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四話「バレンタインデーパニック(前編)」

 無駄に早く起きてしまった。カーテンを開けて朝の日差しをまだぎこちない体に目一杯当てながら体を伸ばす。



「う~ん、いい天気だ」



 ここまで爽快な寝起きも滅多にない。それに加え、今日そのものが重要イベントの発生する日なので嫌でもテンションが上がってくる。翌日の遠足が楽しみで寝付けない時のテンションに近いものがある。

 

 今日は二月十四日の月曜日。週始めはいつも憂鬱だが今日は違う。何故なら本日はバレンタインデーだからだ。女の子が意中の相手にチョコを贈る日。

 去年までだったら直弘と共にチョコを貰うリア充達を横目にクラスの女子の義理チョコを謹んで食べていただろう。だが今年は違う。こんな俺にもついに人生初彼女が出来たのだ。しかもお相手は国民的アイドル。彼女からチョコ……しかも本命が貰えると分かっていて浮き上がらない男なぞいるものか。

 

 徐々に調子が出てきたところで携帯が震える。見ると丁度比奈からメールがきたところだった。



『おはよう、カズ君。仕事が終わり次第学校に行くから、チョコはそれまで楽しみに待っててね。で、でも私手作りとかあまりしたことないから、味とかは期待しすぎないでね! 多分、昼休みの中頃に着くと思うから、また後でね!』



 なんて文面だった。



「比奈らしい内容だな」



 手作りとかあまりしたことない? いやいや、上等だ。味? 俺は別に美味さなぞ求めていない。ただ彼女の数少ない手作りチョコ。それだけでプレミアものの価値がある。



「ふふふ……ふはははははは!」



 もう完全に舞い上がっております。

 

 昼休みが楽しすぎて人前では見せられないような笑いを繰り返していると、インターホンが鳴らされる。朝っぱらから何だろう。

 誰が来ているかテレビモニターで確認する。宅配業者だった。



「朝早くすいません。お荷物をお届けにきました」


「いえいえ、そちらこそ朝早くからご苦労様です」



 伝票に受領印を押す。



「それで、お届け物なんですけど……お早めにどうにかするのがいいと思います」



 お兄さんはそんなことを言い残してトラックの荷台へと走っていく。どういう意味だろう。一体何が送られてきたんだ……?

 戻ってきたお兄さんが抱えていたのは人間サイズの発砲スチロールの箱だった。何だこれ、と驚いている間に彼は玄関にそれを置いていく。



「それでは確かに届けましたんで!」



 お兄さんは逃げるように去っていってしまった。


 玄関には大きな発泡スチロールの箱が横たわっている。中身が凄く気になるがまずは渡された伝票で差出人を確認する。可愛らしい文字で『三条沙良』と書かれている。



「…………」



 品名には『チョコレート』と書かれている。今日はバレンタインデーだから、チョコを贈ってきたのは納得がいくが、こんな特大サイズを贈りつけるって……。

 覚悟を決めて箱を開ける。中には大きな布がかぶさっていて、肝心なチョコを拝むことはできなった。だけど布の上には一枚の紙が乗っかっていた。どうやら沙良からのメッセージらしい。

 メッセージは一旦しまっておいて布を取ることを決意する。手の平でつかんで思い切り布を引っ張ったその先には。



「……お、俺がいる!?」



 正確にはチョコで作られた俺だ。自分で言っておいてなんだが意味がわからない。でも目の前にあるのはチョコで作られた自分自身の姿。しかも発泡スチロールの長さを考えると、自分の身長と変わらない。つまり、等身大高城和晃チョコということだろう。



「…………」



 規格外のそれにショックを隠せない。目の前の現実から逃げるように手に持った沙良のメッセージに目を通す。



『アキ君へ。日本ではバレンタインのようですね。僭越ですが、私もその文化に則って手作りのチョコを贈らせていただくことにしました。多分、その大きさに驚いたと思います。ですが、私がどれだけアキ君を想っているかを証明するためにはこれしかなかったんです。私はいまや多忙の身。少ないプライベートの時間を全て使って完成させました。私の想いの集大成です。たとえ全て食べてくれなくても美味しく頂いてくれたなら私は十分です。それではアキ君、これからも体調には気をつけて下さい。次に会える日を楽しみにしています。愛しの三条沙良より』



