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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
第四部
25/38

5.帰途

<旅程>

34日目

 エルシャロン出立

  ~

37日目

 オクラーテ着

38日目

 オクラーテ発

  ~

41日目

 イクスミラレス着

42日目

 イクスミラレス発

  ~

44日目

 ブルブラン

  ~

48日目

 夕刻ティムリア着



 帰りは途中まで一緒に行こうという話になったが、その夜遅くカラックは給仕長に呼ばれて部屋を出て行き、明け方になっても戻らなかった。

 アシェルは仕方なく一人で支度をして、空中船の補給係から受けた配給品をロバに積み込んだ。後から来るなら直に追いつくだろうと思い、王宮の通用門を出ようとしたところで、走ってきたカラックが彼を呼び止めた。

「すまん、アシェル。野暮用で一緒に行けなくなった」見習いのがっかりした顔に苦笑する。「なに、すぐまた会えるさ。それより、タニヤザールと医者からの伝言だ」

 そう言いながら、白い袋を手渡した。

「まず医者からだな。替えの包帯と酒精と当て布だ。イクスミラレスで、腕の良い医師に抜糸してもらえとさ。で、タニヤザールが……」革の小袋と、封蝋をした手紙を差し出す。「イクスミラレスに着いたら、真っ先に領主にこの手紙を渡せと」

 アシェルは目を丸くした。

「御領主に渡すんですか!? 俺が!?」

 門前払いを食いますと首を振ると、カラックが手紙の紋章を示した。

「竜騎士タニヤザールの正式紋だ。これを無下にできる奴は、王侯と言えどそうそういないから安心しろ。それとこの革袋は荷物に入れずに、いつも身に付けとけとさ」

 はあ、と頷き、言われた通り懐に入れ、手紙の方は皺にならないよう書類入れに挟んで、荷物の奥に押し込んだ。

「じゃあな。気をつけてな」カラックは景気よくロバの尻を叩いた。「竜の守りを!」

 早足で進み出したロバに揺れ、アシェルは振り返りながら手を振った。

 次第に小さくなる姿が本街道への道に逸れるまで、ヴァルドの丈高い姿が見守り続けていた。


 前にも後ろにも誰もいないと言うのは、妙な気分だ。ぼんやりしていると、ロバの進む速度がたちまち遅くなる。思えば独り旅など、生まれて初めてだった。そして漸くに気付く。これが調達人本来の姿であることを。ラスタバン王の食卓を彩るため、ただひたすら一人でイディンの街道を前進するのだ。

 三日目の夜、宿屋と食堂の注文以外口をきくことのない日常に気が滅入った。心に浮かぶさまざまな思いや感情を、何に向けていいか分らない。

 だから四日目のオクラーテで、サマディヤとオフィルを認めた途端、思わず目頭が熱くなった。若者の到着を心待ちにしていた竜使いの長老は、街外れで夕暮の道筋にその姿を見つけると、すぐに娘と共に駆け寄り、彼の体を熱く抱擁した。

 その夜は遅くまで歓談が続いた。おおよその事はオフィルから聞いているらしく、サマディヤはエナムスの死を悲しみ、眠りの竜の正体――業火の竜である事と竜狩りの詳しい有様に、改めて瞠目した。ただ“竜殺し”については、オフィルもアシェルも口を閉ざして語らなかった。

 引き揚げた部屋で寝ようとしたところ、竜使いの娘が少し話したいとおとないをかけた。招き入れた清楚な白いブラウスと紺のスカート姿が、寝台横の小さな灯りの中に浮かぶ。アシェルは椅子を勧めたが、黒い巻き毛の揺れる頭を振って、佇むままに言葉を口にした。

「王宮で……何のために竜を使おうとしたのか、訊いたでしょう?」

「うん」

 寝台に腰を掛け、アシェルは頷いた。

「最初はただ面白かっただけ。竜は大好きだし、笛を吹いて竜が喜ぶのを見るのは、もっと好きだった。そう……」彼女は銀の目を伏せた。「使おうなんて思っていなかった。ただ、竜を喜ばせたかっただけ。でも……いつからそうじゃなくなったんだろう」

 あの時――と、銀の瞳を若者に向ける。

「いるだけで竜が喜ぶ赤毛の子を見て、ああ、この子みたいになりたいと思った。でも村の人はその子を憎んで、手に掛けようとした」

 アシェルは目を閉じた。オフィルはその思いを探ろうとしたが、穏やかな表情以外は窺い知れない。竜使いの言葉が続く。

「自分がなりたいものが忌み嫌われるなんて……もしこんな思いが知られたら、自分もどうなるかと怖くなった」

 そして、と言いながら窓辺に歩み寄り、手をかけたカーテンの隙間から外を覗いた。

「村の人の願う通りの竜使いにならなくてはと、思うようになったんだわ」

 村人の言葉はこの娘を縛り、縛られた娘の呪いの言葉に、逆に縛られるという負の螺旋を巡る事になったのである。

 やがて、竜を使う喜びが支配への欲望と変わった所を見透かしたように、よこしまな者が耳元で囁いた。

「最初、巡業先で笛を渡されたの。新しい笛を試してみないかって」

 それは笛職人と名乗った。彼の笛で吹くと地竜の反応が違った。今まで意思を伝えるのに、幾つかの曲を吹かねばならなかったが、その笛ではたちまち竜達が面白い様に動いた。思う通りにと言っていい程に。

