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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
竜石の一日
29/38

1.カラック、旧友と会う

調達人見習いアシェルは、元締カラックと共に、イディンの総本山竜法院を訪れた。


挿絵(By みてみん)

 竜法院のあるアダ・バスレイは、ティムリアの都の北を徒歩で半日行った所にある。

 灰色の石で積み上げられた壮大な建物は、王宮の華麗さはないが、来る者にイディンのあらゆる法と秩序の権威を知らしめている。事実、その最高会議での決定事項は、イディンの全ての王侯の権威に勝り絶対とされていた。

 もちろん、アシェルがここを訪れるのは初めてのことだ。石柱の続く長い玄関アーチをくぐった先のホールは、明らかに王宮よりも二周りは広い。しかも、正面の壁にある竜の大群の巨大なレリーフが、訪れる者すべての目を奪う。その首を巡らせるほどの偉容に、思わず足を止めた若者は嘆息し、もう少しで前を行くカラックを見失う所だった。

 ホールでは、竜法院職員の短いガウン姿と、礼装の貴族が行き交っている。その中で勢一杯余所行きを着込んだものの、自分がいかにも小さくみすぼらしく思え、アシェルは緊張する肩をますます縮込ませた。だがヴァルドの男が一向に頓着せず、外の者の服装で堂々と歩を進めているのは、元は貴族である彼にとって大した問題ではないのだろう。

 気後れした目を周囲に向けていると、カラックが足を止めて振り返った。顎を上げて、あれが一級の祈祷師だと囁く。示されたのは、膝丈の裾に房飾りが付いた純白のガウン姿の人物。

「竜法院のお偉方中のお偉方さ。ああいうのに睨まれたら、大変だぜ」

 その言葉に、喉奥が引き締まった。

 巨大なホールを横切り、いくつあるか分らない廊下の一つに入った。カラックの足取りが些かの迷いも無いのは、以前からここを知っているためと思われる。やがて柔らかい陽に包まれた小さいホールに出ると、再び若者へ肩越しの顔を見せた。

「ここが工芸部だ。まだ、ちょっと早い様だから、座って待つか」

 言うなり慣れた様子で繻子張りの椅子に腰を下したので、見習いもその横に恐る恐る身を収めた。

 左右と後ろには重厚な扉がいくつか並び、灰色の壁に様々な図柄のタペストリーが掛っている。ホールを満たす光は正面の大きな窓からのもので、ガラス越しの中庭の濃い緑が涼しげな影を作っていた。白い花をつけた夾竹桃の枝が揺れて、開いた窓から風が吹き込んでくる。

「元締って、ここに来た事あるんですか?」

 シーリアの若者の問いに、ヴァルドは懐から銀の煙草入れを取り出しながら頷いた。

「ああ。それなりの貴族の息子は、何年かをここのガッコの寮に放り込まれるのさ。で、まあ、ブンガクやらレキシやらホウリツやら叩き込まれて、竜法院には楯突いてはいけませんと教えられるわけだ」

 若者が目を瞬かせたので、苦笑する。

「そうは見えねえか」

 アシェルは首を振った。

「いえ……それで、あの文字も読めたんですね。アムダルカの石小屋にあった、箱の古い竜文字」

「おう、よく覚えてんな、お前も」カラックは煙草に火を付けながら、目元に皺を寄せて笑った。「でも、あれはミティレネから習ったんだ。ガキに毛の生えた程度の連中には、必要ないもんだしな」

「ミティレネ……って、ああ、給仕長の亡くなった奥方様」

 アシェルは、タニヤザール邸のホールにあった肖像画を思い出して頷いた。

「彼女はああ見えてもイディンの古代史の権威でな、タニヤザールに嫁ぐ十七歳の時には、もう竜法院の教壇に立っていたという才女だ」

 カラックは吸った煙草の煙を、鼻と口から勢いよく出して溜息をついた。

「何を好き好んで、子連れの男の所に来たのかなあ。おまけにタニヤザールは竜法院と犬猿の中で、教職を続けるには肩身の狭い思いをしたんだろうさ」

 吐き出した煙が窓からの風に流されて散っていくのを、アシェルは目で追った。

「給仕長って、ここと仲が悪いんですか?」

「なんか、古い因縁があるらしくてな。お陰で在学中は、さんざそれで、寄ってたかっていじめられたもんだ……おい、なんだよ。その目つきは? 信じてないな? ホントだって。三日に一度は嫌がらせを受けてだな……」

