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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
竜石の一日
33/38

5.アシェル、薬師の訪問を受ける

タニヤザール邸の執事に迎えられたアシェルは、訪れた薬師に詰め寄られる。

 馬車から降りた二人を、邸の執事がにこやかに出迎えた。

「お帰りなさいませ。カリオン様」そして、アシェルにより深い笑みを送る。「ようこそ、いらっしゃいました。アシェル様」

「あ、お世話になります」

 自分よりはるかに品の良い初老の執事――ウォリスに深く頭を下げられ、若者はかしこまって礼を返した。

「帰られてから昼食との事でしたので、二階のテラスにテーブルをお出ししました。アシェル様も海をご覧になって食された方が、お料理もおいしかろうと」

「おう、気が利くな。そうだ、ウォリス」カラックは笑みを浮かべると、厨房に行きかけた執事を呼び止めた。「ほら、俺の竜石、こんなになったぞ」

 懐に手を入れながら歩み寄り、輝くメダルを相手に差し出す。それを見て、ウォリスは目に一杯の喜びを湛えた。

「おお、素晴らしい! 御父上のどの竜石にも引けを取らない美しさではないですか!」

「養成学校時代の寮友達の、ロジェード・バルなんとかという奴が工芸員になっていて、そいつが細工をしてくれたんだ」

「ロジェード・バルコロル・デスタ=コレ様でございましょう? それは奇遇でございました」

 執事の口からいとも易々と名前がでたので、カラックは目を丸くした。

「お前、知っているのか?」

「もちろんですとも」竜石の光を瞳に映しながら、ウォリスは懐かしげに頷いた。「カリオン様のお友達は、皆存じ上げておりますよ。ロジェード様とはおやつを良く分けあうからと、週末お帰りになるたび、蜂蜜入りの焼き菓子を袋一杯お持ちになって、寮へお戻りになられたでしょう?」

「……焼き菓子」

 見習いが小さく呟き、呆然としている元締に目を向ける。途端にぶっと吹き出し、慌てて口を押さえた。彼の前科を思うと、どれほどの焼き菓子がロジェードの口に入ったか、多分に怪しい。笑いを噛み殺す客人に軽く首を傾げながら、執事は若主人に言葉を続けた。

「そう言えば、以前はあれほどお好きでしたのに、ここに戻られてからは一度も手をお付けになりませんね。好みが変わられたのですか?」

「それよりウォリス! 腹が減って目が回りそうなんだ」カラックは竜石を懐に入れると、急いで執事の肩に腕を回し、強引に厨房への通路を歩き出した。「俺たちは先に行っているからな。細々した世話はいらない。そのかわり俺もアシェルも大食らいだから、量の方はたんと頼むぜ」

 承知致しましたと、ウォリスは頷きの笑みを送り、通路の奥へ姿を消した。それを見送ったカラックが振り返ると、シーリアの若者が高脚の石の花台に、抱きつくようにして身を震わせている。ヴァルドは仏頂面で、彼の背後を行きすぎ様、その後頭部をぽかりと一発殴って階段へ向かった。


 二階のテラスは建物をぐるりと一周し、東側と南側が広く取られている。テーブルが出されているのは海を望む東側で、昼も過ぎた直射日光を建物の影が遮って、まことに居心地がいい。アシェルはテラスに出るなり、海への手すりに張り付き、瞳の青をますます濃くして広い海原を見渡した。その背に微笑みを送りながら、カラックは白いクロスのテーブルに置かれたグラスに、冷えた食前酒を注いだ。

「あれから、マニーに手紙を出したのか?」

 ヴァルドの差し出すグラスを受け取りながら、シーリアの若者は頷いた。

「ええ、それで返事が来て、体の具合は良いから、心配しないでしっかり仕事をしなさいとありました」

「そりゃ、よかったな」

 獣人の寿命は人間よりも短い。マニーが若くしてアシェルを拾ったとしても、彼の成人姿をどれほどの間見る事が出来るのかと思うと、もう少し長く手元に置いていても良かったのではと、カラックは思う。エナムスは会った事もない彼女に一目置いていたようだが、今ならそれも理解できた。

「すごいですね、ここ」

 目線を彼方から手すりのすぐ下に向けていたアシェルが、感嘆の唸りを上げた。テラスは真っすぐ切れ込んだ崖に張り出していて、直下に飛沫を上げる波が岩肌を洗っている。今は穏やかだが嵐にはどれほどの凄まじさになるか、シーリアのアシェルには容易に想像できた。

