第7話:お風呂に入りたかったので地面を殴ったら、マグマが湧いて大惨事になりかけました
ルイスと契約を結んでから数日。
私たちの生活は劇的に向上した。
毎日、お昼時になるとジークフリート領から使いの者がやってきて、山盛りの食材を届けてくれるのだ。
新鮮な野菜、焼きたてのパン、そして何より最高級の肉、肉、肉。
コカトリスのステーキや、オークキングのローストなど、王都のレストランでも滅多にお目にかかれない逸品ばかりだ。
おかげで私の筋肉は喜び、肌艶もさらに良くなった気がする。
トムも頬に赤みが戻り、なんだか少し体がガッシリしてきたようだ。やはり食はすべての基本である。
だが、衣食住の「食」と「住」が満たされてくると、どうしても気になってくるものがある。
お風呂だ。
「……ベタつく」
私は自分の腕をさすり、眉をひそめた。
開拓作業で毎日汗をかいている。
井戸水で体を拭いてはいるが、それだけでは汚れが落ちきらない。
特に髪の毛がキシキシするのが耐えられない。
前世は日本人だった私にとって、湯船に浸かれない生活は地味にストレスだ。
「お嬢様、どうされましたか?」
瓦礫運びをしていたトムが、心配そうに声をかけてきた。
「トム。私、お風呂に入りたいですわ」
「お風呂、ですか。確かに、もう一週間近く入っていませんね」
「でしょう? 乙女として、これ以上の不潔ライフは許容できません。というわけで」
私は立ち上がり、裏庭を指差した。
「温泉を掘りますわよ」
「……はい?」
トムが間の抜けた声を出した。
「温泉って、そんな簡単に掘れるものですか? ボーリング調査とか、掘削機とか必要なんじゃ……」
「大丈夫ですわ。ここ、カルスト領でしょう?」
私は足元の地面をトンと踏んだ。
「カルスト地形ということは、地下には水脈がある可能性が高いですし、近くに火山もあります。つまり、深く掘ればお湯が出る確率が高いのです」
根拠は前世のうろ覚え知識だが、まあ当たらずとも遠からずだろう。
何より、私の勘が「ここ掘れワンワン」と告げている。
「さあ、ポチ。出番ですわよ」
「グルルゥ!(はいご主人!)」
昼寝をしていたポチを叩き起こし、私たちは裏庭の岩場へと向かった。
場所は、屋敷から少し離れた岩盤の上。
ここなら地盤も固いし、露天風呂にするには最高のロケーションだ。
「まずは私が穴を開けますから、ポチは土をかき出してくださいね」
私は腕まくりをして、地面に狙いを定めた。
スコップ? そんなまどろっこしいものは使わない。頼れるのはいつだってそう、この拳のみ。
「せえのっ……ふんッ!!」
気合とともに、右拳を地面に叩きつける。
ドォォォン!!
爆音とともに岩盤が砕け、直径2メートルほどのクレーターができた。
深さは1メートルくらいだろうか。
「グルルゥッ!」
すかさずポチが飛び込み、砕けた岩と土を猛スピードでかき出す。
その間に、私は次のポイントに狙いを定め、再び拳を振り下ろす。
ドカン! ザッザッザッ!
ドカン! ザッザッザッ!
私とポチの見事な連携プレーにより、穴はものすごい勢いで深くなっていった。
人間重機と魔獣ショベルカーの夢の共演だ。
作業開始から一時間。
穴の深さはすでに20メートルを超えていた。
「そろそろ水脈に当たる頃だと思うんですけど……」
私は穴の底で首を傾げた。
水が出る気配はない。
代わりに、なんだか足元が熱い気がする。
「お嬢様ー! なんか煙が出てませんかー!?」
地上から覗き込んでいるトムの声が聞こえた。
見上げると、確かに穴の中から白い煙……いや、湯気が立ち上っている。
「あら、やっぱり温泉ですわ! もう少しです!」
私は確信した。
この熱気は、温泉脈が近い証拠だ。
あと一息。最後の一撃で源泉を掘り当てる!
「いきますわよ……必殺、スーパー・ドリル・パンチ!!」
私は全身のバネを使い、錐揉み回転を加えた渾身の一撃を地面にねじ込んだ。
ズドォォォォォォォォォン!!!
地響きが鳴り渡り、足元の岩盤が完全に崩壊した。
プシューッ!!
裂け目から、猛烈な勢いで何かが噴き出した。
やった、お湯だ!
……いや、違う。
赤い。
ドロドロしている。
そして、熱いどころの話ではない。
「え」
噴き出したのは、真っ赤に煮えたぎるマグマだった。
熱波が顔を焼く。
髪の毛がチリチリと焦げる匂いがした。
(あ、これヤバいやつだ)
私は瞬時に悟った。
掘りすぎた。温泉脈を通り越して、マグマ溜まりを直撃してしまったらしい。
ゴボッ、ゴボボボッ……!!
