EX「久保田久志」
<side Hisashi>
「それじゃあ俺は行くよ。こいつもじっとしてちゃあつまらないだろうし」
「ああ、分かった。……色々とありがとな」
「どういたしまして」
愛犬の散歩中、偶然出会ったカズに別れを告げる。
カズの姿が見えなくなり、そこからさらに十分な距離を空けて携帯を取り出す。数回のコール音のあと、中里さんの携帯に繋がる。
「もしもし」
『……もしもし。……久保田君が電話をかけるなんて珍しい。どうかした?』
「香月さんがドラマのヒロインに抜擢されたのは覚えてるよね? そのドラマの撮影が商店街の先の水上公園で行われてたから皆に伝えようと思って」
いつもの散歩コースに水上公園が入ってる。いつもより人影が多かったからどうしたのかと近寄ってみたら香月さんの姿がチラッと見えた。他にもメディアを通して見た事のある人物がチラホラいて、ドラマの撮影をしていることに気づいたわけだ。
『……なるほど。でも今日は予定があるから見に行けない』
「……そっか。残念だ」
最後に簡単な挨拶をして電話を切る。
皆に伝えようと思っただなんて嘘だ。カズと遭遇さえしなければ嘘じゃなくなってたかもしれないけど……。
俺はこの後カズが導き出す答えを予測してこのことを中里さんに伝えた。中里さんなら彼のことを叱咤してでも送り出すと思うから。
好きな人を傷つけると分かっていて俺はこの行動を選択した。なんて狡猾で卑劣な人間なんだろう。
「……俺ってやっぱずるいやつだよな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
俺の容姿はどうやら良いらしい。自分ではそんなこと意識したこともないし、だから何だという気持ちの方が大きかったけど。それでも周囲から、かっこいいだの秀麗だの、顔が整ってるだのと言われれば多少は嬉しい気持ちもある。
ただこの賞賛も素直に聞けたのも小学生の頃までだ。
小学生の高学年にもなると段々と第一印象の重要さが際立っていった。俺は特に何かしたわけでもないのに女子の方から話しかけてきて、大体の男子も好意的に接してくれた。
何か問題事が発生しても「久保田君がそんなことするわけないじゃない」「久志がやるなんて考えられない」と真っ先に犯人候補から外される。そして悪いことはしていなく、俺みたいに普通に過ごしている他の人――特に第一印象であまりいい印象をもたれないような生徒――が犯人の肩代わりにされる。
特に中学生に上がるとさらに顕著になる。
見た目が悪く、弱々しい態度を取ってるからと勝手な理由で苛めに走る荒い気性のクラスメイト。
苛められている生徒は俺と何も変わらない。普通に話して、波を立てないように生きている。なのに彼は目を付けられ苦しい日々を送っている。
俺はどうだ。ただ座っているだけで、指名されて教科書を読むだけで羨望の眼差しで見られ、体育で適当に動いているだけで高評価をもらえる。
俺と彼らの違いは何だろうか。何も変わらないはずなのに。外見が少し違うだけで同じような接し方をしても他者との関係はこんなにも優劣がついてしまうのか。
そして俺は気づいた。自分は人生を楽に生きていける人間なのだと。日々を幸せにするために努力をしなくても勝手に幸せになる人間なのだと。
捻くれた考え方だったがただ少し笑うだけで皆が皆寄ってきてくれる。黄色い声援をしてくれる。本気を出す必要がない。それっぽく頑張ればそれ以上の評価がついてくる、と。
歪んだ真実を知った俺は色々なことをそれなりにやって、崎ヶ原高校に入学した。
ここでも過ごし方や待遇は何も変わらなかった。気がつけば俺にとって有利な方に流れていく。ただほんの少しの笑みを浮かべていればそれでいい。
崎ヶ原高校では年に何回か球技大会がある。一年の二学期終わりにも球技大会が開催された。外でするのは寒くて嫌だったので俺は体育館で行われるバレーボールを選んだ。
