第6話 有砂の過去
今日も愛華は休んでいた。どうやら愛華は、ちまたで流行りの新型インフルエンザにかかってしまったようだ。そういえば、最近うちのクラスでもマスクを着用している人を多く見かける。私も気をつけなくっちゃね。
「おはよう、柏森さん」
「あ…霧島くん」
今日も寒いね、と何気ない会話を投げかけてくる。昨日あんな風に告白されちゃって、喋りにくいかなーと思ってたけど、そんなことはないみたい。
「次、理科室だよ」
「うん」
さっきは大丈夫かなって思ったけど、いざ二人となったらやっぱり緊張する。長い足を
スッスッと出して真っ直ぐに歩く霧島くんの一歩後ろを、私はうつむきながら行く。
昨日あれから考えた。ちゃんと清也の気持ちを聞こうって、私は決めた。もちろんとても不安で怖いけど、私が動かなくちゃ何も始まらないと思う。今日はちゃんと清也と話さなきゃ。
その時、ふと霧島くんが足を止めた。
「霧島くん…?どうかしたの?」
「うん。あのさ」
「…うん」
「俺、マジで好きだよ」
えっ!?と、唐突にダイタンなこと言う人だなぁ!!!霧島くんってば……
「う、うん?」
「どうして俺なんかがって、思ったでしょ?」
「へっ?」
振り返って、ちょっと照れくさそうに笑う霧島くん。初めてこんな霧島くんの表情を見た。新鮮だ。いつも大人びた雰囲気で、落ち着いている霧島くんだけど、こんな顔もするんだ。
「うん…そうかも」
素直に感情を出した霧島くんに、私も素直に答えた。
「じゃあ、ちゃんと話したいから、話すね」
私はすこしばかり緊張してうなずいた。
「俺が、初めて柏森さんを見たのは、入学式の前日だったかな――」
――午前6時と朝早く。上靴を買いに近くの24時間営業のスーパーへ行った霧島くん。お目当てのサイズが見つかり、それを購入した。その日は中学の時の友達と遊びに行く約束をしていて、早めに家に帰りたかった霧島くんは小走りしていた。すると、2重になっている出口の自動ドアの1重目と2重目の間のところに、少女がボーっと立っていた。邪魔だなぁと思いながら、一つ目のドアをくぐった時、
(えっ!?な、泣いてる…)
その子は泣いていた。そう、それがこの私、柏森有砂と霧島くんとの出会いだった。。
泣いている私を見て、霧島くんは焦った。
「だ、大丈夫?どうかしたの?」
「……っ…っ、っ…」
霧島くんの声は私には聞こえておらず、ずっと泣いている。ふと霧島くんは私の手にお供え用の花が握られていることに気がついた。
(悲しい…のか)
でも、何と声をかけてあげればいいのかも分からなくて、霧島くんは泣いている私を困った顔で見つめていた。
すると、私はいきなり泣くのをやめた。
「ど、どうした?」
きいてみたが、返事がない。おそるおそる私の顔をのぞき込んでみると…
「くかー…くかー…」
私は目を閉じて立ったまま寝ていたそうだ。
(寝てるし…)
スーパーの外にはベンチがあったので、霧島くんはそこへ私を誘導してくれた。眠ってたのに、自分でそこまで歩けたらしい。
ベンチに着くと私は、寝ながらまた泣いていた。
「…そんなに辛いことがあったのか」
何だか放っておけなくて、霧島くんは爆睡しながら泣いている私の隣に腰かけた。するといきなり私が霧島くんの肩によりかかってきた(注意:私は眠っています。本当です)らしい。
「ちょっ、き、君?」
「……お父さん…」
「…え?」
「うっ…っ…お母さん…」
「………」
私は泣きながらそうつぶやき、それっきり寝言は言わずにぐっすり眠ったそうな――
「――それで、俺、この子がどんな思いで泣いてるのかは分かんないけど…この子のことを守ってやれたらいいのにって思ったんだ」
「そうだったんだ…」
知らなかった…ってか、そのこと全然覚えてないな。スーパーにお供えの花を買いに行ってから…スーパーのベンチで目覚めて、何で私こんなとこで寝てるのっ!?ってパニックになったことは覚えてるけど。そうだったのか。
「学生だとは思ってたけど、まさか同じ学校の同じ学年だとはね」
「すごい偶然だね」
うん、と霧島くんは短く言った。
「クラスの中で柏森さんを見つけた時には、もう恋におちてた」
「…そっか」
「俺たぶん他の誰よりも、柏森さんのこと好きだと思う」
霧島くんは、いつでも真っ直ぐに私の目を見て、真っ直ぐに言葉を伝えてくれる。本当に私のことを想ってくれてるんだろうなぁ…。
「俺と付き合ってほしい」
「えっ!え、えっと…」
どうしよう。戸惑った私の様子を見て、霧島くんは「あ、ごめん」と言った。
「いきなりこんなことばっか言って…。返事はいつでもいいから」
「う、うん」
私がそう答えると、彼はニコリと微笑んで再び歩き始めた。
どぉーすればいいんだろー…。
理科室での授業中、私は霧島くんへの返事のことで頭がいっぱいだった。
霧島くんの話を聞いて、霧島くんがこんなにも私のことを想ってくれていると言うことに気づかされた。きっと、すごく…。霧島くんの一途な想いは、私の心を大きく揺さぶった。
私は清也のことが好きだ。とってもとっても大好きだ。ずっと隣に居られたらいいな、と思うし、どうしようもないくらいに愛おしい。そして、恋している少年少女なら誰でも、その相手のことをそう想うだろう。きっと、霧島くんも同じ。私が清也を想うのと同じ想いを抱いているんだろう。
そう考えると、私の胸はチクチク痛んできた。
霧島くんは私が好きで、私は清也が好き。そして清也は……
「有砂」
「のわあぁっ!?」
いきなり清也に名前を呼ばれて、ビビる。
「んな、なに?」
「これ…持っててください」
清也は私に透明な液体の入ったビーカーを手渡す。どうやら、私が頭の中でグルグル考えごとをしている間に、授業は実験タイムに入っていたようだ。私は清也とペアで実験をすることになってるのかな?ってか何の実験してるんだ?そしてこの液体は何だ?
