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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
竜石の一日
36/38

8.アシェル、二組の抱擁を見る

王宮に戻った若者の見た抱擁二つ。一つは微笑ましくも、後の一つは想像がつかない。

 帰宅時間なのだろう、何台もの王宮からの馬車と擦れ違う。軽馬車は王宮の正門への坂道を上っていった。

「それで、竜と対決する決心がついたんですね」

 アシェルは大きく溜息をついた。あの夢見の竜との邂逅は、三人にとって過去だけでなく、行くべき道をも思い出させたのである。旅の始めと終わりとで、変わった事のいかに大きい事か。

 ふと、眉を寄せて御者を窺う。

「……それから、奥方様がどうなったか訊いていいですか?」

「もう訊いてるじゃないか」苦笑したカラックは肩をすくめた。「かまわんさ――しばらくは俺に対してぎこちなかったが、ま、仕方ないな。でも出産も無事にすんだら、すっかり落ち着いて、それまで以上にうまくいったさ」

「へえ、それは良かったです」大団円の語りに満足げに頷いた所で、見習いはあれっと首を傾げた。「……ええと、つまり、給仕長には、もう一人お子さんがいるってことになりますけど?」

「おう、言ってなかったか? さっきも邸の窓から、ちらちら覗いていただろ……さて、着いたぞ」

 彼らの軽馬車が、王宮正面口前の広い馬車止まりに入って行く。今まで話に夢中なっていたアシェルは、そこでようやく、到着場所が自分の予想とは違う事に気付いた。

「ああ! 裏門じゃないじゃないですか!」

「こっちの方が近いんだからいいじゃないか。どこから入ろうが、王宮職員の鑑札を持っていれば同じだろ?」及び腰の見習いの腕をとり、引きずるように降ろすと、ヴァルドはずんずんと王宮の入り口へ向う。「まったく変な所で小心者なんだからな。田舎騎士に向かった度胸はどこに……」

「おや、カラック」折しも大玄関から出て来た、丈高い人物から声がかかる。「アシェルも一緒か。そう言えば、今日は竜法院に竜石を取りに行く日だったな」

 いつになく定刻で仕事が終わった給仕長タニヤザールは、二人の元に歩み寄った。

「よう、お疲れさん」

 カラックは片手を上げて挨拶すると、腕を掴んでる見習いを引き寄せた。

「どうせ休みだからと、今まで邸で駄弁っていたんだ。で、送ってきた」顎で背後の軽馬車を示す。「そちらは、もう上がりかい? こんなに早いのは珍しいな」

「たまにはこういう事もあるさ。お前も、あれで帰るのなら、私も一緒に乗せていけ」

 ヴァルドの答えも待たずに、給仕長が付き人の持ったカバンを受け取り、送迎車はいらないと伝える。

「アシェル。竜石については、明日報告を聞こう」

 礼装の裾を翻してさっさと進む後ろ姿に目をやり、カラックは小さく笑うと見習いの背をどやしつけた。

「ま、そういうことだから、こっから先は自分でねぐらに帰るんだな。今更、おっきい兄ちゃんの助けがいる年でないだろ?」若者の膨れる頬をつまんで、軽馬車の御者脇に乗ろうとするタニヤザールを振り返る。「父上。そこでは乗り心地が悪くて、腰を痛めますよ」

 馬車の踏み棒に置かれた給仕長の脚が、ピタリと止まった。その首がゆっくり回って、肩越しに覗いた銀の目が見開かれている。

「お前……今、何と言った……?」

 ヴァルドは黒い目をくるりと回した。

「乗り心地が悪くて、腰を痛めますよ」

「その前だ……」

 息を殺すような擦れ声の問いが続く。カラックは両腕を広げて、肩をすくめた。

「父上」

 馬車止まりに、凄まじい衝突音が鳴り響いた。銀の髪の父親が、それこそ全力で息子に駆け寄り、勢いそのままに抱きしめたのだ。馬車が事故でも起こしたのかと、王宮内から何人もの職員が駆け出してくる。並の人間だったら完全に吹き飛ばされている所だが、足元に微かな砂煙を上げ、ヴァルドは平然とそれを受け止めていた。周囲の人々の驚きの視線の中、首をまげて見習いに目配せし、苦笑いを浮かべる。

「言う場所を間違えたぜ……」


 こうなっては仕方が無く、アシェルは一人で正面口から中に入ることにした。受付で鑑札を見せると、すぐに頷きが返って、あっさり奥への許可が下りる。カラックの言う通りで何ら問題もないのだが、若者の屈託は使用人仲間の事だった。厨房周辺を仕事場とする者達にとって、正面口からの出入りは、極めて驕った行為と見られている。今回も料理人の先輩達に見つかれば、嫌みの一つや二つは聞かされるだろう。もちろん、料理長や責任者達から咎められる事はないし、アシェルの場合、今のところ直属の上司がタニヤザールという事で、向けられる視線もそんなにきつくはないと分かっているのだが。

 厨房の裏庭に出るには、かなり複雑な経路をたどる。しかし、持って生まれた方向感覚の良さで、一度通った場所はほとんど間違いなく進む事が出来た。ここを抜ければ裏庭だという回廊の柱の向こうに、先程タニヤザール邸で別れた薬師の姿を見かける。声をかけようとして、彼の前に正装の青年が立っているのに気付き、アシェルは慌てて口をつぐんだ。