期末テストも終わり、テスト返し期間中の午後の授業は球技大会の練習時間に割り当てられる。その日も体育館で他のクラスと練習試合をやっていた。
「あ、やべ!」
チームメイトが相手のスパイクを何とかレシーブで返す。が、ボールは大きく円を描いてコートから出てしまった。浮いたボールに一番近いのは俺だった。更に言えば、飛び込みさえすればボールにはきっと手が届く。俺がどうにかしてボールを拾えれば誰かが繋げてくれるかもしれない。
けれど自分は飛ばなかった。何のことはない、冷たい床に飛び込んだら痛いからだ。ここで頑張る必要なんてない。何か言われても、また笑ってごめんって言えば許してくれるさ。
ボールはコートの外に出て落ちる。ポイントが相手に一ポイント入る。敵チームは喜びながら互いの掌をぶつけあっている。そうやって喜べるのも俺のお陰だ。感謝しろよ。
結局ゲームは俺達のチームが負けた。表面ではチームメイトと同じように悔しかったよ、なんて言いながら教室に戻った。
それから練習時間が終わり、放課後となった。部活に行く者、球技大会に練習するために残る者。色々いたがいつもどおり帰ることにした。カバンを持って教室を出ようとすると一人の男に止められた。
「久志、今日はもう帰るのか?」
その男は同じバレーボールのチームメイトの一人、高城和晃だ。彼の印象は俺からしてもそんなに悪くなく、普段の学校生活でもそれなりに話している。
「うん。カズは残って練習するの?」
「少しだけな。バレーはあんまやったことないからちょっとでも上達しないとなって思って」
熱心なことだ。何かご褒美が出るわけじゃあるまいし、たかが球技大会にそんな頑張る必要なんてないのに。
「そうなんだ。凄いなあカズは」
適当に話を切っておさらばしようとする。
「それじゃあ、俺はこの辺で――」
「あ、ちょっと待った。一つ聞きたいことあるんだけど、いいか?」
「……? 別に構わないけど」
「久志ってバレーボール嫌いなのか?」
こいつは急に何を言い出すんだ。
「いや、別に……。何で?」
「今日の練習試合で忠岡がレシーブ受けたボールあっただろ? 久志が飛べば届くと思ったんだけど……」
「待った。それと俺がバレーボール嫌いなの関係なくない?」
「……その時、久志はピクリとも動かなかっただろ? 普通なら反応して体が動くはず。何か最初から取る気なかったのかなって思って。それに終始めんどくさいなって雰囲気醸し出してるし……あんまりバレー好きじゃないのかなあと」
「――――」
彼は申し訳なさそうに視線を逸らしながら頬をかく。
そして俺はカズの言葉に衝撃を受けていた。どうしてバレた。どうして俺の本心が分かった。誰も見抜けなかった俺の気持ちを……。
「別におかしいことじゃないだろ? 本当に熱心なら放課後残ってるし。俺自身そんなに運動得意ってわけじゃないからさ。バレーには好きも嫌いもないよ」
内心バクバクしていた。自分が手を抜いていることがバレていることに。心が見透かされているような気分で目の前の男に恐怖と怒りを感じていた。
「んー、そんなもんか?」
「そんなもんだよ。確かに本気で取り組んでいるといったら嘘になるけど、手は抜いちゃいない」
口から出た言葉は真っ赤な嘘だ。
「……そうか。何か悪かったな。変なことに口出しちゃって」
「構わないさ。それに俺は逆に聞きたいんだけど、どうしてカズはいつも真剣なんだい?」
それは俺なりのカウンターのつもりだった。
カズはたかが球技大会なのに、それの予行練習だというのにいつも本気で取り組んでいる。その気迫はただの行事を超えて全国大会を狙うバレー部そのものというほどに。
「そんなの決まってる。――楽しいからさ」
「……は?」
彼は照れ隠しをするように笑う。
