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ラスタバン王の給仕  作者: 平 啓
第四部
24/38

4.光臨

<旅程>

33日目

 未明~早朝~夕刻

  エルシャロン


「それがここなのかよ」

 カラックは壊れた鐘楼の上から、下に広がる野外庭園を見下ろした。混乱の会場はすっかり片づけられ、ところどころの抉れた石畳や、折れた木々の枝が数時間前の破壊の跡を留めている。常夜灯のみとなった灯りの中に、庭園を巡回している衛兵の影が浮かび上がっていた。

 竜使いと別れたアシェルが求めたのは、東を向く一番高い場所だった。ファステリアの者に尋ねると、庭園に向いた鐘楼だという。竜によって壊され危険なので近寄らない方がいいと注意を受けたが、若者は構わず歩を進め、その後をカラックが追った。鐘楼は一番上の屋根の部分が崩れ、鐘が見事に下まで落ちている。石段に重なる瓦礫の間を縫うように登り、何とか無事な見晴らし台に行きついた。

 屋根の抜けた頭上は満天の星だ。アシェルは大きく首を巡らし、星位置から見当を付けた東を向いた。北にあるワッシリ山から下ってきた最後の稜線の影が、星空を切り取っている。しばらくそちらへ目を投げかけていたが、やがてひびの入った柱元へ腰を下ろした。疲れたように石柱にもたれ、小さな息をつく。

 エルシャロンの街の灯を眺めていたカラックは、それに気付いて振り返った。床に置いたカンテラが、見習いの目を閉じた顔を仄かに照らしている。再びその口から溜息が洩れたので、ヴァルドは軽く首を傾げた。

「どうした?」

 アシェルは微かに頬を強張らせると、喉を鳴らした。

「竜は……来るんだろうか?」

 カラックが訝しむ。

「解けない呪いは無いと言ったのは、お前だぞ」

 若者はゆっくり頷いた。

「……竜からきた言葉ではないんです」そこで不意に顔を上げ、切羽詰まった口調で訴える。「でも! 竜が俺にさせた事を考えれば、そうであるはずです! そうでなければならないはず! だけど、それがもし……!」

 もし違っていたら――と、擦れた声が悲しげに漏れ、眼差しがゆっくりカンテラの灯りの上に落ちた。

「解けない呪いはない――本当にそうなのか……考えているうちに、分からなくなって……」カンテラの灯りを映す目元の光が小さく揺れ、頬が微かに震える。「本当に全ての呪いが解けるのなら、なぜ、ジャッロやルゼはあんな目に合うのか。なぜ、パシャンの猟師たちはデドロン谷へ行かないのか。マルキウスもイブライも……なぜ、あんなことに……」

 片手が上がり、顔にかかる自分の髪を摘んだ。

「ああ……やっぱり赤いや」苦しげな笑いが喉を突いたが、直ぐに力無い呻きに変わる。「赤毛は嘘つき……マニーは慰めてくれたけど、マニーだって言っている――シーリアは真面目な嘘つきだ」

「はあ?」傍に来たカラックが、腰に手を当ててアシェルを見下ろした。「なんだ、そりゃ。言ってる事が支離滅裂だぞ」

「俺は怖い……」

 細い声が吐く様に出る。

「……親方を、また絶望に落とすことになったら……どうしたら――いいのか」膝を抱えて丸められた肩が激しく震えだす。「俺は、真実を言っているんだろうか? オフィルには、言葉は竜から来ると言いながら、結局は自分勝手な願いを言っているだけじゃないのか?」

 腕の中に顔を伏せ、喉を締め付けられるような声が続く。

「俺は……俺は、本当は嘘つきなのかもしれない……」

 そこで小さな悲鳴となる。

「怖い!」

 カラックは顔を上げ、体を反らして輝く星々を振り仰いだ。天に溢れる白銀の瞬きが、竜の肢体を思い起こさせる。大きく息を吸い、握り締めた両の拳に一瞬の力を込めると、若者の横に腰掛けた。震える肩に腕を回して引き寄せる。