 沙良の愛が重い。物理的にも重い。



「あいつ……なんてものを贈ってきやがる……」



 これを全て食せというのか。無理だ。たとえどんな甘党でもこれを完食するのは不可能だろう。しかも姿形は自分自身……かつてこんなカニバリズムが存在しただろうか。

 メッセージを見る限り、食べてくれればそれでいいみたいだしそうするべきだろうか。とりあえずこのサイズだと冷蔵庫に入らないから、朝食代わりに食すしかなさそうだけど……。



 ――少ないプライベートの時間を全て使って完成させました。



 可愛らしい見た目の手紙に書かれたその一文が目に入る。

 確かにこれを食べきるのはきつい。けれど沙良は俺のために一生懸命作ってくれた。これだけのサイズとなるととても大掛かりで時間も相当かかっただろう。あいつの懸命な気持ちを無視して、食べれなかった分を捨てるなんてことできるだろうか。



「……そんなの俺にできるわけないだろ」



 ――ああ、そうだ。簡単なことだ。ただ食せばいい。別に、アレを全て食べても構わんのだろう?



「やってやるさ。あいつの気持ちを全部受け取ってやる! そのために……(おとこ)、高城和晃いきます!!」

 


◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 今にも吐きそうだった。尋常じゃないほどの胸焼けが俺を襲っている。

 沙良から贈られてきたチョコ自体はとても美味しかった。どんなチョコを使っているかは分からないけど、かなり高価なものを使用しているのだけは間違いなかった。

 

 余裕があったのは最初だけだった。後に鬼門になると判断した顔部分を食べきったあたりで胸焼けが始まった。しかしそれでもサイズの問題で冷蔵庫に入らないと判断し、続行を決意。何度もお茶を間に飲みながら上半身部分を食べ終えた。その時は変わらぬ味、継続する甘さにまいっていた。流石にこれ以上は無理だと思い、分割して後で食べようと思ったのだが……ここで投げ出したら、見ただけで嫌になって二度と食わなくなる。そんな未来が容易に思い浮かんだ。それだけは回避せねばならない。俺は死力を尽くして朝だけであのチョコを胃に収めることに成功したのだった。



「その代償はでかかったけどな……」


「朝から何でそんなうんざりした顔をしてるんだお前は?」



 教室に着くと直弘が不思議な顔して話しかけてきた。



「朝から色々と大変でな。まだ八時半か。一日って長い」


「一体何があったんだ……。でも和晃にとって悪い日ではないだろう? なんたってあの香月から本命がもらえるんだから」



 ああ、そういえばそうだった。朝食がクライマックス過ぎてどこか遠くに来てしまったようだった。



「で、直弘はどうして手にゲームを持ってる?」


「ふ、よくぞ聞いてくれた。どうせ俺に本命はこない。ならば擬似的に楽しもうと思ってな。俺は二次元の嫁から今日を祝ってもらうんだ!」



 やけくそ気味なのか、いつも以上に熱が入ってる。でも今は直弘の愛する二次元に自分も逃げ込みたいとさえ思い始めていた。



「あ、高城君」



 クラスの女子の一人がこちらに寄ってくる。



「これ、クラスの皆に配ってるの。高城君は香月さんの分も食べなくちゃいけないし、小さいのでもいいよね?」



 彼女はそう言って手に持つタッパーから一口サイズの丸いチョコを差し出してくる。

 それを見た瞬間、頭の中に映像がフラッシュバックする。



 ――削られていく茶色い自分の姿。

 ――締め付けられるような胸の苦しさ。

 ――舌の上にいつまでも残る甘味。

 ――いつまで経っても減らないチョコ。

 ――飲み込むことさえかなわくなってくる塊。



「や、やめろ……」


「え?」



 俺は立ち上がり、その小さな悪魔から距離を取る。



「高城君? どうしたの?」



 彼女はそれを持ったまま近づいてくる。



「や、やめてくれ。俺に近づくなあああああああああああ!」


「高城君!?」



 身を翻して全速力で教室から出て行く。逃げないと、逃げないと逃げないと! 