「何事も本気でやるのって楽しいだろ? たかが行事に何本気になってんだって感じかもしれないけどさ、逆にいえば頂点を狙う必要もないんだ。部活やってる時みたいに変に大会で上位を獲るとか、全国大会を狙うとか、そういう責任やらプレッシャーなんていらないだろ? 何のしがらみもなしで全力でするのって楽でこの上なく楽しいんだ。少なくとも俺はな」
カズの言うことは道理に適ってるかもしれない。けれど、けれど――
「なあ、久志。手抜いてばっかじゃ人生つまらないぞ。たまには本気出してみなって。爽快だぞ」
彼は二カっと笑う。彼の言葉と笑顔に考えていた反論や言い訳がどこかに吹き飛んだ。
「呼び止めて悪かった。じゃあな、久志。また明日」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そんな一幕もありながらも球技大会当日を迎える。この日の対戦相手は以前練習試合でぶつかったクラスだ。カズが敵チームの一人に向かって「直弘勝負だー!」なんて叫んでいる。
審判の笛に合わせてゲームが始まる。それぞれの実力はほぼ拮抗。点を取り、取られ、取り返し、また取られ……それを幾度も繰り返し、三セット目を迎える。ここでもポイントは同等でマッチポイントに突入。先制点をゲットしあと一点取れば勝ちという場面になる。
相手のサーブをリベロが拾い、セッターであるカズがボールをトスし、前衛のレフトがスパイクを決める。球は何とかブロックを抜けるが後ろにいた男子が腕にボールを当て失点を防ぐ。そのメガネをかけた男子が不適に笑うのを見逃さなかった。
攻撃権があちらに周り、素早いトスとスパイクをしてくる。見事なコンビネーションだ。俺達のクラスは態勢をすぐに立て直せず――リベロが何とかボールを受けるが、球はあらぬ方向へ飛んでいく。ボールはコート外へと円を描いて落ちていく。
このシチュエーションは……この前の試合と同じだ。俺が飛べば繋げられるかもしれないという状況。僅かに違うのは、俺が飛び込んでも間に合うかどうかの瀬戸際ということ。あれは無理だ。諦めよう。ここで点を取られても敗北が決まるわけではないし。
――本気出してみなって。
友人の言葉が脳内に響くと同時に俺は飛び出していた。自分でも気づかぬままに。落ちてくるボールに必死に腕を伸ばし、
「届けええええええええええ!!」
叫ぶ。体が床に投げ出される。とても痛い。痛覚が体を支配してボールがどうなったのかがわからない。
「――ナイスだ、久志」
起き上がるとボールを相手のコートに叩き込んでいるカズが視界に入った。床に強くボールがぶつかる音がする。その数瞬後、審判の笛がなり、俺達のチームの勝ちが宣言される。
「よっしゃー勝った!」
「どうだ見たかこらー!」
チームメイトがはしゃぐ声が聞こえる。女子達がキャーキャー喜んでいる姿が見える。
「ナイスアシスト!」
いまだ床に座り込んでいる俺に肩が回される。誰かと思えば満面の笑みを浮かべたカズだった。
「はは、がむしゃらだったけど、届いたんだね」
「おおよ! やっと本気出したんだな。どうだった?」
考える。
「……悪くない」
「ならよかった」
彼の言葉を聞いた瞬間、一種の達成感みたいのが湧き上がってくる。今までに感じたことのない高揚感。それはとても爽快な気分だ。
「――カズは」
「ん?」
「凄いやつだな」
「いや、俺は別に……」
「和晃ー! 久志ー!」
他のクラスメイトが俺達に駆け寄ってくる。俺達二人を中心に囲まれ、ぎゅうぎゅうに押し込まれるが、悪い気分はしない。
「お前ら最高だ!」
「よく飛び込んだ! そんでよく決めた!」
「冷や冷やしたぞー!」
俺はこの時久しぶりに心の底からの笑顔を浮かべたと思う。いつもの表面だけの笑顔じゃない、本当の笑顔……。
それ以来、俺はカズと過ごす時間を増やすようにした。彼と過ごしていれば本当の自分を解放できるかもしれない。楽しくなれるかもしれない。きっとある種の尊敬を抱いていた。