「アシェル」囁くように、しかし力強く呼びかける。「闘え」

 若い肩が小さく跳ね上がる。竜騎士は言葉を継いだ。

「言葉は、聞くだけなのか? 見える言葉があるだろう。そら思い出せ『竜の歌』を――」若者の肩を掴む手に力が入る。「お前が見た竜の言葉を信じる力は腰に巻く『帯』だ。腹にしっかり力を込めて、信じろ。そして言葉の真実はお前の持つ『剣』だ。高く掲げて、イディンに知らしめろ!」

 語りかけの内に、竜との闘いにあった高揚が湧き上がる。

「解けない呪いは無いと! 栄光も誉れも、その手に必ず返るのだと!」

 アシェルはゆっくりと顔を上げた。目の前に竜騎士の輝く笑みがあった。


………


しかし人よ、怯んではならない。

栄光はイディンの内にある。

誉れは勇者に与えられる。

帯を締めよ、剣を取れ。

今こそ、イディンに名乗りを上げる時。


頭を上げて、心を静めよ。

見よ、暁は玉座、蒼天は大路。


――竜が来た。  



「竜は……来る」

 暁の髪と蒼天の目を持つ若者は呟いた。



 ファステリアとの今後の折衝を終えたタニヤザールは、自室へと向かっていた。途中目を向けた廊下に、竜使いの真っすぐ立つ姿があった。淡い明かりの下で、青い衣が浮き上がっている。胸の高さに両の掌を上に向け、目を閉じ俯いた横顔が美しかった。

 エナムスの『その時』はまだ訪れていないようだった。彼の常人離れした体力に、医師と薬師達は驚いていたが、またそれ故に過酷な運命の中でここまで生き抜いてきたのである。それが幸か不幸か誰にも分らない。

 ただあれほど呪いの身を自覚しながら、筋切は大地イディンの法に忠実であろうとし、禁忌の怒りの刃を人にも己にも向けなかった。ある意味、この忠実が彼の生涯の歩みを支えていたのかもしれない。しかし、そのように生きる事が、どれほど困難である事か、タニヤザールは己自身を振り返って知っている。そして結局、困難の深さは彼の忠実を崩壊させ、生きる力を失わせた。

 だが――とタニヤザールは思う。――今、一切の力を失ったこの時に、筋切は初めて自身の望みを持ったのだ。あの若者の言葉の内に。


 扉の前に立っていた警護兵が、彼に気付くと駆け寄って耳打ちした。給仕長は片眉を上げると頷き、部屋の中へ入って行った。カーテンの開けたままだった窓から、外の常夜灯が部屋を仄かに照らし、一人の男の影を浮き上がらせている。タニヤザールは何も言わず、彼の横を行き過ぎると、執務机の向こうに回り、机の上のランプを点した。椅子に腰掛け目を上げ、灯りの中に浮かんだ隻眼の男を見詰める。

「……ずいぶんと、久しぶりの様な気がするな」

 ヴァーリックは、短い息をついて絞り出すような声を出した。

「……申し訳ありません」歯を食いしばり言葉を続ける。「三台目の重砲の発射についての責任は、全て私にあります。引き起こした事態の重大さに於いて、とても給仕長の前に出ることはかなわないと思い……思い、ましたが、勝手なことをして、また御迷惑をおかけしてはと心苦しく……」

 頬を強張らせ、腰のサーベルを執務机の上に置いた。

「取りあえずは警護隊長の役職を返上し、ラスタバン陸軍中佐の身分の解除を願い出に参りました」

 タニヤザールは机に置かれたサーベルを一瞥し、また警護隊長を見上げた。

「……どちらの人事権も私には無い」部下が口を開こうとするところへ、先に制する。「イルグ! 逃げるな!」

 ヴァーリックは息を呑んだ。竜騎士の銀の目が注がれ、有無を言わせない強い意志が、彼の為すべき事を指し示していた。

 しばらく後、給仕長は視線を落して、手に持っていた書類を広げた。

「先ほど、ファステリアと今後の予定について話し合ってきた。空中船の整備や事後処理で、出立が一日延びることになった。公的行事はそのままなので、姫君達には思わぬ自由な一日ができたと言う訳だ」

