表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
竜石の一日
37/38

9.法務局長、調達人見習いを訪ねる

アシェルの前に、再び差し出された夢見の竜石。竜法院が動き、一級祈祷師の言葉が迫る。

 頭の中が真っ白になって棟内に駆け込んだものの、背後からイブライの笑い声が聞こえ、からかわれたのだとすぐに分かった。夕暮時の薄暗い玄関口でアシェルは頬を膨らませたが、薬師が思った以上に回復している事に満足して、笑顔が戻る。

 初めて行った竜法院、竜石が巻き起した出来事、元締の驚きの連続の過去と、今日の様々な出来事を思い起こしながら自室への階段を上った。裏庭関係の使用人は殆どが大部屋住まいなのだが、アシェルの場合、小さいながらも個室が与えられている。出先の仕事が多いので無駄と思えるものの、やはり給仕長直属となると待遇が違うようだ。

 階段を上ったすぐの扉に鍵を入れて、部屋の中に入る。扉を後ろ手で閉め、狭い室内に目を向けた途端、身を固くした。カーテン越しの夕陽の中に、浮かぶ黒い人影。一脚しかない椅子に腰掛けていた影が、おもむろに立ち上がって声をかけた。

「やあ、おかえり。ずいぶん待たされたよ」目が慣れるにつれ見えて来た穏やかな笑みが、親しげに語りかける。「タニヤザールのところにでも寄って来たのかな?」

「だ……誰です?」

 誰何する若者に、相手は両腕を広げて軽く頭を下げた。

「これは済まない。是非とも君に会いたくて、失礼とも思ったが勝手に入らせて頂いた」

 膝までの房付きのガウンを着た中肉中背の男が、ゆっくりとこちらに歩み寄りながら、右手を差し出す。

「はじめまして。フィアズリという者だ」

 名乗られたところで、正体が知れない事は変わりがない。警戒を解かない若者の前に、右手を差し出したまま、穏やかな声が続く。

「竜法院法務局長と言えば、分かるだろうか?」

 あ、という形にアシェルの口が開き、相手が満足そうに頷いた。怪しさは余計に増したものの、その身分がタニヤザール級であるからには非礼もできない。第一、純白のガウンはまごうかたなき一級の祈祷師を示している。アシェルは恐る恐る、差し出されていた右手を握った。

「は、はじめまして、局長閣下。おれ……あ、私は……」

「もちろん知っている。シーリアのアシェル」緩やかに握り返された手に、急に力が込められ、若者の体をぐいっと引き寄せる。「――エルシャロンで竜の呪いを解いた“竜殺し”」

 その言葉と共に、細められた目の奥が光った。若者の青い瞳が捕らわれたかのように、一杯に見開かれる。

 来訪者は体を開くと、力を緩めた手を引きながら、アシェルを小さなテーブルへと誘った。見覚えのある箱がその上にあったが、直ぐに相手の目に視線を引き戻され、逸らす事ができない。フィアズリは眼差しで若者を捉えたまま、離した手を箱蓋の掛け金へと伸ばした。

「エルシャロンでの出来事の報告はあったが、竜石の加工を工芸部が受けたとは知らなかった」掛け金が小さな音を立てて外され、蓋がゆっくり上がる。「縦割りの管轄で、我が竜法院が一枚岩で無いことは実に嘆かわしい」

 暮れなずむ陽が、現れた竜石を鈍く照らす。そこで漸く法務局長は、視線を若者から箱へと落とした。

「“竜殺し”とその竜石」呟いて、くすんだ石の表面を指先で辿る。「君は今日、竜法院の祈祷師達に、何が起こったのか知らないだろう。あれは……」

 暫く言葉が途絶えた。指先を竜石から石を縁取る金の曲線へと移し、続けられる低い声。

「……起こってはならないことだ」

 しかし、と若者に目を戻す。

「原因をはっきりさせねばならん」

 彼が何をさせようとしているのかは、明らかだった。アシェルは小さく首を振り後退りしたが、扉へ身を返す寸前、局長の口から鋭く言葉が放たれる。

「シーリアのアシェル!」

 体が瞬時に動かなくなり、再び眼差しの虜となる。

「これに触れなさい」

 意志とは別に足が動いた。必死に抵抗をするも、ゆっくりと歩を刻んでテーブルの傍に立つ。今度は右手が上がりだした。何とか止めようと歯を食いしばり、震える若者を見つめていたフィアズリが、更に言葉を刻む。


