九話「彼女がアイドルになった理由」
悪い流れは止まらなかった。
あれからいくつか香月さんと仕事をしたが、全て失敗に終わった。何とかしようと焦って空回りすることもあれば、偶発的なミスが起こったり、俺や香月さんそのものが失敗を起こしたりと、とにかく世界が俺たちの「成功」を許さないようだった。
公開恋愛が始まってから二週間。最初の一週間は失敗を重ねてもまだ次がある状態だったが、二週目からどんどん仕事が減っていった。とはいっても二人でやる仕事の話のみで香月さん単体の方はどうなってるかわからないが……。
今日も公開恋愛の仕事はない。世間の目もあるし、気持ちを入れ替えるためにもゆっくり休むつもりだった。が、その日来た一通のメールが予定を変更させた。
「またここに来ることになるとは」
立っているのは初デートの昼食で訪れた店である。
中に入るとメールを寄越した本人である香月比奈の姿が目に入った。
「あ、高城君。こっちこっち」
香月さんが手で招いてくる。
「あれ、メガネかけるの?」
「これ? 一応、変装。芸能人だってばれないように」
招かれた席に手をかけながら尋ねる。
香月さんはメガネをかけていた。知的な女性といった感じが醸し出されている。
そういえば初めて彼女を見たときサングラスをかけていたなとか思いつつ、気になっていたことを訊ねる。
「それで……急にどうしたんだ? よりにもよってここに呼ぶって……」
悪気はないが、この前のデートを考えるとあまりいい感じはしない。
「この前は味わう余裕とかなかったよね。だから今度こそしっかり味わって欲しいなって。ここがいいお店っていうのは本当なんだから」
彼女はニコッと笑う。
「……そっか。じゃあ香月さんのお薦めメニューを頼もうかな」
「あ、その香月さんっていうのだけど、別にこういったオフでも下の名前で呼んでもらって大丈夫だよ」
「でも、まだ恥ずかしいんだよ。何というかむずがゆいんだ」
「私もその気持ちわかるよ。高城君のことカズ君って呼ぶ度にむずがゆい気持ちになってるもん」
「香月さんもなんだ。あ、あと俺のこともそっちの方が呼びやすいなら呼んでいいから」
「私も恥ずかしくて日常的にはまだ無理かな……」
名前のことで盛り上がっているとウエイトレスが注文を取りに来る。一旦話を中断して料理を頼む。俺は香月さんお薦めのパスタを頼んだ。
「それにしても香月さんに食事に誘われるとは思わなかったよ」
注文を終えるとそうして会話を切り出した。
「……迷惑だったかな?」
「いやいやそんなことない! 夏休みで特にやることもなくて、だらだらしてただけだし。むしろありがたいよ。だけど香月さんって夏休みは特に忙しいって聞いてたから」
香月比奈は現役の高校生だ。普段は出来る限り学生活動を優先するようにしているとマネージャーさんから聞いていた。その代わりこういった長期休みは仕事をバンバン入れているとも。
「……本当は今日一日仕事のはずだったんだけど、キャンセルになっちゃったんだよね」
ばつが悪そうな顔で彼女は言う。
それってやっぱりここ最近の失敗続きが原因なんだろうな。
「あ、でもこうして高城君と会えるし別に悪くは思ってないよ。むしろ普通の女の子として本当にで、デートしてるみたいでさ」
照れを隠すためか彼女はえへへと笑う。
普通の女子として、か。その言葉で疑問が湧いた。
何故彼女は……普通の女の子とは違う、特別な女の子になろうとしたのかと。
「なあ、香月さんがアイドルになった理由、聞いていいかな?」
「いいけど、でも急にどうして?」
「いやさ、こうしてれば君は普通の女の子じゃないか。けれどアイドルになるってことはその普通の女の子じゃなくなるわけで、それに……今みたいに世間から悪い目で見られることも想定できたんじゃないかって思って。それなのにどうしてアイドルを目指したのか興味が湧いて」
本来なら彼女は普通の女子高校生として青春を謳歌しているはずだ。
「うーん……理由って言っても大したものじゃないよ? つまらない話になるけど、いい?」
「うん、構わない。ぜひお願いします」
「ならえっと……どこから話すべきなのかな」
彼女は逡巡してから語り始める。
「……小さい頃の私は内向的で大人しい子だったの。そのせいで中々友達も出来なくて。少し年が離れた上のお姉ちゃんがいるんだけど、お姉ちゃんは私と違って明るくて、子供の時はいつもお姉ちゃんについて行ってたんだ」
香月さんに姉がいるのを初めて知った。
「けどそれは小学校に上がるまでで、小学生になってからは学年も違うしクラスも離れるしで一人だった。相変わらず友達は出来なくて。その日もいつものように一人で家に帰って、テレビを点けたの。そしたら画面には――アイドルが映ったの」
彼女は懐かしそうに嬉々として話す。
「当時流行りのアイドルでね、恥ずかしがり屋なのに昔から歌や踊りは好きだったから、画面の中のアイドルの姿に目を奪われたんだ。それからそのアイドルに憧れるようになって、彼女のことを色々調べたり、彼女の歌やダンスを練習したの。で、学校の女の子達が丁度そのアイドルのことで話してて、勇気を出して輪に加わってみたんだ。そうしたら学校で初めて友達が出来た」
「そのアイドルがきっかけになったわけか」
「うん! 友達を作るきっかけになるなんて、アイドルって凄い、といつしか私は思ってて。こうして見知らぬところで力になってあげることが私にも出来たら――そんな想いをきっかけに私はアイドルになりたいって思ったの」
「なるほど」
アイドルになることで救われる、喜んでくれる。そういった人がいるから彼女は「普通」とは違う道を選んだのだ。彼女自身はたいしたことないと思っているようだが、こういった風に考え、実現するって凄いことじゃなかろうか?