「『すごい』って言われたわ。『これ程とは思わなかった』って……『もしかしたら、野竜も使えるんじゃないか』って……『使ってみないか』って」

 カーテンを握る手が、細かく震える。

「……使ってみたくなった。たまらなく……抑えきれないほどに」オフィルは顔を歪めると、喉奥から絞り出すように息をついた。「……それで、『眠った竜がいるが、使ってみる気はないか』って言われた……もう、何も考えずに承知したわ。相手がだれであろうと、もうその事しか考えられなかった」

「相手は?」

 仄かな灯りの中で、アシェルが訊く。

「……ゴンドバル」

 竜使いは、かき消えそうな声で答えた。

「竜を渡される時、条件を言われたの。今に王宮から招聘が来るから、それまで待てって。訳が分からなかったけれど、本当にそうなった」

 その辺りの事情なら、アシェルにも見当がついた。おそらくゴンドバルの密偵が、エルシャロンの重鎮達の周辺に噂を流したのだ。『今、竜使いの村に野竜を使う稀代の竜使いがいる』と。竜を恐れる者達にとって、それは裏を返せば願って止まないことだった。ラスタバンの来訪を控え、彼らの前で披露できたら、なんと素晴らしく誇らしいことだろう。

「そんな矢先、あなたに会った。あなたが、あの時の子だとは気付かなかったけれど、その髪とその目が……」オフィルはゆっくり振り返った。「暁の光と蒼天の青が、私の邪を激しく責めたわ。だから、あなたをエルシャロンに行かせられなかった。あなたに必ず止められると思ったから。でも!」

 苦しそうな銀の目が、切なく訴える。

「あなたを……あなたの周りにいる人たちを殺そうだなんて……そんな気持ちは少しもなかった! ただ……あなたをエルシャロンに行かせないでと頼んだだけなのに!」

 生死を賭けた厳しい間諜達の世界を、彼女が知るはずもなかったが、呪を持つ言葉は不信と恐怖の中で暴走した。アシェルの脳裏に、激しい剣戟の音が行き過ぎる。荒い息と呻きと血の匂い。呪われた時、呪われた場所、呪われた人々。大きな力を持つ言葉が行きついた、一つの結末だった。

 しばらくの沈黙の後アシェルは立ち上がり、竜使いに歩み寄ると、両手でその頬を包んだ。

「もう、君の呪いは解けた。でも、してしまったことは消えない。何であろうと、それを負っていかなければならない……」目を閉じ、呻くように息をつく。「そうだ、してしまったことは消えない。どんな理由であろうと」

 オフィルは目を見開いた。その言葉が、彼自身のことを言っているのだと気付いたからだ。更にその意味に思い至り、恐ろしさが急に襲ってくる。

 “竜殺し”――竜を殺す者。彼のその行為で、竜の呪いは解けた。

 しかし竜殺し自体は、呪われた行為であることに変わりはない。その名は彼自身、呪われた者であることを示している。竜の呪いを解くため、替わりに呪いを一身に負う者、それが“竜殺し”だった。しかも一度踏み出した使命は、底知れない暗い淵をどこまでも一人で歩むに似ている。

 オフィルは、彼の孤独を思って悲鳴を上げそうになり、口元を押さえた。が、更なる驚きに息を呑む。信じられないものを見たからだ。

 “竜殺し”が深い笑みを浮かべている。孤独の内には、あるはずのない笑みを。

 呆然とする竜使いに、アシェルは静かに語りかけた。

「俺は『言葉』を刻むことしかできない……君には『言葉』を歌ってほしい」


――この夜、新しい『竜の歌』が一つ、イディンに生まれた。



 晴天が続いて、オクラーテからイクスミラレスまで四日で着いた。


 タニヤザールからすぐ領主を訪ねろと言われたが、大滝を背景にそそり立つ城館を見上げると、気力がみるみる萎えてしまった。

 とりあえず、しなければならない優先順位を替えて、まずは薬種問屋に行き、それまでの契約の更新を行う。

 また、ここに出てきている浮き岩台地の新しい猟師頭と、ラスタバンとの新しい契約を結んだ。その際、気掛かりだったルゼ達獣人村のことを聞くと、本当にマルキウスによる焼き討ちに遭っていた。村人はいち早く逃げ出し難を逃れたが、更なる猟師頭の追撃に、あわやという所で彼の元にいた薬師に救われたらしい。これを聞いた東長が怒りに燃えた。自ら馬を走らせ、マルキウスをその剣の下に叩きのめし、ヴァルドからの追放を言い渡したのである。

