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私だってドレスが着たい!公爵令嬢の逆婚約破棄〜夜会に咲く二輪の華〜

作者: 山田りく
掲載日:2026/08/28

 

 シャンデリアの眩(まばゆ)い光が降り注ぐ絢爛たる大広間。


 その中心で、公爵令嬢アリアーナ・フォン・シルヴェスターは扇を強く握りしめていた。その隣には、なぜか胸を張り勝ち誇った笑みを浮かべる男爵令息ルシアンが並んでいる。


 周囲の貴族たちが息を呑むなか、アリアーナは高らかに宣言した。


「王太子アルフレッド殿下! 私、アリアーナは、あなたとの婚約破棄を要求いたします!」


 会場が静まり返る。しかし、指名された王太子アルフレッド・フォン・ローゼンベルクは取り乱す素振りすら見せなかった。冷徹とも取れる冷静さを漂わせ、ただ静かに佇んでいる。


 その時、殿下の傍らにいたピンクブロンドの愛らしい少女——男爵令嬢ミーナが「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げ、思わずアルフレッドの腕にしがみついた。アルフレッドは視線を和らげ、「大丈夫だよ」と優しく声をかけると、ミーナは顔を真っ赤にし、「も、申し訳ありません……!」と恐縮して身を引いた。


(……王太子の腕に反射的にしがみつく度胸も凄いが、いくら何でも距離が近くないか? というか、公爵令嬢の婚約破棄宣言よりそっちに驚くべきでは? )


 周囲の貴族たちが密かにツッコミを入れるなか、アルフレッドはアリアーナへと視線を戻した。


「……まずは理由を聞こう」


 静かだが威厳に満ちた声。アリアーナは意を決したように胸を張る。


「理由は三つあります! 第一に、あなたは夜会において、私に正装……つまり男装での出席を暗に求めました! 第二に、女性である私よりもあまりに肌が美しく、お顔が整いすぎていること! そして第三に……男性でありながら、本日も私よりあまりによく似合う恐ろしいまでに完璧なドレスをお召しであることですわ!」


(……待て、理由のすべてが『殿下の美しさとドレス姿に対する凄まじい嫉妬』ではないか? そもそも婚約破棄の理由になっていないのでは? )


 貴族たちが心の中で一斉に頭を抱えた。


 当のアルフレッドは持っていた扇を静かに開き、口元を隠した。その瞳の奥で、かすかにニヤリと笑みが浮かぶ。横にいるミーナは、なぜか「尊い……」とでも言いたげな顔でニマニマと二人を見つめている。


 今夜のアルフレッド殿下が身に纏っているのは、夜空の深みと静寂をそのまま織り上げたかのような、深遠なロイヤルブルーの最高級シルクタフタで作られた完璧なドレスだ。引き締まった身体のラインを極限まで美しく際立たせる計算し尽くされた仕立てでありながら、胸元から裾にかけて散りばめられた幾重もの繊細な銀糸の刺繍とダイヤモンドのパヴェワークは、まるで天の川そのものが揺らめいているかのような錯覚さえ抱かせる。


 さらに、動くたびに優美な波を描く重厚なトレーンと、袖口から覗く贅沢な最高級アラソンレースが、あらゆる淑女を過去のものにするほどの高貴で圧倒的な艶やかさを演出していた。自分を遥かに凌駕する絢爛華麗な姿に、アリアーナが嫉妬のあまり打ちのめされるのも無理はなかった。


 アルフレッドは扇を閉じ、朗らかにお礼を口にした。


「褒めてくれてありがとう、アリアーナ。だが、君の今日の装いも素晴らしいよ。上質なヴィーナスシルクが光を吸い込んで優美な陰影を描き、裾に向かって惜しみなく施された手刺繍のミネルヴァレースはまるで夜空に咲く大輪の薔薇のようだ。君の気品と若々しさを完璧に引き立てている。実に美しいドレスだ」


 言葉の限りを尽くした賞賛に、アリアーナの頬がわずかに赤らむ。しかしアルフレッドは、間髪入れずに冷静な反論を再開した。


「さて、弁明させてもらうが、君に男装を求めた覚えはない。だが暗に圧を感じさせたなら謝ろう。肌が綺麗なのは日々の規則正しい生活とスキンケアの賜物だ。君こそ、夜遅くに食べるチョコレートは控えた方がいい。そして顔が整っているのは……すまないが、生まれつきだ」