二年生でもカズと同じ教室になり、敵チームだった直弘ともよく絡むようになった。他にも菊池さんや中里さん、アイドルの香月さんとも仲良くなって。彼と過ごせば過ごすほど周囲に溶け込めていったような気がする。同時にどんどん畏敬の念も増していった。
そして――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
雪が降っていた。コートにかかるそれは中々水にならない。これは明日積もるかもしれない。
「……ここにいたんだね」
俺が訪れたのは住宅街の中にある小さな公園。
一旦家に帰ってから街中を探してようやく彼女を見つけた。
彼女は泣いていた。俺の登場により急いで目をこするが、目元は赤く腫れている。
「……どうして久保田君がここに」
「君を――中里さんを探していたんだ」
公園に足を踏み入れ、彼女の前に立つ。
「……まさかあなた、分かってやったの?」
「何がだい?」
「……こうなることを。分かっていて、私に比奈の居場所を教えたの?」
「ああ。絶対って程の確信じゃないけどね」
「……久保田君のこと見下げた。最低」
「うん、俺は最低でずるいやつだ」
ははは、と苦笑する。
「……どうして私にこんなことをしたの」
「中里さんのことが好きだからだ」
中里さんが顔を上げる。俺は内心を読まれないように、今まで磨いてきた表面の笑顔を崩さない。
「……それは意外。じゃあ何、久保田君は好きな女の子を弄ぶようなドS?」
「残念だけどそんな性癖は持ってないかな。ただ傷ついてる女の子は狙い目だってよくいうしね」
「……最低。ずるい」
ジト目で見られる。
「……言っておくけど、私は心の隙間をつけ込まれても落ちたりしない。だから残念ね」
「そんなのははなから承知さ」
「……意味がわからない。分かっていて、どうして……?」
「俺が君に惚れたところは一途なところだ。たとえ何があっても君はカズのことを信じ、応援していたね? その気持ちの強さに惚れたんだ」
彼女は強い。カズが初めて公開恋愛なんかを始める時、中里さんはそれはそれは焦っていたが、同時にカズのやることを信じていた。それからも香月さんという突如現れたライバルにも物怖じせずに、自分を見失わずにカズに好意を抱き続けた。その強さに心を打たれたんだと思う。
「中里さんは一回フラれたぐらいで、カズが誰かと付き合ったぐらいで諦めきれる女の子じゃないでしょ?」
「……悔しいけど、正解。私は最後の最後まで抗う」
「うん、それでこそ中里さんらしいや。それでも構わない。今はただ俺が君の事を好きだって知ってくれればそれでいい。カズが中里さんに落とされるか、俺が中里さんを落とすか……。どっちが先か。これはもう恋というより勝負だね」
「……久保田君って意外と変人」
好きな人から変人の異名を貰ってしまった。でも彼女は微かに笑っていた。さっきまでの泣き顔なんかよりはよっぽど綺麗だ。
「……でもどうしてあなたはこんなことを? こういうことする印象なかったのに」
「俺も素直にならないと駄目かなと思って」
俺はカズに素直になれ、と言った。なのに俺が素直にならないなんてそんなの卑怯だ。
「俺ももう自分の気持ちは隠さないよ。ただ傍観して気持ちを押し隠すのはもう十分だ。俺も逃げない。自分に正直になるよ。そしてこれからは周りから押し付けられた幸せじゃない、自分で掴み取った幸せを、人生を満喫するんだ」
自然と笑みが浮かぶ。中里さんもそれにつられるかのように微笑する。
「……久保田君、今まで一番いい笑顔してる」
「ありがとう。嬉しいよ」
カズだけじゃない。俺も続こう。止まっていた関係を進めよう。
俺は仮面を取り外す。ただの善人から、狡猾で卑劣な人間になってやろう。
俺、久保田久志は――ずるい人間だ。
こんなお話が100部でいいんでしょうか(困惑)