 顔を上げて微笑む。

「下の姫君が、お前の安否が知れないと心配で泣きまくったそうだ。もしものことがあったら、私の言うことを一生聞かないとまで言ったらしい」そこでなぜか鼻を鳴らす。「……朝になったら一番に顔を見せて、安心させて差し上げるのだな。行きたがっていたポニーの遠乗りにでもお誘いしろ」

 それまで緊張し続けていた警護隊長の頬が、漸くに緩むのを見て、タニヤザールは頷いた。

「ここにいる間は手が足りない。お前の処分については本国へ帰ってからだ。それまで、勝手は許さない」机上のサーベルに手を置く。「さあ、これを持って職務に当たれ」

 ヴァーリックは敬礼をすると、その通りにした。


 警護隊長が退出した後、タニヤザールは、ランプ近くに置いてあったハンカチの包みを引き寄せた。それを開くと、中から砕けた竜石が姿を現す。もはや竜騎士が触れても輝きは戻らず、濁った灰色の欠片があるばかりだ。竜石が自分の意志で、こうなることを選び取るとは思いもよらなかった。

「まったく、喧嘩っ早い奴だよ。まあそれで、俺と気が合ったのか」タニヤザールは小さく笑い、砕けた石の上に左の掌を置いた。「この十五年、お前とばかりいたな……」

 いつものように銀の煙草入れから煙草を取り出し、火をつけるためにランプを傾ける。深く吸い込みながら目を送った窓の外は、暁闇に常夜灯が変わらず浮かんでいた。

「竜の魂は、どこへ行くのだろうな……」


 再び前日の中庭に出たヴァーリックは、下の姫のいる部屋の窓の下に立った。腰に手を当て、それを見上げながら、愛らしい魂が楽しい夢を見ていることを願った。



 アシェルは東を向いて、両腕を前に差し出している。掌を上に、まるで落ちてくる何物かを受け取ろうとしているようだ。遥かな稜線に据えられた眼差しは、少しも動かない。腕を組んだカラックも若者の後ろから、白み始めた空から星が一つ一つ消えて行くのを見守っていた。

 夜が明ける。

 空の際の明るさが増すにつれ、山の影が濃くなる。

 風が出てきた。

 山からの風だ。庭園の上を吹き抜けて、木々の枝を揺らした。


「……来た」

 見習いが小さく呟き、カラックは稜線に目を凝らした。夜の藍色が抜け、透明な赤い光が山の影から滲み出ている。その一番強い中心から、白い光芒が一瞬に差し込んできた。目が眩んだのか、光の円環が浮き上がる。眩しさに目を細めたが、それは消えず、徐々に大きくなっているようにも見えた。

「――来た……来た、来た!」

 次第に強くなる若者の声。両腕が左右に大きく広がった。

 カラックは目を見張った。もはや目の錯覚などではない。

 金色の輝線を滑らせながら、円環が見る間に近づいてくる。

 周囲はそれと共に急激に明るさを増し、環の放つ光の中に溶けて行く。

 視界一杯にそれが迫った時、アシェルが叫んだ。

「――竜が来た!!」

 目の眩む巨大な光の輪が王宮に衝突した瞬間、激しい音と共に金の粒子が大気全体に煌めいた。

 途端に、数え切れないほどの大きな影の奔流が、あらゆる色の光を瞬かせながら、凄まじい勢いで彼らを包んだ。

 竜が――恐ろしい数の竜の群れが、暁の彼方から押し寄せてくる。その大波は鐘楼に立つ彼らにも真直ぐ迫り、カラックは思わず身構えたが、粟立つ感触の煌めきと共に体を突き抜けていった。

 四方を、いや頭上も足元もすべてを覆い尽くす、見回す限り一面の竜、竜、竜。

「元締! 竜が来た! 凄い!! こんなに……凄い!!」

 アシェルが周囲に首を巡らせ、歓喜の声を上げた。

「親方! 竜が来た!!」


 そして両腕を高く掲げ、その口から宣言の叫びがほとばしる。



魂よ、聞け。

今、イディンが応える。


竜がお前のもとにやってくる。

光よりの竜。

その栄光はお前のもの。

その誉れもお前のもの。

竜が知っている。


この地に満ちているものは何か。

それはイディンと同じもの。

もはや流離さすらう者はいない。

すべてが帰るその先を

竜が知っている。



魂よ、望み願え。

望み願え、魂よ。


竜の守りを――! 