キョロキョロしている私をよそに、清也は着々と実験を進めていく。
…何の実験してるのかくらい、教えてくれてもいいのに。
私は無表情な清也の横顔を見つめながら、また考え始めた。
最近清也はなんだか冷たい気がする。清也と仲良くなり始めた頃よりも。あの時…私と霧島くんとの保健室であった出来事が原因なのかな。でも、それならどうして気を悪くしちゃったんだろう。あの時、清也はあの現場をどんなふうにとらえたんだろうか――
「有砂!」
「へっ?」
しまった!ボーっと考えごとをしていた私は、清也の声で我に返ったが、その時には手に持っていたビーカーの中身の結構な量を、実験台にこぼしてしまっていた。こぼれた液体はジュワジュワと音をたて、異臭を放っている。
「わっ、ご、ごめん!!」
慌てる私。清也は冷静に雑巾で液体を拭き取っている。
「ごめん、清也!私がやるよ!!」
しかし清也は無言で液体を全部拭き取って、雑巾を水でよく洗い、またさっさと実験を始めてしまった。
「……」
私は何もすることが出来なくて、黙ってじっとその場に立っていた。
理科室の出来事で完全にヘコんでしまった私は、今日は意気消沈してしまった。
放課後。誰もいない教室の自分の席から、窓ガラス越しに見える夕焼け空を眺める。今日の空の色は切ない橙色。
こんな時に愛華がいたらなぁ…。「大丈夫だよ!次があるから、ね!!」とか言って私に元気をくれるんだろう。私にとって、愛華はそれほどまでに大きな存在となっていた。その人の存在の大きさは、その人がいなくなって初めて気がつくのだ、とどこかの偉い人が言っていた。「いなくなって」じゃないけど、まさにその通りだと私は思った。
けれど、その心配役は、愛華の代わりに霧島くんがやってくれた。
「柏森さん、元気ないね」
いつの間にか教室に入ってきていた霧島くんは、私の前の机に腰掛けた。
「うん…そんなことないよ」
「どっちが本音?」
霧島くんは、ハハハっと冗談ぽく笑った。私は苦笑いしか出来ない。
「もしかして…返事のことで元気ない?」
形の良いまゆ毛をちょびっと下げて、心配そうな顔をする霧島くん。私はううん、とかぶりを振った。
「ごめんね、心配させちゃって。違うよ。そのことじゃない」
「そっか」
だけど霧島くんは、悩ましげな顔をしている。たっぷり間を置いた後に、彼はつぶやいた。
「両親のことで…とか?」
「えっ……親?」
うん、と真剣な顔でうなずく霧島くん。
「前々から気になってたんだ。柏森さん、両親のことで何か悩みがあるんじゃないかって」
ドクドクと心臓が速く鳴る。
実際に、今元気がないこととは関係はないけど、あの日――遅刻しそうになった朝に見た嫌な夢は、頭の中のどこかに引っかかっていた。
「友達とかと話してる時も、親の話になると言葉をにごしてる」
「……」
「俺、本当に心配なんだ。柏森さんが時々暗い顔をしてるのとか見ると、心臓の奥が痛くなる。…俺で良かったら話きくよ」
「……」
怖い。やめて。これ以上私の過去に近付かないで。私に過去を思い出させないで。
だって私が、私が、私が……
ブルブルと身体が勝手に震えだした。胸が苦しい。
「…っ……」
「有砂」
霧島くんは震える私の身体をしっかり抱きしめた。霧島くんの温もりがこんこんと伝わってくる。あったかい。
どうしてだか、だんだん涙がわきあがってきた。ポロポロしずくをこぼしながら、霧島くんに抱きしめられたまま、私は話した。
「私が…」
「……」
「私がお父さんを殺しちゃったの」
あの悪夢のとおりに、私達家族4人は沖縄旅行の帰りに交通事故にあった。
原因は、相手の飲酒運転だった。
幸いにも、私となぎさと母は軽傷ですんだ。でも、父はそうは行かなかった。
救急車で近くの総合病院に運ばれてすぐ、父は静かに息をひきとった。
母はずっと父の遺体のそばを離れなかった。私となぎさは廊下から、安置室についていたガラス窓越しに中の様子をうかがっていた。遺体の隣にひざまずいて手をしっかりと握っている母。母は泣いていた。しばらく経って落ち着くと、自分の小指を父の小指に絡ませて透き通るような声で歌った。