裂け目が広がり、マグマが急激に水位を上げてくる。
まるで火山の噴火口の中にいるような状態だ。
「ポチ! 逃げますわよ!」
私はポチの首根っこを掴み、壁を蹴って垂直に飛び上がった。
空気を踏み台にするような跳躍で、一気に地上へ脱出する。
直後。
ドッパァァァァン!!
私たちがいた穴から、火柱のようなマグマが噴水となって吹き上がった。
周囲の岩が熱で溶け出し、あたり一面が灼熱地獄と化す。
「ひぃぃぃぃ! か、火山が! 庭に火山ができましたぁぁぁ!」
トムが腰を抜かして絶叫している。
私も冷や汗をかいた。
お風呂を作るつもりが、このままでは屋敷ごと全焼だ。
「ど、どうしましょう……埋めます? でも近づけませんわ……」
さすがの私も、マグマを素手で触るのは躊躇われる。火傷じゃ済まない。
私の物理耐性が勝つか、マグマの熱量が勝つか。
試してみたい気もするが、今はそんな場合じゃない。
その時だ。
「――何をしている」
呆れ果てたような、しかし凛とした声が響いた。
熱気が渦巻く現場に、一陣の冷たい風が吹き抜ける。
気づけば、空中に一人の男が浮いていた。
風魔法で飛行しているのだろう。銀髪のローブ姿、ルイスだ。
「あ、ルイス様! ちょうどいいところに!」
私は手を振った。
「挨拶に来たわけではない。領地の気温が急上昇したから様子を見に来たのだが……」
ルイスは眼鏡の位置を直し、眼下に広がるマグマの池を見下ろした。
「貴様は馬鹿か? なぜ庭に活火山を作っている」
「温泉を掘ろうとしたら、ちょっと手元が狂いましたの」
「手元が狂ってマントルまで到達する人間がどこにいる」
彼は深くため息をついた。
だが、その表情に焦りはない。
「下がっていろ。……『絶対零度』」
彼が短く詠唱し、掌をかざした瞬間。
パキパキパキパキッ!!
空気が凍りついた。
猛烈な吹雪が巻き起こり、噴き上がるマグマを包み込む。
数千度の熱量を持つマグマが、一瞬にして黒い岩へと冷え固まっていく。
凄まじい熱交換の音が響き、大量の水蒸気が爆発的に発生した。
視界が真っ白になる。
やがて蒸気が晴れると、そこには信じられない光景が広がっていた。
マグマは消え失せ、代わりに適温のお湯がなみなみと湛えられた、巨大な岩風呂が出来上がっていたのだ。
マグマの熱で地下水が温められ、それをルイスの氷魔法が絶妙に調整した結果だろう。
「す、すごいですわ……!」
私は駆け寄って、お湯に手を入れてみた。
大体42度(私調べ)。温いのが嫌いな私には完璧な湯加減だ。
「ルイス様、天才ですわ! 魔法ってこんなこともできるんですのね!」
「……ただの熱力学の応用だ。それより、あの深度まで素手で掘り進めた君の方が理解不能だがな」
ルイスは地上に降り立つと、私の手を見て眉をひそめた。
土で汚れてはいるが、傷一つない私の手。
「やはり、君の肉体強度はドラゴンの素材すら凌駕しているな。あとで細胞サンプルを採取させてくれ」
「お肉をくれるなら、爪の垢くらい差し上げますわよ」
「……垢はいらん」
ルイスは呆れつつも、どこか楽しそうに口元を緩めた。
「まあいい。君の馬鹿力と、私の魔法があれば、世界地図すら書き換えられそうだな」
「あら、素敵なプロポーズですこと」
「冗談だ。本気にするな」
彼はフンと鼻を鳴らし、踵を返した。
「礼はいらない。だが、次からは掘る前に相談しろ。私の領地まで灰まみれにされたらたまらん」
そう言って去っていく彼の背中は、なんだかんだで面倒見がいい「お隣さん」そのものだった。
こうして、我が家に待望の「露天風呂」が完成した。
源泉かけ流し(マグマ直結)の、世界一贅沢なお風呂だ。
私はその日の夜、満点の星空を見上げながら、久しぶりの入浴を堪能した。
極楽だ。
筋肉の疲れが溶け出していくようだ。
◇
一方、ジークフリート領の屋敷にて。
執務室に戻ったルイスは、興奮冷めやらぬ様子で羊皮紙にペンを走らせていた。
「推定深度300メートルを、道具なしで1時間以内に掘削……。しかもマグマの直撃を受けて、衣服は焦げているのに皮膚には紅斑ひとつなし……」
彼は震える手で眼鏡を押し上げた。
「熱耐性もSランクか。物理攻撃だけでなく、魔法攻撃への耐性も桁外れだということだ。……美しい」
ルイスの脳裏に、蒸気の中で笑うアレクサンドラの姿が焼き付いていた。
圧倒的な強者でありながら、どこか抜けていて、危なっかしい。
「目が離せないな。……本当に」
彼は書き上げた観察日記のタイトルに、『観測対象A:マグマより熱い女』と記し、満足げに微笑んだ。




