6.勇者、武勇伝の真相を語る
夢見る心には興奮を、聞く耳のある者には失笑を招いた話にも、隠された真相があった。
料理はオードブルの段階から、皿に山盛りだった。それを景気よく口に運んで、次から次へと平らげ、メインディッシュも終え、食後のデザートとなる。黒茶のカップと共に出された、これも山盛りの焼き菓子に、カラックは喉の奥で小さく唸った。それを見て、アシェルが頬笑みながら声をかける。
「今はもう食べていいと思いますよ。竜騎士になったんだから」くつくつと小さく笑う。「……ホントに、断ってたんですね」
ヴァルドは恨めしそうな目を向けたが、焼き菓子を見るとにんまり表情を和らげ、五枚ばかりをまとめて掴んだ。一枚の端を齧って、ゆっくり噛締め、ああ、こいつだ、と呟く。
「はい。今もミティレネ様のレシピそのままでございます」
目を細めたウォリスが穏やかに答えた。
黒茶の香りの立ち上る中、焼き菓子を噛み砕きながらカラックが客人に顔を向けた。
「で、イブライ、じゃないラウィーザ。よくこいつがここにいると分かったな」
「竜法院の医局に行く途中、出て行くあなた方の馬車が見えたんですよ」
「そういえば、イブライ……じゃないラウィーザ。竜法院に入ったんだって? すごいなあ」
目を輝かすシーリアに、ヴァルドも頷く。
「おう、タニヤザールに聞いたぜ。イブライ、じゃないラウィーザ。お前、薬師科の本科を二十で卒業したんだってな? またなんで、こんな所でうろうろしてんだ?」
「え? 卒業したのに、またいくのかい? イブライ、じゃないラウィーザ」
「やめてください! イブライでいいです。もう!」薬師はカップ越しに、不機嫌な目を向けた。「あながち偽名と言う訳でもありませんからね。幼名です」
イブライが竜法院に留学する際、親戚の伝手で身元引受人になったのがタニヤザールだった。公私に渡り世話を受け、卒業後は王宮付きの給仕としてラスタバンに残り、彼の仕事を手伝う事になる。薬師でいるよりも、給仕長の近くで自由に動けるためだ。しかし左肩の負傷に、この先仕事を続けられないと思っていた矢先、竜法院から薬師局研究室入りの強い誘いを受けたのである。
「あれのせいだな……」カラックが呟いて、身を乗り出す。「そういえば、あの薬はどうやって手に入れたんだ? 空中船の医者が唸ってたぞ」
「自前ですよ」イブライは、おかわりを注がれた黒茶をすすった。「給仕長が、せっかく薬師科に行ったのだからと、王宮の研究室を自由に使えるよう手配してくださったんです」
「そこで仕事の合間に作っちまったのか。いや赤豚狩りなんざ、朝飯前のはずだわ……」
カラックが感嘆の声を漏らすと、薬師ははにかんで目を伏せた。
「……竜騎士に比べたら、大したことはありません」
そんな彼にアシェルが嬉しげな笑みを送る。と、思いついたようにヴァルドに話題を振った。
「竜騎士と言えば、さっきの給仕長の話ですが……」先程の手すりを指さす。「嵐の日にあそこから飛び降りろと言われて、結局飛び降りたんですか?」
疑問の目を向けたイブライに、武勇伝をかいつまんで話すと、案の定堪えた笑いを浮かべた。しかし、それが竜騎士になるためのタニヤザールによる訓練と聞いて首を傾げる。
「私達もよくしますが、さすがに嵐の日は……本当に給仕長がそんなことを?」
「それだけじゃないぜ」カラックは立ち上がると、二人に合図して問題の手すりへと招き寄せる。「まずな、ここに立てと言うんだ。おい、アシェル立ってみろ。マストに登り慣れているんなら、このくらいの高さは平気だろ?」
「はあ……」見習いは言われた通りに手すりに足を掛けたが、不安そうに振り返った。「変なことしないで下さいよ」
「でな、『この海を乗り切って、姫君を助けろ』とか、とぼけた事を言ったんだよ」
そこで周囲を見回して、お、まだあったと、柱の横に置いてあった、石の花台を抱えてくる。
「それで、『これが姫君だ。まあ、同じくらいの重さだな』と持たされて、さあ行けと」
ずっしり重たい花台を渡されて、アシェルは手すりの上でよろめいた。
「沈んじゃいますよ!」
「そうだよ、そうだよ。俺だってそう言ったさ。そしたら、いきなり……」
そこでヴァルドは長い脚を思い切り上げると、シーリアの尻を蹴り押した。重心を外れた体が大きく海原へ傾き、若者の悲鳴と共にその手から花台が離れる。
「こうされたんだ……よ!!」
言葉の最後の瞬間、もんどりうって落ちる所だった見習いの両足を掴んで、その落下を止める。急いでイブライが手すり越しに覗くと、驚愕のアシェルの頭の先の水面に、花台の落ちた水しぶきが上がっていた。手すりの上に引き揚げられた見習いが、口をパクパクさせながら、元締に食ってかかる。
「な、なななな……何すんですかあ! 落ちちゃうじゃないですか!?」
「うるさいな。エルシャロンの鐘楼で、お前を助けたのは誰だと思ってんだよ」口をとがらせたカラックは、そこで両手を上げて首をすくめた。「とまあ、姫君にしては固い体を抱えて、嵐の日ごとに救助してたわけだ」
「し……死んじゃったら、どうするんですか」
アシェルがごくりと喉を鳴らすと、竜騎士は悲しそうに眉を寄せた。