 長い金髪を後ろで束ねた華奢な姿は、給仕長付きの青年だ。なんとなく姿を見せるには憚れ、意識もせずに柱の陰から覗く格好になる。相手の熱心な語りかけに比べ、イブライの反応はいま一つ鈍い。しかし彼の手が薬師の左肩の触れ、その回復を喜んでいる表情が向けられると、さすがに微笑を返した。と、褐色の両頬を青年の白い手が挟み込み、唇が重ねられる。

 ぼんやりそれを見ていたアシェルだが、次第に瞬きが激しくなっていった。湧き上がる驚きが、あごの筋肉を緩めて口が段々と開いて行く。

――長い。とにかく、長い。

 それだけではない。両頬にあった青年の手が、ゆっくりと薬師の耳から首筋をたどって、肩の後ろへ回され、強く体を引き寄せる。

「あ……あ、あれ……?」

 思わず漏れ出た呟きに、イブライの視線が僅かに動く。今ようやく気付いたが、口付けを受けている間、彼の眼は無感動に開かれたままだった。

 薬師は、いきなり相手の肩を掴んで体を離した。二言三言何かを言い、足元に置かれた荷物を担ぐと、軽く手を上げて裏庭の方へ身を返す。大股で去って行く後ろ姿に、青年が声をかけた。

「ラウィーザ! また、戻ってくるだろう!?」

 足音が止まったが、アシェルからはもうその姿が見えなかったので、彼がどういう身振りをしたかは分からなかった。

 しばらく佇んでいた青年が小さく肩を落とし、王宮の通路の奥へと姿を消す。それを見送って、シーリアの若者は漸く柱の陰から身を離した。頭と胸の内で、正体不明の感覚がグルグルもやもやと渦を巻く。今見た情景を、なんとか理解の内に収めようとするが、何が起こっていたのすら良く分らない。

「……口付けだよ……うん、男同士の」思わず独り言が出る。「……よくあることさ」

 つぶやいて眉を寄せる。――よくある……のか? ああいうの

「おい」

「どわあ!!」

 いきなり現れた黒い影から声を掛けられ、総毛立つほどに驚いた悲鳴が上がる。石畳に腰を落とし、心臓が口から飛び出さんばかりの見習いを、薬師の半眼が見下ろしていた。

「見たな」

「み、みみみ、み、見たって、何をです?」

 よろよろと立ちあがろうとする若者に、冷笑が向けられる。

「別にしらを切る事もないだろう? こちらは見られたって、ちっともかまわない」イブライは中腰になると、視線の高さを相手に合わせて、白い歯を見せた。「セヴェリと挨拶した所を、見たのだろう?」

「ああ、あ……あ、いさつ、ですか?」

「そうとも、別れの挨拶。今日最後の荷物を取りにきたんだ」見習いの腕を掴んで引き立たせてから、ぐいっと顔を寄せる。「なんだと思った?」

 目が寄るほど近くの顔に、アシェルは思わず顎を引いた。

「長い……口付けだなっと」

「男と……女の様な?」

 囁かれた言葉に、見開かれる若者の目。ようやく分かったもやもやの正体。分かって慌てて五歩ほど後ずさる。それを見てイブライが不服そうに眉を寄せた。

「おい、あんまりな反応じゃないか。彼は彼で真剣なのだから」首をすくめて、腰に手を当てる。「セヴェリも、あれさえ無ければ良い同僚なんだ。まあ、最後だと思ってね……」

 壁際に置いてあった荷物を担ぎあげ、薬師は再び裏庭を進みだした。彼の気の無い反応や、口付けの最中開かれたままだった目を思い出し、何となく安堵した若者が足を速めてその横に並ぶ。

 そういえばエルシャロンで、とアシェルは声をかけた。

「あの給仕長付きの方が、ぼんやりしてたことがあったけれど……あれは、イブライの心配をしていたのかもしれないなあ」並ぶ相手に、気を取り直した笑顔を向ける。「でも、心配されるほど好かれるってのも、いいかもね」

 薬師の片眉が上がって、急に脚が止まった。

「細いのは好みでなくってね……どちらかというと、鍛えたシーリアのような……」

 ぼそりと呟かれた言葉に、数歩前に出たアシェルも歩みを止めた。背後からの再びの語りかけ。

「私も……額や頸の怪我の事は、随分心配したよ」

 後ろからでも、若者の全身が硬直しているのが分かる。細かく震える肩越しに、漏れ出る擦れ声。

「お! おお、俺は、もう、なまった………ぷよぷよだから……ハイ」カクカクと頭が動いて、ひきつった顔を向ける。「さ、さようなら!!」

 言うや、まだ先にあった使用人棟目指して一目散に駆け出し、その後ろ姿に、身を仰け反らした薬師の哄笑が被さった。

 見習いが建物の戸口に消えると、イブライは喉奥に笑いを残しながら、厩舎へ歩き出した。が、数歩行った所でまたも足が止まる。再び使用人棟を振り返った顔は、訝しげに眉が寄せられていた。




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