 薄明かりに浮き上がる窓が、夜明けを告げる。最後の一本を吸い終わたタニヤザールが、立ち上がりかけた時。突然、衝撃に建物が揺れた。思わず机の端を掴んだ彼の眼に、砕けた竜石のぼんやりとした光が映る。同時に眩しい輝きが窓の外で起こり、部屋の壁に大きな光の影が横切った。竜石に走る閃光。立ち上った銀の粒子が形を成し、目を見張る竜騎士は震える声で呟いた。

「お前……!」

 それは吸いこまれるように天井の光影となり、壁を伝って床へと消えて行った。しかし窓からの壁を走る煌めく影は、次から次へと絶え間なく続いた。


 鼓動の高まりを覚えて、オフィルが顔を上げた瞬間、王宮が激しい音と共に揺れた。いきなり巨大な力の気配が身に迫り、圧する強さに恐怖を覚えて呼吸が荒くなる。

「……来る!」

 廊下の左右の端が明るくなるや、光が恐ろしい速さで近づいてくる。それが、壁や天井、床を伝って来ると分った瞬間、頭上から銀の光柱が竜使いに降りてきた。一杯に開かれた銀の目が、胸前の掌から光球が上がるのを捉える。それは瞬く間に扉をすり抜け、部屋の中へ入って行った。後には壁を走ってきた煌めく影が、竜使いの体の中を幾度も通り過ぎ、青い長衣を蒼穹のように輝かせた。


 思わぬ地響きにヴァーリックは足を踏ん張った。重砲の忌わしい記憶が、非常事態の緊張を呼び起こしたが、続くはずの警笛や警報の鳴る気配はない。間もなく中庭に面している建物の壁のそこここが、ちらちらと瞬きだした。最初は朝日のせいかと思ったが、直に影の部分にも現れ、幻覚を疑い強く頭を振った。しかし消えることの無い光は、次から次へと壁を伝い、流れるように行き過ぎる。突然、今まで見上げていた窓が音を立てて開き、歓声を上げた彼の姫が勢いよく飛び出した。小さな体が宙に浮く。警護隊長は慌てて駆け寄ると、落ちて来たその体を受け止めた。


 庭園を警護していた衛兵たちは、朝日に輝く王宮の壁の至る所で、閃光が走るのを呆然として見上げていた。やがて笑い声と怒号が、どこか高い所から降ってくる。その元が壊れた鐘楼からだと気付いて駆けつけると、遥か上の見晴らし台から逆さになった者が落ちかけていた。

「アシェル!! 馬鹿野郎! 暴れるな! コラ!!」カラックは見習いの片足を掴んだまま怒鳴った。「落ちる! 落ちるだろが!! この野郎! 暴れるなったら!!」

 しかし若者は、逆さになったまま手足をばたつかせ、狂ったように笑い続けている。その目からこぼれた涙が宙に飛び、地に落ちる前に消えていった。


 この朝エルシャロンの王宮では、あちこちで叫喚の上がる混乱に見舞われた。ほとんどが壁や床、天井に瞬く光が行き過ぎるのを見ただけであったが、ある者はそれは何かの大きな影だと言い、更には数え切れない竜の影だと口にする者もいた。

 また城下の街から、王宮全体が暁の光に包まれているのを、早朝の仕事に出た人々が目撃する。

 輝きはしばらく続き、全天が蒼穹に覆われる頃に終わった。



 そして同じ朝、筋切のエナムスが死んだ。



 調達人見習いと仲介人の元締は、共に仮埋葬に立ち会った。半年ほど後に遺骸を引き取りに来る手続きをすると、後はすることもなくなる。

 アシェルは、あてがわれた船室で深く眠った。



 その一日は、ラスタバンの姫達にとっては至福の時となった。

 下の姫は念願の遠乗りが叶い、騎馬術では初心者同然のファステリアの下の王子から、尊敬の眼差しを受けて有頂天となった。もっとも茨の藪を飛ぼうとして突っ込み、養育係からきついお小言を貰う。服はびりびりに破け、顔中絆創膏だらけとなって散々だったが、帰りは大好きな警護隊長の馬に一緒に乗ることができ、大いに満足だった。