 自分の教室から離れた所で足を止める。しかし鼻腔には息と共に悪魔の甘ったるい匂いも入ってくる。それだけで胸焼けが再発し、気分がどんよりしてくる。

 ここも危険だ。移動した方がいい。そう解釈して人気の少ないところに移動するが――



「しょ、祥平君のために作ったわけじゃないからね!」


「それは最初から分かってるけど」


「え、いや、その……」


「朝練で少し動いたからちょっと小腹が空いてるんだ。ここで食べていいか?」



 そんな会話を繰り広げる後輩二人にばったりと出くわした。



「た、高城先輩!? どうしてここに!?」


「あ、すまん。今回ばかりは悪気があったわけじゃ……」



 驚く二人の片方の手に目がいく。祥平が手に持っていたそれは。



「チョコだあああああ! いやああああああああああ!」


『先輩!?』



 おいおい、俺はチョコを避けるためにここに移動したんだぞ。それがどうしてこんなことに……。

 昇降口から出て、校舎裏を目指す。流石にそこには誰もいなかった。



「くそ、どこ行ってもチョコばかりだ……!」



 でも当然か。ただでさえ学校には至るところに恋の火種がある。それとは別に義理チョコなんてものもあるし。二月十四日の学校はチョコの宝庫だ。それが存在しない場所を探り当てる方が遥かに難しいだろう。



「というか、俺、チョコそのものにトラウマを感じてるのか」



 朝のあれは地獄のメニューに加えても違和感がないような苦行だったし。

 今にして思えばこれは罠だったんじゃないかと思う。沙良は俺の性格を見抜いているだろうし、最初から計算されていたとしてもおかしいことは何もない。

 これは彼女の妨害工作という考え。愛ゆえに作られた賜物。他のチョコを牽制させるための代物だった可能性がある。

 沙良が考えていることが手に取るように浮かんでくる。



* * * * * * * * * * *



「ふふ、これでアキ君はチョコに恐怖を感じるようになって、全てのチョコを拒絶するようになるでしょう。こうすればアキ君のバレンタインは私の独占です。うふふふふふふふ」


「……なあ、沙良君って俗に言うヤンデレってやつなのか?」



* * * * * * * * * * *



 ……今、沙良どころか彼女の隣にいるはずの親父の言葉まで連想できてしまった。このままだと女性不信になりかねない。


 とりあえず何とか気分は落ち着いてきた。だが、問題はこの後だ。今の状態で校舎に戻るのは危険すぎる。調子が悪いと理由を付けて家で大人しくするべきじゃないか。そうでもしないとあの茶色い悪魔から逃げることは出来ないし。

 でも、他人に余計な心配はかけたくない。特に比奈には。比奈はわざわざ俺のためにチョコを作ってくれて、律儀にメールまで送ってくる始末。彼女こそ、俺がチョコを食べてくれることを期待してるはずだ。なのに体調が優れないなんて言ったら、彼女の厚意が無駄になる。それだけは天地がひっくり返っても阻止せねばならない。


 朝のチャイムが鳴り、HRの時間が訪れる。

 比奈が学校に君臨するのは昼休みの中頃といっていた。時間にしておよそ四時間。それまでの辛抱だ。それに脅威に晒されるのは授業間の休み時間のみ。そう考えると合計で一時間もない。

 たったの一時間。それさえ凌げれば、愛する彼女のチョコとご対面することができる。きっと、彼女のチョコも見れば朝のトラウマが蘇るのだろうけど、それでも彼氏として食せねばならない。



「上等だ! 駆逐してやる……この世から……一粒……残らず!!」



 ――二月十四日。こうして独りの男の壮絶な戦いが幕を開けた。





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