「嵐の日に、そこから飛び降りろと言われたんだ」

 背後から掛けられた言葉に、見習いは驚きを顔に浮かべて振り向いた。

 と、海とは反対側の木立の方から、疾駆する馬蹄の響きが近づいて来る。邸の前で止まり、続く呼び鈴の音。

「珍しい。来客かな?」カラックはグラスを仰いで空けると、二杯目を注ごうとテーブルに近づいた。「今時分はいつもタニヤザールは王宮だから、奴の客であるはずないし。俺か、でなければ……」

 そこへガラス戸が開いて、ウォリスが姿を現す。

「失礼します。アシェル様に、アゼルファラス様がお会いしたいといらっしゃいましたが、如何いたしましょう?」

「え、俺? アゼルファラスって……」見習い軽く首を傾げ、思い出して頷いた。「あ……イブライ。ええ、どうぞ、通してください」

 執事が頭を下げて戸の陰に消えると、ヴァルドとシーリアは顔を見合わせた。

「何の用だか知らんが、良くお前がここにいると分かったもんだな」

「ええ、さすがですねえ」

 二人が呑気に言葉を交わしていると、間もなく足早の靴音が近づいてきて、浅黒い肌の客人が戸口に現われた。季節も暑くなって外套はなく、涼しげな亜麻の長衣の腰を深い緑の絹帯で締めていたが、左腕が黒革のベルトで肩から吊るされている姿は変わりない。だが、その瞳は興奮で異様に輝き、視線がアシェルに止まるや、眉間に深い皺さえ刻まれた。一旦止まった脚がテラスに踏み出され、大股に若者を目指すと、荒々しい勢いそのままに彼の襟首が掴まれる。

「君は、私に何をした!?」

「え……え、ナニって何です?」

「とぼけるな!! これは何だ!?」

 魚の様に口をぱくつかせる若者の鼻先に、左の拳がぐいっと突き付けられる。

「ええっと……拳骨……」見習いは目をギュッとつぶって、悲鳴のような声を上げた。「な、殴らないでくださいぃ……」

「こら! 目を開けて見ろ!」

 相手を両手で激しく揺すぶる薬師に、カラックは目を見開いた。

「え、イブライ、じゃないラウィーザ……」驚きの呟きが呆然と口をつく。「お前……左腕が動いてるじゃないか……」

 そこで異国人から突き放された若者が、よろめきながらも気付いて顔を輝かせた。

「本当だ……イブライ、じゃないラウィーザ。治ったんだね! すごい! よかったね!」

 薬師は右手で自分の左手首を握り、その指をゆっくり開いたり閉じたりさせて見詰めている。

「……十日ばかり前から、感覚が戻ってきて、この二、三日で動くようになった。今日診察した医者が言うのには、筋が繋がったんだろうということだ。エルシャロンでは一生動かないと言われたのに……」

「そりゃ、とんだ誤診だったな。なんにしろ、めでたいこった!」

 歩み寄ったカラックが調子よく客人の背を叩くと、黒い肌に映える目がぎっと睨みつけた。

「見損なうな! 私だって外科をかじった端くれだ。神経が切れていた事は明らかだった!」そこで一旦唇を噛締めて、首を小さく振る。「筋は繋がる事はあるが、神経まで繋がる事はない……そこまでの技術は今はない。だとしたら……」

「不思議ですねえ……」

 晴れやかに疑問を発したアシェルに、再び鋭い視線が向けられた。

「だとしたら、心当たりは君しかない。あの時……給仕長への報告の時、私の肩をさすり続けていただろう。あれから、体の方も随分良くなったんだが……」喉の奥で、小さな唸りが出る。「君は……私に何をした?」

 暫くの沈黙が降りた。潮騒が響き、緩やかな海風がテラスを横切る。カラックも若者を見詰めたまま動かない。二人の視線を受けて、アシェルは両手を前に組んで、身を縮こませた。

「あの時……」気弱そうに呟く。「俺は……そうした方がいいかなって思っただけで……ただ、そう思っただけで……」

――これから何をするのか、知らないんです。

 夢見の竜に向かう時の若者の言葉を思い出し、カラックは大きな溜息をついた。睨む目を離せないでいる薬師の肩に腕を回し、軽く叩きながらその緊張を解く。

「いいじゃないか。何があったって。要は動くようになったんだからよ」

 腕の中の力が抜かれるのを感じて顔を上げると、ガラス戸口にワゴンを前にした執事が立っている。

「悪いがウォリス。料理をもう一人前、追加しちゃくれないか?」

「ぬかりはございません」料理を乗せたワゴンを押しながら、執事は変わらない笑顔を向けた。「たくさん御食べになるカリオン様のために、多めに作ってございましたから。皆様どうぞ、御席にお着きください」


 


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