第69話:最高の相棒に別れを告げたら、ムキムキの執事と熊が『ペット』としてついてくることになりました
王城の扉を閉め、夜風に吹かれながら待っていると、闇の中から銀髪の影が現れた。
「お待たせいたしました」
私が言うと、ルイスは短く頷いた。
「ああ。……家まで送ろう」
「はい」
彼が指を鳴らすと、私の体がふわりと浮き上がった。
重力操作魔法だ。
ルイスは私を空中で抱き寄せ、いわゆる「お姫様抱っこ」の体勢で保持した。
シュンッ!
景色が一瞬で後方へ飛び去る。
私たちは音速に近い速度で、夜空を駆けていた。
風圧は彼の展開した結界によって完全に遮断され、腕の中は驚くほど静かで温かい。
眼下には、王都の灯りが星屑のように瞬いている。
「……綺麗ですわね」
「そうだな」
ルイスは前を見たまま答えた。
その横顔は、いつも通り涼しげで、何を考えているのか読み取れない。
「……君は、これからどこへ行くんだ?」
星空に包まれるような景色の中で、ルイスが唐突に問うた。
「さあ? 決めておりませんわ」
私は夜空を見上げた。
「東の果てに『武神の塔』があると聞きましたし、西の海には『幻の大王イカ』がいるそうです。海鮮系のタンパク質も気になりますし、気の向くまま、風の吹くままに参ります」
「そうか。……君らしいな」
彼は微かに口元を緩めた。
「ルイス様」
私は彼を見上げた。
この数ヶ月、一番近くで私を見ていてくれた人。
私の異常な力を恐れず、面白がり、そして支えてくれた人。
「これまで、私を守ってくださってありがとうございました」
王都での戦いも、ダンジョンでの冒険も。
彼がいなければ、私はただの力の制御ができない暴走列車だっただろう。
彼が道を作り、ブレーキをかけ、メンテナンスをしてくれたからこそ、私はここまで走ってこれた。
「……守ったつもりはない」
ルイスは素っ気なく言った。
「君は守られるような『か弱い令嬢』ではないだろう。筋肉の聖女殿」
「か弱いかもしれませんよ? 実は」
「ふっ。天地がひっくり返っても、有り得ん事だな」
彼が笑う。
私もつられて笑った。
こんな風に軽口を叩き合えるのも、これで最後かもしれない。
ヒュンッ。
空間が歪み、景色が変わった。
一瞬で聖筋肉独立国(カルスト領)に戻ってきたのだ。
眼下には、静まり返ったジムと、その奥にある私の屋敷が見える。
ルイスは私をテラスに下ろした。
「さて、では明日の旅路、気をつけてな」
彼は背を向けた。
引き止めない。
それが、彼なりの流儀なのだろう。
「はい! ありがとうございます」
「ではな」
彼が飛翔魔法を展開し、飛び去ろうとする。
「ルイス様」
私はその背中に呼びかけた。
「なんだ?」
彼が振り返る。
月明かりが、彼の銀縁眼鏡を白く光らせていた。
「貴方は、私の最高の相棒でした」
心からの言葉だった。
恋人でもない。友人とも少し違う。
私の背中を預けられる、唯一無二の理解者。
ルイスが目を大きく見開いた。
いつも冷静沈着な彼の瞳が、微かに、けれど確かに揺れた気がした。
数秒の沈黙。
やがて、彼は満足そうに目を細めた。
「……同意する」
短い言葉。
けれど、それだけで十分だった。
ルイスはマントを翻し、夜空へと消えていった。
きっと彼は、これからも遠くから私を観測し続けるのだろう。
水晶玉か何かで私の行動を覗き見て、「またあいつは……」と頭を抱えている姿が目に浮かぶようだ。
◇
「さて、ひとりぼっちですわね」
私はテラスの手すりにもたれかかり、大きく息を吐いた。
祭りの後の静けさが、心地よくもあり、少し寂しくもある。
これでいい。
私は一人で来て、一人で去る。
それが流儀だ。
「誰かをお忘れではありませんか?」
「えっ?」
突然の声に振り返ると、そこの庭には二つの影があった。
トムと、ポチだ。
「トム、ポチ。……どうしてここに?」
「ポチの散歩中に、空からお二人が降ってくるのが見えましたので」
トムはしれっと言った。
「お嬢様。お独りで、行かせませんよ?」
トムが真っ直ぐな瞳で私を見つめる。
以前の気弱な従者の面影はない。
そこには、一人の逞しい男の決意があった。
「あなた……」
「水くさいではありませんか! 俺とお嬢様は、一からこのカルスト領地を開拓した仲です」
トムが力こぶを作ってみせる。
「俺は誓ったんです。地獄の底まで……いえ、世界の果てまでお嬢様のお供をすると。この筋肉は、お嬢様の荷物を持つために鍛え上げたんですから!」
「グルァッ(俺もですご主人)!」
ポチも同意するように吠え、翼をバサバサと広げた。
背中には、私専用の特等席(鞍)がすでに取り付けられている。
「……ふふ」
私は思わず笑ってしまった。
そうね。
トムは私が「か弱い令嬢」を演じていた頃から、ずっとそばにいてくれた。
私の本性を知っても、逃げずに支え続けてくれた、最初の「共犯者」だ。
「そうね。あなたはずっと、私と一緒にいてくれたものね、トム」
「明日の馬車も用意済みですよ! どこへでもお供いたします!」
トムが親指を立てる。
なんて頼もしいのかしら。
彼がいれば、旅先でのプロテインの補給も、筋肉マッサージも安泰だ。
「頼もしいわ。ポチも来てくれるの?」
「グルゥ(はいご主人!)」
「ふふ。ペット二匹を置いていくわけにはいかないものね。飼い主としての責任ね」
「そうですよお嬢様! ……ん? ペット二匹?」
トムが首を傾げた。
「ポチは分かりますけど、もう一匹って……」
「あら、聞こえなくて? 明日は早いわよ!」
私はトムの疑問を笑顔でスルーして、手すりを飛び越えて庭に降りた。
「ゆっくり休んで、馬車を頼むわね! トム!」
「ちょ、お嬢様!? 俺もペット扱いですか!? 否定してくださいよ!」
トムの悲痛な叫びが夜空に響く。
ポチが「ドンマイ」と言うようにトムの肩をポンと叩いた。
一人旅の予定だったけれど。
どうやら、賑やかな道中になりそうだ。
こうして、旅立ちの夜は更けていく。
明日はいよいよ、私の旅立ちの日だ。