「マルキウスを……叩きのめしたんですか?」

 思わず訊き返したアシェルに、新しい猟師頭は笑って頷いた。

「竜付きの女性です」


 そして今、城門は目の前にある。意を決して、胡散臭そうな視線を送る門番に歩み寄り、タニヤザールの手紙を示した。果してこんな下っ端に通じるかと思っていたら、たちまち正装をした執事に奥へと通された。

 目もくらむ貴賓室で、間もなく十代半ばの少年――イクスミラレス領主ナスラン・ヴァルエンド・デル・イクスミラレスと、上品な貴婦人――摂政であるその皇太后とが姿を現わす。アシェルはできる限り丁寧な挨拶をし、執事の持つ銀の小盆にタニヤザールの手紙を置いた。封蝋を解いた領主は、ざっと目を通して母親に紙片を渡すと、彼女がそれを読んでいる間、笑みを浮かべてアシェルの頭から足の先まで、じっくりと眺めやった。好奇の視線に晒され、調達人の見習いが手を組んだ肩を縮込ませる。

「これには」手紙を読み終えた皇太后が顔を上げた。「あなたの持っている革袋の中身を見る様にとあります」

 懐の袋を思い出したアシェルは、それを取り出した。先を促す視線の集まる中、袋の口を開いて掌に乗せる。領主たちの口から漏れる感嘆の声。生き物の拍動のように輝く石は、まぎれもなく竜石だ。

――あの夢見のか……

 若者は内心呟いたが、どういうつもりでタニヤザールがこんなことをしたのか分らない。

 皇太后はしばらく驚きの目を向けていたが、返事を書くので暫く待つようにと言い、部屋を出て行った。残った少年が、今度は尊敬の眼差しを向け、調達人の頭の包帯について訊いてくる。大した傷ではなく、これから医師を訪ねて抜糸してもらう予定だと答えると、わざわざ城内の典医を呼び、処置を施してくれた。イブライの薬も丁度この日に無くなった。

 皇太后からタニヤザールへの返信を受け取り、外に出た空には夕焼けが広がっていた。閉まる直前の郵便駅舎に飛び込むと、ラスタバンからの連絡事項は特に無かったが、換金手形が届いていて、二日前が満月の給料日だったことを思い出す。両替商はもう閉まっていたので、青通りへ向かい流水館に宿をとった。ひと月前頼んだジャッロへの手紙は、受け取った者は無いと伝えられた。


 翌朝、手形を換金した後は、もうラスタバンへ帰るばかりである。


 国境の町ブルブランを過ぎ、ラスタバン領に入った。ベントナ、キャベルを経、山越えの道を再び取って、ティムリアへ向かう。登り道の途中で夕立に遭うが、構わず進んで行くと、雨も止んだ頃に峠を越えて視界が開けた。日の長くなった夕暮の海が彼方に広がり、水平線のを跨いで大きな虹が弧を描く。その下には、宝石をちりばめたように海上の船と街の灯が瞬き、次第に宵闇が降りる様はまるで幻のようだった。


 厨房料理人の一番忙しい時間は、終わろうとしていた。しかし後片付けが待つ見習いにとって、これからが本番である。

 使用済みの食器の籠を運んでいたシムイは、中庭を横切るロバに気付いた。懐かしい赤毛にぱっと顔を輝かせ、入り口脇に籠を置くと、ロバの向かった使用人棟へ駆け出した。しかし、喜色満面にその中に飛び込もうとして、思わず足が止まる。玄関口の連絡板を見上げる見習いの眼差しが、気安く呼び掛けるには余りに沈んでいたからだ。

 エナムス親方が旅先で死んだことは、もう厨房の誰もが知っていた。けれど理由については諸説が飛びかっていて、真相は誰一人分からない。そこでシムイは、仲の良かった調達人の見習いから詳しい事情を聞こうと、彼の帰りを待ちわびていたのである。だが、その憂えた横顔を見るなり、自分の野次馬根性を酷く恥じて目を伏せた。厨房から兄貴分の叱責が飛び、彼は踵を返した。

 しばらく連絡版に目を止めていたアシェルは、備え付けの文字消しを手に取った。

 『調達人 エナムス アシェル  目的地 ファステリア・エルシャロン 四の月スコテの日より五十日から六十日』

 書かれた文字を、一字一字ゆっくりと消していく。


 出立の日、四の月スコテの日から、今日は四十八日目だった。





旅路全図

挿絵(By みてみん)

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