「その後どうなったんだ?」
「お母さんに頼み込んでアイドルの養成所に通うようになったの。そこでの練習は大変だったよ。歌やダンスは勿論、笑顔の練習とかもしたなあ」
彼女が自然な笑顔を出せるのはそのお陰だろうか。
「実は私、一回だけ複数人のアイドルグループでデビューしたことがあるの。ただ、人気が出なくてすぐにこけて。しかも一緒に活動してた女の子達の仲も徐々に悪くなっていった。それが原因で辞めた子も一人いたし……。もう駄目かなとかその時は思ったけど、それでもレッスンを続けて。そしたら今の事務所に目を付けられたんだ」
彼女がこんなにも苦労していたとは。成り行きで今現在の人気アイドルになれたとばかり考えてた。
「じゃあその事務所に目を付けられたのが転機になったってことか」
「その通り。単独でデビューしたら瞬く間に波に乗って……自分で言うのも何だけど、憧れてた人気アイドルになれたんだ」
そう言った彼女は本当に嬉しそうだった。
苦労を乗り越えて小さい時からの夢を叶えたのだ。その喜びや嬉しさは伊達じゃないだろう。
「そうして出来たのが今の私。香月比奈なんだ」
彼女は言い切った。
「でも最近忙しすぎてね。憧れのアイドルってこんななのかってちょっと幻想が崩れたりもしたけど、やっぱり楽しいよこの仕事」
「……そっか」
夢をかなえた少女の笑顔は俺には眩し過ぎた。
思わず顔を逸らしてしまう。
「じゃあ現状に対して香月さんはどう思ってるんだ? 酷な質問かもしれないけど……」
代わりに質問する。悪い流れが続く今、彼女は本当はどう思っているのか知りたかった。
「……こういうことが起きるかもしれないって当然言われてたし、考えてもいたよ。実際起きたら気合で乗り切ろうとか思ってたりもしたけど……実際に起こっちゃうと、どうしようもないね。正直、悔しい。私はもっとこの仕事をしたい。このまま夢を終わらせたくない」
「……ああ」
これが香月比奈の本音だ。悔しいと彼女は言った。
彼女の話を聞いてる最中に沸々と湧き上がってきた思いが形作られていく。
「ご注文の品です」
丁度いいタイミングでウエイトレスが料理を運んでくる。
「あ、きたきた。食べよ」
「そうだな。お腹減った」
彼女がお薦めしたパスタはとても美味しかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
香月さんと二人で食事を取った数日後。
俺はマネージャーさんに一人呼び出しをくらっていた。
「何ですか、話って」
「そのことだけどね。公開恋愛はもう終わりよ」
「え?」
突然で何を言ってるか理解できなかった。
「ここのところあまりいい成果が出なくて、比奈の仕事がどんどん減っていってるの。それで公開恋愛についての仕事は今日で全部なくなったわ」
「なくなったって、まだいくつかあったはずじゃ?」
「全部キャンセルになったわ」
マネージャーさんは悲しそうな顔で言う。
「香月さんはこのことを聞いてるんですか?」
「いえまだよ。今やってる仕事が終わったら言うわ」
「そう……ですか」
「高城君、あなたに謝らないといけないわね」
「謝る? どうしてですか?」
「短い期間だったとはいえ、メディアを通して顔出ししてるし、比奈の彼氏という立場上、色々な人に悪意を向けられたでしょう? 世間的にもマイナスイメージがついてるかもしれないわ。公開恋愛を採用した私の責任だわ。……本当にごめんなさい」
マネージャーさんは深々と頭を下げる。突然の行為に少し焦る。
「頭を上げてください。謝る必要なんてないです。俺が望んでやったことなんですから」
「例えあなたが許してもそれは駄目なのよ。私はこうしないと気が済まないわ……」
彼女は心の底から非礼を詫びているようだった。
こうして頭を下げられると今までの事を否定されているようで悲しかった。
「……なら、謝るのはやめて聞かせてください」
「何でも聞いていいわよ」
「この『公開恋愛』は失敗でしたか?」
「……ええ」
「この失敗とスキャンダルを抱えたままだとこれから香月さんはどうなりますか?」
「そうね……最終的には完全に仕事がなくなるでしょうね。アイドル活動は終わりになると思うわ……」
「そうですか」
どんどん元気がなくなっていくマネージャーさんを見るのは辛かった。
だがマネージャーさんからそのことを聞き出したことで、俺の決意は固まった。
「その一端を担わせた責任もあるわ。だから――」
「いえ、マネージャーさん。やっぱり謝罪なんて必要ないです」
拳をぐっと握り締める。これからしようとすることはとんでもないことかもしれない。けど、彼女の想いを聞いてこのまま何もしないというのは嫌だった。
「どうしても謝罪したいというなら、その代わり時間と場所を下さい」
「時間と場所?」
「はい。準備も必要なんで、一日猶予をください」
「……高城君、あなた何を考えてるの?」
「公開恋愛と同じですよ」
マネージャーさんが首を傾げる。
「一か八かの、荒唐無稽な案です」
※文中に養成所の話がありますが、笑顔の練習なんてものが実際にあるのかどうかわかりません。あくまでフィクションと考えていただけるとありがたいです。