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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
竜石の一日
32/38

4.カラック、退学後の日々を語る

自邸に戻った少年は、父の友人と義母の二人の眼差しの元で、幸福な数年を過ごす。

 結局夢見の竜の竜石は、暫くロジェードが預かることになった。今すぐ所有を放棄されても、初めての事でどう扱っていいのか分からないので、上司に相談してみると彼は言った。

 馬車止めまで見送りに来た工芸員に手を振って、カラックとアシェルはタニヤザール家の二頭立て馬車に乗り、ティムリアへの帰途についた。馬車でなら一時間ほどの道のりである。アダ・バスレイは街としては小さく、町並みはすぐに終わって、道の両側に一面のひまわり畑が広がった。緩やかな丘が遥かに黄色で埋め尽くされ、所々大きく枝を張った樫や楡が夏風にそよいでいる。

 日覆いを下ろした陰で、カラックの竜石の細工をしみじみ眺めながら、アシェルが幾度目かの感嘆のを漏らした。

「凄いですね……世の中には、こんな綺麗な細工をできる人がいるんだ」

 石の光はないが、時折差し込む日の光に細かな模様が複雑に煌めく。若者の興奮する顔を見ながら、カラックは小さく唸った。

「うん――でも、おかしいな。お前、あっちの石の方は何ともないんだろ?」

「え? あっちのって?」アシェルは聞き返してから、思い当たって頷いた。「あ、はい。だから、さっきは余計に驚いちゃって」

「わかんねえな。何のせいなんだろ」ヴァルドが小さく息をつく。「……夢見の竜だからかな?」

 シーリアは小首をかしげながら、メダルを竜騎士に返した。

「さあ? 竜石って、竜によって反応が違うんですか?」

「俺に訊くなよ。一個しか持ってないから分からん。……そりゃ八個も持っている変人に訊くしかない」

 低い呟きが仏頂面に付け加えられて、アシェルは青い目を瞬かせた。

「給仕長は変人ですか?」

「おう。五個持ってるファステリア王が大竜騎士と呼ばれるんだぜ? 八個なんてお前、凄いを通り越して『変』としか言いようがないだろ」

 そう云う自分がこの後、十五個の竜石を持つ者となるとは、この時のヴァルドには思いもよらない。だが、向かいのシーリアの非難がましい表情に気が付き、口をとがらす。

「なんだよ、その顔は!」

「いい御父上なのに、そんなふうに言うなんて。それじゃ、レスコーを責められませんよ」

 先の工芸員の話を聞き、また若者の身の上を知っているので、カラックは悪戯が見つかった子どもの様にバツの悪い顔をした。

「レスコーなんて……ほんと、お前はよく覚えてるな。」ごまかしの視線をひまわり畑の向こうに広がる海に向け、小さく咳払いをして肩をすくめる。「まあ……父親としては、良かったさ。子煩悩といってもいいな、ありゃ」

「だったら、どうして家を出たんです? 十年も帰らなかったって云うじゃないですか」

 相変わらず強い口調で言い迫る見習いに、カラックは煩そうに眉を寄せた。

「……ったく、オバさん臭い奴だぜ。マニーもそんな調子なのか?」それでも厭うこともなく、口をひん曲げふて腐れたように続ける。「仕方ねえだろ? 父とはもう呼ぶなって、あいつが言ったんだから! これからは『先生』と呼べとさ!」

 そこでヴァルドは長い両手を広げて、思い切り鼻を鳴らした。

「ハッ!! 『先生』!! これがまた、サイテー、サイアクの『先生』だったんだ!」



 カリオン少年が養成学校を退学してすぐ、タニヤザールは長期の出征に出た。邸に帰った少年の教育にあたったのは、竜法院を休職したミティレネである。すでに古代学の教授であった彼女から、文学、歴史に関して学び、数理学と体術に関しては、パシヴィル・ヨナ・トリスデンという青年が、邸に通って指導した。タニヤザールの友人という彼は、物静かで研究者のような印象を受ける人物であったが、馬術や剣術においても卓越した腕を持っていた。とりわけ剣術の稽古は、学校のお遊びの様なそれとは比べ物にならないほど迫力に満ち、その動きの洗練された美しさは、カリオン少年を魅了した。

 彼らの元での勉学は楽しかった。的確な指導を受けて、少年は教えられたことを、乾いた砂が水を吸うように身に付けた。タニヤザールは一年程で帰征したが、しばらくは家を空けることが多く、結局二人の元での学びは二年続いた。