「触れろ」


 右手がするりと伸びて、竜石の上に置かれた。

 たちまち光の点る竜石。今回の反応は早かった。石中の粒子の渦は、いくらも経たないうちに外へ噴き上がり、部屋一杯に荒れ狂った。

 覚悟はしていたが、竜石からの光の濁流は再びアシェルの体内へも流れ込み、その思う所と離れて体を支配する。

 流れがもたらすものは、叫びだ。――イディンに満ちているあらゆる叫び。

 喜び、悲しみ、怒り。

 そこで流された涙のことごとくが、彼の体を通して溢れ出て来る。

 痛みが、苦しみが怒涛のように押し寄せ、体を鞭打つ。

 その混乱の中で、必死に己の保とうとしていたアシェルの耳に、深い喘ぎが届いた。涙越しの視線を向けると、フィアズリが顔を苦しそうに歪ませ、見習いと同じく体を震わせている。見開かれた目が怒りに燃え、竜石から若者へと移された。懐に入れた手が、白刃を引き抜き、振り上げられる。

 アシェルは叫びを絞り出すと、渾身の力でもう一方の手で竜石を掴み、後ろへ倒れ込んだ。

 それを短剣が、軌跡を描いて追ってくる。

 瞬間、黒い影が目の前を覆い、固い金属音が響いた。続いて激しくぶつかり合う物音があがり、頭の脇にテーブルが倒れて来る。重い靴底が床を踏み鳴らし、鋭い息と殴打の乾いた音、金属を打つ響きが光の奔流の向こうから上がる。

 霞む目が捉えたのは、イブライと見た事もない獣人との戦いだった。双方短剣を手に、相手は局長を、薬師は見習いを背にして構えている。互いに隙を狙い、幾度目かの剣戟に飛びかかろうとした時、フィアズリの声が上がった。


「止めろ」


 まるで時間が止まったように、二人の男の体が固まる。同時に部屋中を渦巻いていた光の粒子も、吸い込まれるように竜石に収まり、若者は縛り付ける力から解放された。竜石から手が離れ、深く息をついて節々の痛む体を起こす。彫像のような二人の男の向こうに、局長が窓辺のカーテンに身を押し付けていた。

「……竜石も収まってしまったか」

 ゆらゆらと頭を揺らしながら呟く彼に、アシェルは眉を寄せた。

「……なぜ?」

 薄い笑みが返る。

「言ったはずだ……起こってはならない」目を落とした顔が強張る。「今は、まだ……」

「俺が触れなければ、起こらない!」

 若者が厳しい声を上げたので、フィアズリは再び彼に視線を向けた。

「あなたが……俺達が手を出すことではない!」

「『俺達』?」男の目が不服そうに眇められる。「お前と私が同じとでも?」

「その髪は同じでしょう!」

 アシェルの青い瞳が険しい光を放った。フィアズリの白髪混じりの黒髪の左脇には、暁色に輝く一房が走っている。彼は暫く唇を震わせていたが、それを押し込むかのように低く呻いた。

「これを……持って帰ってください。俺が触れない限り、あれは起こらない」床の竜石を示したアシェルの眼差しが、再び上げられ祈祷師を捉えて射抜く。「けれど、忘れてはならないことだ」

 それから若者は身動きできずにいる男達に歩み寄り、各々の手から短剣を抜き取った。

「もう、戦うことはない……大丈夫です」

 深い長い息と共に、彼らの見えない枷が外れた。

「ナハシュ」

 局長が呼ぶと、大柄な獣人が振り返る。

「その竜石を拾ってくれ……帰るぞ」

 頷いた彼は、薬師と若者にちらりと視線を走らせ、テーブルの陰に落ちた竜石と箱とを拾い上げた。逞しい筋肉を湛えた全身を薄く白い毛が被い、黒い筋の隈取りが、虎族であることを物語っている。フィアズリは、まだ警戒を解かない薬師に目を向けた。

「確か君は国王の給仕だったはずだが……ベルガと戦える人間が、竜騎士以外にいるとは驚きだ」

「そいつはアジャールだ」

 竜石を収めた箱を祈祷師に手渡しながら、獣人が口をきいた。

「よく抑えているが、さすがに戦う時は隠せない」緑の目が細められる。「……匂う」

 イブライの頬がぴくりと動いたが、無言のままだった。喉奥で笑う局長。

「タニヤザールの周りは、とんでもない者ばかりだな。もっとも、私も彼の事は言えんが」

 首をすくめた祈祷師は獣人を連れて戸口に向かい、出がけに振り返った。

「お前がこの竜石に触れないとの保証は?」

「意味がありません」

 微笑みと共に短く返され、フィアズリは小さく溜め息をついた。

「お前にとっては、その程度のことか……」

「ただし、忘れなければです」

 静かだが重い再びの警告に、しばし祈祷師が若者へ目を留める。が、やがて首を振ると身を返し、彼らの後ろで扉が閉じられた。

 窓辺へ寄って外を窺うと、二つの影が裏庭を横切って行く。厨房は夕食時の忙しさで多くの者が行き来していたが、誰一人その存在に気づく様子が無い。まるで見えない者のように、彼らは王宮の奥の闇へと消えて行った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