『ゆびきりげんまん うそついたら はりせんぼん のます ゆびきった』――
「そっか…」
「……」
母はあの後から、気の病にかかって家事をすることはおろか、まともに話しをすることさえできなくなってしまった。今でもずっと病院の一室にいる。共働きの両親が働けなくなって、お金のことに不自由になるかと思ったら、そうでもなかった。父と母はなかなか有名で売れっ子なまじない師だったので、本なんかも出版していた。まじない師にまじないをかけてもらえなくなった人々は、多くその本を購入していった。その印税と親戚のサポートのおかげで、私となぎさは困難なく暮らしてこれた。こんな生活を始めて、もう8年も経つのか。
「そんな辛い過去を背負ってたんだね」
霧島くんは私の頭を優しくなでてくれた。私は父のことを思い出した。昔、よくこうしてお父さんに頭をなでてもらっていた。
「……お父さんはもういないの。…私が…」
「違う」
抱きしめられた私の耳元で、霧島くんの低い声が響く。
「それは違う」
「何が違うの?何も違わないじゃん!!」
私は霧島くんから離れた。
「私が沖縄旅行に行こうなんて言わなかったら、お父さんはまだ生きてたんだよ!?私がお父さんを…お父さんを…」
「有砂」
「私がお父さんを殺したの!!!」
「ちがうっ!!!!!」
ついに、霧島くんが大声を出した。私は目を点にして、霧島くんを見つめる。
「有砂のお父さんが亡くなったのは、有砂のせいなんかじゃないだろ!?」
「……」
「人が生まれたり、生きたり、死んだりするのは全部運命なんだよ!!!」
霧島くんが怒っている。こんなに感情的な霧島くん、初めて見たかも。突然霧島くんに怒鳴られて、私はちょっとビックリした。目からは再び、涙がこぼれ始めた。
泣き虫で弱虫な私を、霧島くんはもう一度優しく抱きしめる。
「…泣かないで、柏森さん」
「うん…うん…」
そう言いながらも、涙は次から次へとこぼれ出る。分かってるよ。
「自分自身を責めることはないんだよ」
「うん…うん…」
どうしてだろう、涙が止まらないよ。
私は臆病だった。過去を思い出すのが怖くて、恐ろしくて、苦しかった。だから、私は自分の中で知らないうちに自動的に記憶を削除していた。思い出さないように。忘れ去るために。でもそれは無理なことだった。見えない罪悪感は私の後ろにピッタリとくっついている。過去を無かったことにしようなんて、あさはかな考えだ。そう、臆病者の私は自分自身の運命から逃げ出そうとばかりして、目の前にあることから目をそらしてばかりだった。
霧島くんのおかげで、私はようやく自分の人生と向き合うことができた。
「………」
涙と一緒に色んな感情が流れ出る。悲しい、苦しい、辛い……。マイナスの感情は涙に溶け交じって、しょっぱくなる。私の心の奥底に居座っていた『罪の意識』は、霧島くんの優しさと愛情と温かさによって、いとも簡単に消えて行った。まるで無駄にたくさん背負っていた荷物を下ろしたときのように、心がすごく軽い。
私が少し落ち着いたのを確認した霧島くんは、そっと私の手を取った。
「柏森さん、約束して。もう一人で悩みを抱えないって。自分を責めないって…ね?」
前に愛華にも同じようなこと言われたなぁ。結局私は、あれから何も変わってなかったってわけか。
私は、今度こそ、という決意をもって一つうなずいた。霧島くんはホッとしたように小さな笑みをこぼすと
「では、お母さんにならって」
小指を差し出すように私の前に持ってきた。
『ゆびきりげんまん うそついたら はりせんぼん のーます ゆびきった』
心地の良い歌声が閑散としていた教室に響き渡った。切ない橙の光が夕闇へと少しずつ落ちてゆく。
「…霧島くん」
「ん、何?」
私は霧島くんの真似をして、真っ直ぐに霧島くんの目を見ながら言った。
「ありがとう」
霧島くんは一瞬、驚いたような顔をしたけど、いつものように微笑んで「どういたしまして」と言った。