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そのバケモノ、俺じゃないです。 ~最強剣士と偽勇者のすれ違い喜劇~  作者: 蒼玲優


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第1話:魔境育ちの剣士と、座ったままの英雄

「ひぃぃぃっ! なんでこんな街中に、はぐれオークが出やがるんだよ!?」


王都から少し離れた宿場町。派手な鎧を着込んだ青年――偽勇者レオンは、腰を抜かして広場の石畳にへたり込んでいた。

彼の目の前には、身長3メートルを超える巨大な豚頭の魔物、はぐれオークが血走った目を剥いて咆哮している。レオンの剣は、すでに恐怖で震える手から滑り落ち、遠くへ転がっていた。


(無理無理無理! あんなの俺たちに倒せるわけないだろ! 誰か助けてくれ!)


レオンが心の中で悲鳴を上げた、まさにその時。背後からパーティーメンバーの熱狂的な声が響いた。


「見ろ! リーダーがあえて剣を手放したぞ!」


重戦士の男が興奮気味に叫ぶ。


「さすがですわ! 武器を捨てることでオークの油断を誘い、極限のカウンターを狙う構え……! なんて恐ろしい胆力!」


聖職者の少女が、祈るように手を組んで目を輝かせている。


(違う! 手汗で滑っただけだ! 頼むからお前らも一緒に逃げてくれぇ!)


仲間の過剰な信頼という名の「呪い」により、レオンは逃げることすら許されない状況に縛り付けられていた。


一方その頃。

広場の端を、一人の場違いな青年が歩いていた。


黒い外套に身を包み、腰に一振りの刀を帯びた青年、ジン。彼の目はオークではなく、広場に並ぶ屋台の「リンゴ」に釘付けになっていた。


(すごい。外の世界の果物は、近づいても毒液を吐かないのか……なんて平和なんだ)


ジンが生まれ育ったのは、人類の生存が許されない『魔境』。呼吸をするように命のやり取りが行われる極限環境から出てきたばかりの彼にとって、この町は天国だった。


ジンが感動に打ち震えながらリンゴに手を伸ばした瞬間。

苛立ったオークが、偶然近くにいたジンの方へと向き直り、丸太のような棍棒を力任せに振り下ろした。

すさまじい風圧とともに、死の影がジンの頭上に落ちる。


――カチッ


極めて小さな、硬質な音が鳴った。

ジンが刀の鍔を親指で弾き、瞬きの間に抜刀し、空間ごとオークを斬り刻み、再び鞘に納めた音だった。魔境で生き抜くため、彼の体は「自分に危害を加えるもの」に対して、思考を介さず全自動で神速の抜刀術を見舞うように最適化されている。


「……ん? 今、すごい突風が吹いたな。砂埃が目に入るところだった」


ジンが瞬きをした直後。

目の前にいたはずの巨大なオークは、まるで綺麗に切り分けられたブロック肉のように、ズレて崩れ落ちた。ドサリ、と重い音だけが広場に響く。


静寂が落ちた。


レオンは目を見開き、腰を抜かしたまま硬直した。

(あんなこと俺たちにできるかよ!? ムリムリ!! えっ誰? 誰がやったの!? クソっ、またあの『見えない暗殺者』か!? どこにいやがる!)


パニックに陥るレオンをよそに、パーティーメンバーたちが歓喜の声を上げて駆け寄ってきた。


「やりましたねリーダー! 剣すら抜かず、覇気だけで魔物を粉砕するなんて!」


「苦戦しているように見えたのは、我々に手本を見せるためのエンターテイメントだったんですね!?」


仲間たちの大声援に、避難し遅れた町民たちも「勇者様万歳!」と熱狂し始める。


(違う! 俺じゃない! 俺はただ座ってただけだ! ……でもここで否定したら、姿なき暗殺者の機嫌を損ねて殺されるかもしれない!)


極限の恐怖と保身から、レオンは引きつった笑顔を浮かべ、ただ無言でコクッと頷くことしかできなかった。

その光景を、少し離れた屋台の陰から見ていたジンは、戦慄していた。


(あの人、座り込んだままモンスターを真っ二つにしたのか……! しかも仲間たちが『剣を抜かずに覇気でやった』と言っている。外の世界の人間は、あんなバケモノばかりなのか!)


ジンの常識では、オークなどただの野良犬だ。しかし、それを「座ったまま不可視の攻撃で解体する」となれば話は別である。


(あんなバケモノに目をつけられたら、いくら俺でも命がない。絶対に目立たないようにしよう)


ジンは気配を完全に消し、逃げるように裏路地へと姿を消した。

数十分後。広場から離れた裏通りの市場。

ジンは、先ほどの恐怖を落ち着かせるように、再び未知のアイテムの物色に戻っていた。

そして、露店に積まれた「座布団」という名の未知のアイテムのフカフカした感触に魅了されていた。


(なんだこの柔らかさは。魔境にはこんな殺意のない道具は存在しなかったぞ)


ジンが手を伸ばした瞬間。

横から伸びてきた別の手が、同時にその座布団を掴んだ。


「あっ」


ジンが横を見ると、そこには先ほど広場で「座ったまま魔物を両断したバケモノ」が立っていた。


男――偽勇者レオンもまた、熱狂する仲間たちから「少し一人で休息したい」と嘘をついて逃げ出し、人間不信になりそうな心をこのフカフカの座布団で癒やそうとしていたのだ。

ジンの全身の毛穴が開き、冷や汗が噴き出した。


(やばい! さっきのバケモノだ! 殺される! 断ったらここで真っ二つにされる!)


パニックになる内心を必死に抑え込み、ジンは極限まで無表情を取り繕って、座布団からスッと手を離した。


「……これはそっちに譲ろう。遠慮するな」


一刻も早く立ち去りたい。その一心で放たれた低く冷たい声。

しかし、その言葉を聞いたレオンは、張り詰めていた糸が切れたようにパァッと顔を輝かせた。


「おまえ、良いやつだな! でも欲しかったんじゃないのか?」


レオンの目には、目の前の刀を持った青年が、自分に「英雄」としての重圧をかけてこない、ただの親切で無害な一般人に映っていた。暗殺者の恐怖で擦り切れた心に、その見返りを求めない優しさが染み渡る。


「……気にしなくていい。俺は急ぐのでな」


ジンはそれ以上関われば命がないと判断し、逃げるように背を向けて人混みに消えていった。

残されたレオンは、譲られた座布団を胸にギュッと抱きしめた。


「世の中、ああいう無害で親切な奴ばかりだったらいいのにな……」


その「無害な親切な奴」こそが、数十分前にオークを神速で解体し、自分を生き地獄に叩き落としている元凶だとは夢にも思わずに。

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