9
ここから拓斗編です
「まじかよ・・・。」
つぶやいたのは誰に対してでもない。
体の奥から湧き上がるような熱を感じた、自分自身に対してだった。
香月沙夜は、ちょっとシャイでおとなしめの、同じ日本出身の女の子だ。
彼女は英語が苦手というよりも会話自体が苦手らしく、自分とは違いなかなかクラスメイトと仲良くなれないようだった。
そんな彼女を見かねて、最初のころは自分の知り合いにも会わせたり、みんなでご飯を食べたり遊んだりするときには必ず誘ったりしていた。
自分自身は初対面の人とでも初日で仲良くなれる上に、幼いころに父親の仕事の都合でカナダに住んでいたことがあり、そのため日常会話レベルの英語は不自由ない程度に習得できていた。
だから自分の中では沙夜は性格的な面でも言葉の面でもフォローしてやる対象だった。
面白いことに、言葉少なな彼女が一番嬉々として話すのは勉強に関することだった。
専門の話になると、とたんに目が輝いて饒舌になる。
沙夜は穏やかだけど自分の意見をしっかり持っている、芯のある女性だった。
最初のうちは、海外生活に不慣れな彼女を気遣ってあげているつもりだった。
しかしいつのまにかそれは逆になっていたような気がする。
彼女は目が合えば微笑んでくれて、朝会えば「おはよう」と声をかけてくれて、苦しくなるとよく愚痴を聞いてくれた。
気がつくといつもちゃんとそこにいて見守ってくれている、それでいてほっとする。
いつの間にか彼女はそんな存在になっていた。
今から1か月前、3年付き合った彼女と別れた。
3年のうち2年は日本とイギリスの遠距離恋愛だった。
イギリスに渡る前、一度自分から別れを切り出した。
自分も彼女も適齢期だし、おまけに自分の勝手で行くのに2年も彼女に待っていろとは言えなかった。
それでも待つ、と彼女が言ったとき、実はものすごく胸を打たれた。
だからその時、俺は帰国したら彼女と結婚しよう、そう心に決めた。
最初の一年はよかったように思う。
今の時代メールもチャットも、インターネット電話だってかけられる。
つながる方法はいくらでもある。
ただ、次の一年は正直なかなか連絡をとることができなかった。
課題の量がものすごく多くなったため常に提出期限に追われ、学校が終わった後は夜遅くまで調べものとレポートの作成。
しゃべっている余裕がなくなった。
メールの返事も遅れるようになった。
チャットにもつながなくなった。
さらに指導教官がかなりの理論派だったのも災いした。
理論の穴を徹底的に突かれ続け、埋めても埋めても次の矛盾点を指摘され、精神的に追い詰められていった。
そんな状況の中、彼女からメールが届いた。
『もう無理。別れよう。』
文字を見ても何がなんだかわけのわからないまま、彼女と話をしなければという想いが働いてすぐに彼女に電話をかけた。
すると、
『別れるって言ったらすぐに電話くれるんだね。』
そう言って、悲しそうに笑った。
そこで初めて俺は事態の深刻さに気がついた。
『ほんとに悪い。寂しい想いばっかりさせてる。でも、あと1カ月で帰るから。ここまで来たからあともう少しだけ待ってくれないか?』
文字通り「懇願」だったと思う。
でもそれは、彼女の涙声で断たれた。
『大丈夫だって思ったけど、ここまで頑張って来たけど、やっぱりもう無理だよ!一番つらいときにタクはいない。一番声を聞きたいときにそばにいない。もう、ひとりじゃ頑張れないよ・・・。』
受話器の向こうで泣き喚いた彼女に、言葉を失った。
確かに俺が悪い。
簡単に会える距離ではないからこそ、不安や寂しさを取り除くためにはもっともっと頻繁に連絡をとらなきゃいけなかった。
それを怠ったのは俺自身だから。
彼女との別れを簡単に了承できたわけではなかった。
ただ、彼女も俺自身もそのことをそれ以上じっくり話す気持ちの余裕はなく、とりあえず距離を置く、そんな結論になった。
今でもイギリスと日本で連絡もそれほどとれていないからこれ以上の距離なんてとれるはずもないのに、よほどお互い余裕がなかったんだと今考えると思う。
そうしていったん彼女の問題を棚上げにしたあとでなんとか課題を仕上げ、期日ぎりぎりにチューターにOKをもらって提出したその日。
朝から顔を合わせるクラスメイトクラスメイトみんなに「顔色悪いよ」と言われていた。
そのときは少し頭が痛いしぼんやりするかも、くらいにしか思っていなかったし、それは寝不足からくるものだろうと思っていた。
家に帰って寝れば治るだろうと思い、帰る前に大学でメールをチェックすると。
『やっぱりこれ以上は無理。もとには戻れない。』
彼女からのメールを見た瞬間、俺の中の何かがぷつりと切れた。
もう一回、拓斗編が続きます。