 調達人見習いの疑わしげな視線を受けて元締が口をとがらせた時、右手の扉が開き、現れた人物が声を掛けた。

「カリオン! やっぱり君か! カリオン・エニヴァル・タニヤザール!」

 本人ですら忘れていた貴族名を呼んだのは、血色のいい額と大きめの前歯が目立つ小柄な男である。緑がかった黒っぽいガウンが、仕事着のようだ。

「君、竜騎士になったんだね! おめでとう! さすがはタニヤザールの息子だよ」

 喜色満面で近づいて来る相手が手を差しだしたので、立ち上がったヴァルドは取りあえずそれに応えて首をひねった。

「それは、どうも……で、お前さんは誰だっけ?」

「忘れてしまったかい? 君はたった二年しかいなかったから、無理はないけれど……」男の顔に気弱そうな苦笑が浮かぶ。「君と寮の同室だった、ロジェード・バルコロル・デスタ=コレだよ。宿題を見せ合ったり、おやつを分けあったりしたじゃないか」

 ヴァルドは長い腕を組んで、眉間に皺を寄せて唸った。

「名前に心当たりはないが」ちらりと相手の顔を見る。「そのデコと出っ歯には覚えがある」

「……印象に残っていてくれてありがたい」

 相手に浮かんだますます情けない苦笑を気にもせず、カラックはここぞとばかり笑顔を向けた。

「ちょうどいい、お前さんからもこいつに言ってくれ」ついさっきまで完璧に忘れていたことなど棚に上げ、気安くロジェードの肩に手をかける。「タニヤザールのお陰で、どれだけ俺が苦労したか。同輩、先輩から三日に一度は罵られ……」

「五日に一度は、彼らを片端から殴り返して回っていたってことをかい?」

 ヴァルドの喉元がひくつき、奇妙な音をたてた。

「で、ひと月に一度は、君の御義母上が監督官に呼び出しを受けていたねぇ。いや、懐かしい」

 ミティレネ夫人が竜法院で覚えた肩身の狭い思いは、どうやら夫のせいだけではなかったらしい。アシェルは込み上げる笑いを必死で耐えたが、頬の震えを押さえる術はどこにも無かった。

 ロジェード・バルコロル・デスタ=コレは貴族の四男坊だが、手先の器用さとセンスの良さで工芸者として身を立て、竜法院保管局工芸部の中堅として働くまでになっていた。

「そりゃ、そちらこそおめでとう。順風満帆の経歴じゃないか。行く末は部長か、局長か」

 幾つかある応接室の一つに案内されながら、カラックは旧友に賛辞を送った。それをうけて、ロジェードがはにかんだ笑みを浮かべる。

「そこまではどうか分からないけれど、今回君達の竜石の細工を任された事は、僕にとっての一大転機だったってことは確かだね。作っていて全く興奮したよ。史上最大サイズの竜石と、伝説の業火の竜の竜石。どれも、誰も手にした事のない物ばかりだ」

 そこで申し訳なさそうに囁く。

「カリオン。すまないけど、ここは禁煙なんだ」

「おお、わりい」

 カラックは肩をすくめると、煙草を片方の手のひらに押しつけて火を消した。それを見て工芸員が目を丸くする。

「君……熱くはないのかい?」

「熱いさ。でも仕方ないだろ? 禁煙なら灰皿もないだろうし」

 ヴァルドはこともなげに言うと、指先で念入りに消した吸殻をポケットに入れ、高い音を立てて両手を払った。



 


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