たとえそうじゃなくて誰かに偏った知識を教え込まれていても流石にこんなことを実行するはずがない。というか普段の比奈ならちょっと大胆なことしたら顔を真っ赤にして躊躇いつつやるだろうに!
比奈は多分、俺がいかに混乱しているかに気づいてないのだろう。こうしてあれやこれやとパニくってる間に彼女はどんどん強く抱きついてくる。そうなると当然、さっきも味わった女性の身体的特徴であるお山が存在を主張してくるわけで。
だ、駄目だ。意識しちゃ駄目だ! とは言っても、純情な男子高校生がこんな刺激的なことから意識を外すことなんて出来るか!? 落ち着け、マジで落ち着け! 元気になるなよ、絶対なるなよ!?
とにかく何でもいいから他に気を紛らわせるものはないか!? 彼女にばれないように目だけキョロキョロ動かしてその対象を探す。そして視界に入ったのは前方にあるテレビ。
番組内では既に比奈の出番は終わっていて別の女性タレントが歌を歌っていた。しかもありがたいことに曲はバラード調。これに意識を集中させれば何とかなるのでは。
俺はもう、これでもかというくらい画面を凝視する。
「……カズ君?」
顔のすりすりをやめて名前を呼んでくる彼女。けれど今は、今だけは反応してはいけない……!
「……カズ君ってば」
ああ、いい曲だ。明るい曲の方が好きだけどしっとりした曲も嫌いじゃない。今度ツ○ヤで借りてこようかな。
「むー……カズ君こっち向いてよ!」
さっきまでゆさゆさと俺を揺さぶっていた比奈がついに爆発する。
突然体を前に押され反応が遅れた俺は床にあっけなく倒れる。天井が見えるはずの目線上に比奈がぬっと現れる。
「私という彼女がありながら、他の女の子をジーっと見ちゃって……」
「あ、えーっとその……」
これはいわゆる……嫉妬ってやつか? 比奈は不満げに頬をふくらませている。
「私といる時は私だけを見てよ!」
比奈が激昂する。
こういう時どうすればいいんだと助けを求めるように視線をさまよわせるとある物を見つける。それは今日の料理で使った料理酒の箱。料理用だからアルコールはほとんどないはずだ。だけど、俺に覆いかぶさってる彼女の姿はどう見ても……。
「お、怒ってる時にこんな質問もどうかと思うけど、まさか比奈、酔ってる……?」
「私が料理酒くらいで酔うわけなんかないもん!」
酔ってる! これ絶対酔ってる! 台詞が完全に酔ってる人のそれだ。しかも比奈がそんな語尾を用いたところなんて俺の知る限り一度もないはずだ。
「わ、悪かった。反省してる。だから俺の上からどいてくれないか?」
今の俺は比奈に押さえつけられてた。彼女の手の平が俺の手首を包んで放さない。
「……嫌だ」
「な、何で?」
「起き上がったらカズ君、他の女の子に目移りしちゃうから」
「大丈夫。俺が比奈以外の女の子に目移りすることなんてないからさ。だから……」
「信じられないよ!」
再び彼女は怒鳴る。
「だってカズ君は私以外の女の子にも優しいもの。それのせいでカズ君のこと好きな女の子だっていっぱいいるし。私はね、いつもは平気を装ってるけど、本当は常に不安なの。私以上に魅力的な女の子は周りにいっぱいいるから。いつカズ君が私の元から離れていってもおかしくないって。そんなの嫌だよ、私。わがままかもしれないけど……カズ君にはずっとずっと私のこと見ててほしい」
「比奈……」
彼女が紡いだ言葉は、普段の彼女はいつも隠し持っている本音なのだろうか。酔ってるからこうして暴露できたのであって、いつもはこんな不安を胸に抱いているのだろうか。
「……比奈のことを常に見てあげることはできないかもしれない。けど、俺はいつでも比奈のことを考えてる。君の事を第一に考えてる。だから安心してくれ。俺はお前以外の女の子をそういった目で見ることなんてありえないから」
臭い台詞をストレートに言うのはちょっと抵抗があったけど、彼女の素直な言葉には素直な気持ちで返すのが礼儀だろう。なので自分も嘘偽りない気持ちを彼女にぶつける。
「心配する必要なんてない。だからとりあえず腕を放してくれないか?」
「……嫌だ」
「……え?」
この流れって普通解放してくれるもんじゃないんですかね?
「カズ君のことは信頼するよ。でもね、他の女の子とかは置いといても、今この時だけは私のことをずっと見て欲しい。感じて欲しい」
比奈が熱のこもった瞳で俺を見つめてくる。
非常に嬉しい展開というか、正直心臓が飛び出るくらいバクバクいってるんですが、それと同じくらい理性が警告している。これ……相当やばい状況じゃ……。
「カズ君……」
比奈がゆっくりと顔を近づけてくる。どうしてか彼女の唇はとても艶やかだ。
「ま、待て比奈! 俺達はキス以上のことはなしって!」
「言わなきゃばれないよ」
「そうかもしれませんが、あれは付き合う上での契約といいますか」
「据え膳食わぬは男の恥だよ?」
「むしろ食われかけてるんですが!?」
力づくで脱出しようと足掻くが、彼女の拘束からは抜け出せない。
「逃げようと考えるのは無駄だよ? 身を守るために護身術みたいのもやってたから、人を押さえたりするのには自信があるんだ」
「ここで新たなアイドル的設定使います!?」
でも彼女の言うとおり腕には力が入らない。足の方も絶妙に動かすことのできないような固め方をされている。
俺に出来る抵抗は顔を横に逸らすことぐらいだ。
「大丈夫だよカズ君。私が手取り足取り教えてあげる。優しくするから心配しないで」
何をするつもりですか貴女は!?
そのツッコミすらしてる余裕はもうなくなっていた。彼女の顔が今まで一番の至近距離にある。彼女の息が頬をくすぐる。彼女の艶やかな唇から漏れ出る「カズ君」の呼び名が官能的だ。
ああ、全国の香月比奈ファンの皆様ごめんなさい。約束、守れそうにありません。理性を抑えなきゃいけないのは俺の方じゃなくて比奈の方でした。まさか襲われることになるなんて私もビックリです。もう黙って大人の階段を上ることにします。……もう本当にだめぽ。
もうどうにでもなれ、という気持ちで目を瞑る。自分の口にいつ何がぶつかるか心構えながら……。
「…………ん?」
それからしばらく待っても何も起こらない。恐る恐る片目だけ開ける。
「うーん……カズくーん……」
「寝てる……」
比奈はそのままの姿勢で目を閉じていた。
彼女を起こさないように細心の注意を払いながら彼女の下から脱出する。そしてものすごい姿勢で寝る彼女を持ち上げてソファに横にする。
「あの流れで寝るとは……流石芸能人。神経が図太いとかそんなレベルじゃないな」
お陰で助かったわけだが。助かった……のだけど。
「………………もったいなかったよなあ、くそお」
少し残念に感じるのもまた事実だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おーい、カズくーん!」
後日。あれから比奈は元の比奈に戻った。痴女の彼女も捨てがたいがやっぱりこっちの健気で献身的な方が落ち着く。
ちなみにあの日の出来事を彼女は記憶してないようである。
「そういえばこの前作ってもらったあの料理……すごく美味しかったよ。だからまた今度作ってくれたりしないかな……?」
「絶対に駄目だ!」
そして俺は彼女に料理酒を使った料理だけは提供しないと心に誓ったのだった。
……まあ、その、俺達がもっと大人になったら話は別だけどね。