 一方上の姫は、婚約者の王子と午前と午後を二人きりになるという、夢のような時を過ごした。庭園の咲き乱れる花の道には、どこまで行っても誰もいなかった。その甘い香りの満ちる中、熱い口付けが何度も交わされたのは言うまでもない。



 アシェルが目覚めたのは夕刻である。空腹を覚えていると、給仕長付きの青年がやってきて、給仕長が呼んでいる由を伝えてきた。何を思ってか上の空の彼に、食事のことを言い出せずにいる内、以前来たことのある船室へ通された。給仕長が若者の顔を見るなり、いきなり尋ねて来る。

「これからどうするかね?」

 目を瞬かせて、アシェルは訊き返した。

「……どうって?」

「明日、船は発つが、一緒に行くか……調達人の仕事をしながらティムリアに帰るか」

「帰りの仕事があるんですね」

 若者の問いに、タニヤザールは頷いた。

「まあ、見習いの君にでも出来る簡単なものだが、必要な手続きが二、三ある」言いながら数枚の書類を見せる。「詳しくはここに書いてあるが、どうするかね?」

「やらせてください」

 アシェルが答えた途端、腹の虫が鳴った。給仕長は眉を上げると、書類と契約印を渡しながら微笑んだ。

「船の食堂へ行きたまえ。いつでも何かしら食べさせてもらえるから」


 場所を聞いて食堂へ向かうと、テーブルに景気良く並べられた料理を前に、ヴァルドの男が上機嫌でそれらを平らげていた。若者に気付き、ひらひらと手を振る。

「よう、アシェル。お前も食え」グラスのベオル酒を気持ちよく飲み干す。「タニヤザールに呼ばれたんだろう? 帰りはどうすんだ?」

「仕事を片づけながら、ロバで帰ります」

 アシェルは彼の前に腰掛けると、鳥の煮込みとパンを取り分けて口に運んだ。

「せっかく空中船に乗れる機会だってのに、そりゃ随分と仕事熱心なこった。あんなに乗りたがっていたじゃないか」

 元締の言葉に、見習いは軽く肩をすくめた。

「仕事はしないと。見習いとはいえ、一応調達人ですから」顔を上げて問い返す。「元締はどうするんですか? 親子の名乗りを上げて、給仕長のところへ行くんですか?」

「やめてくれ」カラックは唸った。「今更行けるか、あんな所。竜騎士だろうが、俺はヴァルドなんだよ、今は」

 アシェルは眉を寄せ、思い起こした疑問を口にした。

「前に、東長がお母さんて言いましたよね……給仕長の奥方様って、東長なんですか?」

「いや、違うね。タニヤザールには、ティムリアにちゃんと奥方がいるんだ」見開かれた若者の目に気付き、手を振る。「いやいや俺が生まれた時、あいつは未婚だったよ。ま、なんだな、若気の至りってやつ?」

 そこでヴァルドは、うははと笑った。

「タニヤザールは、お袋に振られたのさ」それでも怪訝そうな見習いに苦笑する。「面倒臭い身の上なんだ。その内話すさ。それを言うなら、お前もだろ?」

 匙の先を向けられ、アシェルは首を傾げた。

「マニーの話はよく聞くが、親はどうした?」

 視線を落した見習いが、小さく答える。

「俺、捨て子だったんです……」

 カラックは身を引くと、首を振って大きく息をついた。匙を置き長い腕を伸ばして、テーブル越しに向かいの若者の肩に手を置く。

「……マニーに育てられて良かったな」見習いが顔を上げたので、もう一度言う。「な!」

「はい」

 アシェルは微笑んで頷いた。




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