「ぐっ……!」


 アリアーナが言葉に詰まると、隣で機を伺っていた男爵令息ルシアンが反論しようと口を開きかけた。


 しかし、それを制するようにアルフレッドの鋭い追撃が飛ぶ。


「それに! アリアーナ、この件についてシルヴェスター公爵閣下は知っているのか? まさか君の独断で動いてはいないだろうな?」


 アリアーナは「うっ」と絶句した。完全に独断である。


「さらに言えば、これは家同士の契約であり、君の一存でどうにかなる話ではない」


 正論の嵐に、アリアーナの目にはうっすらと涙が浮かぶ。見かねたルシアンが、再び前に出た。


「そこまでにしてもらおう!」

「なんだ君は」

「俺は彼女の、こんやk——」

「ただの夜会のパートナーよ」


 アリアーナが即座に割り込んだ。

 ルシアンは「え?」と間抜けな声を上げる。


(……婚約者気取りだった男爵令息、ただのパートナーだったのか……可哀想に……)


 あまりの哀愁に貴族たちが同情するなか、アルフレッドはフッと息を吐き、「なるほど、それは失礼した。もう少しで終わるので待っていてくれ」とルシアンに告げた。ルシアンは「はい……」と小さく首を縦に振るしかなかった。


 アルフレッドは改めてアリアーナに向き直る。


「どうしてこんなことを?」


 アリアーナは少し不貞腐れたように唇を尖らせる。


「だって……」


 初めは小さな声だったが、だんだんと語気が上がり、最後は叫ぶように本音を吐き出す。


「……だって私だって、可愛くて綺麗なドレスが着たかったのよ!」


 アルフレッドは思わず圧倒された。彼女の突飛な行動の裏にあった、あまりに純粋で意地らしい願いに言葉を失ってしまう。


 その時、それまで二人を見守っていたミーナが、目をキラキラと輝かせて前に躍り出た。


「では、お二人ともドレスにしましょう!」


 アルフレッドは深く頷いた。「……それは良いアイデアだ」


 アリアーナもパッと顔を輝かせる。「ええ、それでいいわ!」


(……それでいいのか!? 王太子と公爵令嬢が二人揃ってドレスで並ぶという前代未聞の事態だぞ!? )


 貴族たちは心の中で激しくツッコミを入れたが、二人の間に漂うどこか微笑ましく確かな絆を感じさせる決着に、会場は大きな感動に包まれた。やがて一人が手を打ち鳴らすと、それは波のように会場全体へと爆発的に広がり、盛大な拍手と歓声が湧き起こった。


「よかったな、アリアーナ様!」

「素晴らしい! お二人ともお似合いだ!」

「ブラボー! ブラボー!」

「ローゼンベルク王家万歳! 殿下に栄光あれ!」


(……いや感動している場合か!? 王家万歳じゃないんだよ……まあ、万事解決したなら良しとするか……)


 鳴り止まぬ拍手と熱狂的な歓声の中、ミーナが誇らしげに胸を張る。


「それでは、私がデザインさせていただきます!」


 アリアーナは首を傾げた。「失礼ですが、あなたは……?」


「申し遅れました。私、ミーナ・フォン・ラグネル男爵令嬢と申します。殿下のドレスデザインを担当させていただいております」


 アリアーナは目を丸くし、ぽつりと呟いた。

「(……浮気相手じゃなかったのか)」


(……ただの思い込みとドレスへの憧れで婚約破棄を突きつけたのか、この公爵令嬢は……)


 貴族たちの呆れを含んだ温かな視線が、主役たちを包み込んでいた。


 ◆


 そして、次の夜会。

 会場の視線を独占していたのは、完璧なまでの美しさで並び立つ二人のドレス姿であった。


 最高級の生地と至高の刺繍が施されたドレスを纏ったアルフレッドとアリアーナ。互いの美を引き立て合うその神々しいお姿は、まさに至高の絵画そのものであった。


 その二人の後ろを静かに歩くのは、男爵令嬢ミーナ。


 特等席で推し活ができた彼女は、他人には絶対に見せられない怪しく歪んだ笑みを浮かべていたが、あまりに眩い王太子と公爵令嬢に目を奪われた人々には、彼女の表情など露ほども視界に入らなかったのが幸いであった。

お読みいただきありがとうございました。

こういう話があってもいいじゃない。

着たいものを着ればいい。

それだけのお話です。

それでは、また。

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