「そうなんだ。問題は、俺がちっとも死ななかったってことにあるんだな」そこで大きな溜息。「おかげで三年もしたら姫君どころか、甲冑着た国王陛下もどんと来いてなことになって、想像するのも不毛になっちまってよ……」
「姫君が落ちたままですが……」
崖下を指さしたイブライに、カラックはひらひらと手を振った。
「あとで引き上げておくさ」
武勇伝第一話の真相は、こういう訳だと言うカラックに従って、彼らはまたテーブルに戻った。
続いて語られた、空中船の悪漢相手の顛末も似たようなものだった。
ただこの時は、飛ぶ空中船の屋根の上で、刃を落としたとはいえ激しいタニヤザールの剣を直接受けた。最初は命綱もあったが、回を重ねるごとにそれも無くなり、実際落ちかけた事は数え切れない。もっとも――とヴァルドは歯を見せて笑った。
「あいつも二回ばかり足を滑らせて、落ち損なったがな」
「……で、三つ目の話の竜と言うのが、やっぱり給仕長なんですね?」
アシェルの問いに、カラックは神妙に頷いた。
「ああ……これが一番ヤバかった。あいつ相手に、真剣での立ち会い稽古だ」
「そんな馬鹿な」イブライが片眉を上げる。「人相手の平時に、給仕長が真剣を抜くはずがありません。使うのは戦いの時だけと聞いた事があります」
「お前、タニヤザールがなぜ果仕合の申し込みを受けないのか、知ってるか?」
身を乗り出しての竜騎士の問いに、薬師は軽く傾げた首を横に振った。
「……あいつはな、狂戦士の血を持っているんだ」
アシェルとイブライは息を呑んだ。
戦闘の内に忘我の境地に入り、敵味方の区別がつかないほどの凶暴さを示す戦士を狂戦士と言う。ある血筋によって受け継がれ、タニヤザール家の場合、それは銀の目を持った男子として表れた。
「あいつの場合それが特別なんだが……長く白刃を交えていると、『あっち』へ行っちまうんだな」
カラックの言葉に、アシェルが目を瞬かせる。
「『あっち』……ですか?」
「まさか! そんな危ない性質でしたら、こんなに戦功を立てられるはずがありませんよ。戦闘中、仲間の戦士を助けた話も随分聞きました」
イブライが憮然として疑義を唱える。
「だから、その辺が特別なんだよ。味方、敵の区別はつくんだ……集団の戦闘中はな。状況は分かっていて、えらい勢いで敵を倒し、どこまでも付き進む。ある意味、理想的な狂戦士だな」カラックは懐から煙草入れを取り出しながら、喉の奥で小さく唸った。「問題は、サシでの対決さ」
煙草を取り出し口にくわえた所で、ウォリスが差し出した火を付ける。深く吸い込んで、紫煙を潮風になびかせてから、ヴァルドが続けた話はこうだった。
タニヤザールの狂戦士の血は、相手が一人の場合、敵味方を識別する抑制が外れて、表に現れる。ただ己を失うのではなく、その高揚感の中で全力を出せる歓喜に溢れ、その陶酔に浸りきってしまう。そして相手が強ければ強いほど、その度合いは強く、最後にはどちらかの死を見なければ終わらないこともあり得るのだ。
「だから、果仕合なんて出来仕合をできる訳がないんだ。相手を殺しちまう」
聞き手二人に暫くの沈黙が流れ、アシェルが小さく喉を鳴らした。
「で、でも元締は、その真剣立ち会いをしたんでしょう?」
「ああ、決めた短い時間中、トリスデンの監視の元で、あいつが『あっち』へ行く前に終わらせていた」
それでも大抵は血を見ずには終わらなかったが――と、カラックは再び体に手を当てた。
「いつか、こいつに殺されると、何度思ったかしれやしない。で、極めつけがでっかい二つの傷」手元の煙草に落とした、黒い目が沈む。「俺の……果仕合の相手がタニヤザールだった。もう、死んでもおかしくはなかった。勝負がついて認証の宣言の時、俺は人事不省で竜騎士の証しの帯がすぐ止血に使われたんだ」
見習いの脳裏に、くたびれた帯にあった黒い染みが浮かんだ。その運命の帯がたどった末路を思うと、済まなさがこみあげてきて涙声が漏れる。
「元締……ホントにすみません……あの帯。俺、なんてことを……」
「え? あ、あれか? いや、いいんだ。あれはあれで、なんてことない」ヴァルドは笑顔を向けて手を振った。「俺のくだらない執着だ。ああなって、さっぱりしたもんだ」
煙草を断った客のため、ウォリスがカップを新たにして、香草入りのお茶を二人の前に置いた。彼に礼を言ったイブライが、それを一口すすってから顔を向けた。
「つまりは、実の父親に殺されかけたんですね……それが、タニヤザール家を去った原因ですか?」そこで、眉を寄せた表情が険しくなる。「でも、結局あなたは生きていたではないですか。竜に挑んで命を落とす事があると思えば、死を恐れて十年も帰らなかった事は、私には理解できません」
竜騎士は、誰もが求めてなれるものではない。死に立ち向かう勇気を持ち、頭脳と人格と腕とを兼ね備えても尚、なれない者はなれないのだ。竜騎士になった者だけが持つ感覚と、なにより竜の選びによる。選ばれた者に向けられた選ばれなかった者の視線を、カラックは正面から受けた。暫くの後、口元を引き締めて深く頷く。
「そうだな……その通りだ」