「……あん時が一番良かったかな」思い出に微笑んでいた元締の顔が、そこでふと陰る。「二人共、もういないんだが……」



 ある日、トリスデンと剣術の稽古をしている所へ、大剣を手にしたタニヤザールが姿を現した。しばらく友人と言葉を交わした後、防具無しで立ち合うよう言う。少年は目を丸くした。剣の刃を落とているとはいえ、空身の体にまともに当たったら多少の怪我では済まない。トリスデンへ困惑の視線を送ると、頷いて防具を外したので、仕方なく自分もそれに倣った。

 剣を構えるや、タニヤザールが開始の声をかける。その途端、相手の全身から凄まじい闘気が放たれ、驚きに目を見張った。それから繰り出された剣筋の速さ鋭さは、今までの稽古の比ではなかった。トリスデンの顔には剥き出しの闘志が浮かび、剣の切っ先が必殺を狙って迫ってくる。彼の戦いの本性を目の当たりにし、最初は防戦に回る一方であったが、身をかわし襲ってくる剣を受けている内に、己の内に激しい気迫が立ち上ってきた。思わず上がった気合と共に繰り出した剣が、相手の体勢を突き崩す。

 その後の動きは、よく覚えていない。金属の擦る音、叩きつける音が連続する中で、トリスデンの光る目だけをひたすら追っていった。

 突然、鈍い金属音がして、振り下ろそうとした腕が動かなくなる。気付くと脇にタニヤザールの顔があり、相手の肩に落ちる寸前の少年の剣を、その大剣が止めていた。片膝をついたトリスデンの強張った笑みが、少年を見上げている。

 よくやった、パシヴィル――タニヤザールは言葉を掛けながら、友人の手を取って立ち上がらせた。――お前ならできると思っていた……感謝する。

 彼と軽く抱擁を交わしたタニヤザールは、振り返ると少年に、お前は竜騎士にならねばならないと言った。


「ま、多少は驚いたが、あいつの息子なら、そんなもんかと頷いちまったんだ」カラックは溜息をついた。「抵抗したからどうなるとも思えんが、俺も単純だったよな」


 首肯した少年に、トリスデンは微笑みながらその肩を叩いて、しっかりなと励ましの言葉をかけた。その時少年は、自分の視線の高さが彼のそれを上回っていることに気付く。目を瞬かせてタニヤザールを振り返ると、今まで見上げるばかりだった銀の眼差しが、すぐそこにあった。

――これからは私が教える。もう『父上』ではない。そうだな……『先生』とでも呼ぶか。

――はい……先生。


 そこまで話したカラックが口を閉ざし、目の据わったひどく不機嫌な表情を浮かべる。それを見たアシェルは、彼がタニヤザールの『サイテー、サイアクの先生』ぶりを思い返しているのだろうと推察した。いったいどんなものかと先を待ったが、への字に曲がった口がなかなか開かない。

 そうこうしている内に走る道が石畳に変わり、馬車はティムリアの都へ入って行く。タニヤザール邸は王宮を過ぎた先にあるので、途中で下してもらおうかと思っていると、カラックが顔を向けた。

「邸に寄って行けよ。帰りは送ってやる。どうせ、今日一日休みをとったんだろう?」

 アシェルは軽く首を傾げてから頷いた。

「ええ、お邪魔でなければ……」そこで、恐る恐る尋ねる。「あの、給仕長の先生というのは……そんなに厳しかったんですか?」

「ああ?」ヴァルドは喉の奥で唸りを上げると、半眼の黒い目を向けた。「タニヤザールに報告したくらいだから、俺の『死にかけた話』は覚えているだろな?」

 目を輝かせて大きく頷く見習い。

「ええ、もちろんです。あれは凄かったですね!」

 青い目が煌めき、カラックは脱力した溜息をもらした。

「……なんてまた、どうしようもない事を信じ込んじまう奴だな」

「え、ウソなんですか……?」

 落胆に掠れるほどの声が上がり、元締があわてて手を振る。

「いや、まるっきりウソと言う訳じゃないが……」

「ですよね。親方も『死にかけた事は本当らしい』って言ってたし……元締の体にも、すっごい剣の傷跡がついてますよね」

「まあな。死にかけた事はホントだ」カラックは服の上から胸とわき腹をさすった。「姫君だの、悪漢だの、竜だのは俺の出まかせだが、状況は同じで、相手が全部タニヤザールだったってことだ」

 アシェルの顔に驚愕が張り付いたまま、馬車はタニヤザール邸に着いた。




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