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第68話:父と元婚約者に別れを告げに行ったら、最後にプロポーズされましたが笑顔で振ってきました

 

 ガンドルとゼノンに別れを告げた後。

 私が神殿(ジム)の外に出ると、建物の陰から一人の人影が現れた。


 月明かりに銀髪が輝く。ルイスだ。


「……別れは済ませたか」


 彼は静かに尋ねた。

 どうやら、中で話をしていたことに気づいていたらしい。

 それでも割って入らずに待っていてくれたあたり、彼なりの気遣いなのだろう。


「はい。おかげさまで」


「そうか」


 ルイスは短く答え、夜空を見上げた。


「明日の朝には出発するんだろう? 荷造りは済んでいるのか」


「ええ。ですが……」


 私は少し躊躇ってから、彼を見つめた。


「あの、ルイス様。お願いがあるのですけれど」


「なんだ? また変な魔導具の開発か?」


「いいえ。空間魔法で、連れて行って欲しいところがあるのです。……構いませんか?」


 私の言葉に、ルイスは少し驚いたように目を見開いた。


 空間転移は、魔力の消費が激しい高度な魔法だ。おいそれと頼めるものではない。

 だが、今の私には時間がなかった。


「行きたいところ?」


「はい! 父に、別れの挨拶を!」


 ルイスはふっと表情を緩めた。


「王都か。……いいだろう。手を」


 彼が差し出した右手に、私は自分の手を重ねた。

 ひんやりとしているが、大きな手だ。


「しっかり掴まっていろよ。舌を噛むな」


 ルイスが詠唱を紡ぐと、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。


 浮遊感。


 そして次の瞬間には、冷たい夜風が頬を撫でた。


 目を開けると、そこは満天の星空の下だった。

 眼下には、宝石箱をひっくり返したような王都の夜景が広がっている。


 一瞬で数百キロの距離を超えたのだ。


「……到着だ」


 ルイスは私を空中で抱き寄せると、ふわりと落下を始めた。

 いわゆる「お姫様抱っこ」だ。

 重力魔法で制御された落下は、まるで羽毛のように優雅だ。


「この辺にいる。用が済んだら声をかけろ」


 貴族街の一角、静まり返った路地裏に私を下ろすと、ルイスは気配を消して闇に溶け込んだ。

 本当に、気の利くパートナーだ。


「ありがとうございます、ルイス様」


 私は小さく礼を言い、目的の場所へと向かった。


 ◇


 『バーデン・サロン(筋肉教団・王都支部)』。

 かつてはお洒落な社交場だった建物は、今や24時間営業の会員制ジムになっていた。


 中に入ると、ほのかなアロマの香りと共に、静かな呼吸音が聞こえてくる。

 フロアの中心で、一人の男が胡座をかいて目を閉じていた。


 父、エイドリアン公爵だ。


 上半身裸で、彫像のような肉体を晒している。

 瞑想――いや、ただの瞑想ではない筋肉との対話をしているのだ。


 そう、筋肉瞑想をしている。


「……お父様」


 私が声をかけると、父の筋肉がピクリと反応した。


「むっ!? アレクサンドラ!?」


 父がカッと目を開く。

 その眼光は鋭いが、私を見る瞳は優しい。


「どうしたのだ、こんな夜更けに。……まさか、何かあったのか?」


「いいえ。ただ、顔が見たくなりまして」


 私は父の隣に座った。

 昔は、父とこうして並んで話すことなどなかった。

 父は常に忙しく、私は常に猫をかぶっていたから。


 でも今は違う。

 筋肉という共通言語が、私たちの距離を縮めてくれた。


「お父様。……私、明日、旅に出ます」


「……そうか」


 父は驚かなかった。

 静かに頷き、太い腕を組んだ。


「お前のことだ。一箇所に留まってはいられないだろうと思っていたよ」


「分かって……いらしたのですか?」


「親だからな。それに、お前のその目は、いつだって遠くを見ている」


 父は苦笑した。


「カルスト領は素晴らしい場所だ。だが、お前にとっては、『鳥籠』には狭すぎたのだろう」


「……すみません。勝手な娘で」


「謝ることはない。……行け、アレクサンドラ。世界を見てこい。そして、世界中に『筋肉の福音』を広めてくるがいい」


 父が私の頭を撫でた。

 その手は大きく、温かく、そしてゴツゴツしていた。

 昔は細かった父の手が、今はこんなに頼もしい。


「達者でな。まあ、お前ならどんな場所でも生きていけるのだろうが」


「はい! お父様も、お元気で。よい筋肉ライフを!」


 私は立ち上がった。

 湿っぽいのは似合わない。

 私たちは笑顔で拳を突き合わせ、別れを告げた。


「あ、お父様。ジェラルドはどちらに?」


 去り際、私は思い出したように尋ねた。


「む? 王太子なら、城だろう。この時間は執務室で公務を片付けているはずだ。……用があるのか?」


「はい。一応、お別れを」


 父はニヤリと笑った。


「そうか。……あやつも、随分と変わった。今のあやつなら、お前の言葉も届くだろう」




 ◇




 路地裏に戻ると、ルイスが壁にもたれて本を読んでいた。


「済んだか」


「ええ。……あの、寄り道、よろしいですか?」


 私が申し訳なさそうに言うと、ルイスはパタンと本を閉じた。


「……この際だ。どこにでも連れて行ってやる。どこへ行きたい?」


「王城へ」


「了解した」


 再び、視界が歪む。

 今度の転移先は、王城のテラスだった。


 突然の侵入者に、警備兵が騒ぐ暇もなかった。


「ぬわぁっ!? な、なにやつ!?」


 バルコニーで夜風に当たっていたらしい国王陛下が、驚いて飛び上がった。

 その横には、書類を持ったジェラルドがいる。


「驚かせて申し訳ありません、陛下」


 私がカーテシーをすると、国王陛下は目を丸くした。


「おおっ!? これは……聖女アレクサンドラ殿!!」


「マスター・アレクサンドラ!?」


 ジェラルドが駆け寄ってくる。

 彼は王都に戻ってからもトレーニングを欠かしていないようで、王族の服の上からでも分かるほど体が引き締まっていた。


「どうされたのですか? こんな夜更けに……何かトラブルでも?」


「いいえ。少し、貴方にお話がありまして」


 私はジェラルドの目を見た。


「ジェラルド。少しお話よろしいかしら?」


「……はい。喜んで」


 ジェラルドは何かを察したのか、真剣な顔で頷いた。

 国王陛下も「若いもん同士で話すがよい」と気を利かせて退室してくれた。


「俺はここで待つ。終わったら声をかけろ」


 ルイスが背を向ける。

 私はジェラルドと共に、城内の「ある場所」へと向かった。


 ◇


 辿り着いたのは、大広間。


 王立学園の卒業パーティーが開かれ、私が婚約破棄を告げられた、あの因縁の場所だ。


「懐かしいですわね、ここ」


 誰もいない広間。

 月光が差し込み、静謐な空気が漂っている。


「私は、ソフィに魅了をかけられていたのでうっすらとしか記憶がありませんが……」


 ジェラルドが痛ましげに顔を歪める。

 彼にとっては、思い出したくもない悪夢の場所かもしれない。


「ここから、全てが始まったのです」


 私はバルコニーへと続く階段の手すりに触れた。

 かつて、私が握りつぶしてしまった手すりだ。


「直ってる……。あら、これ」


 手触りが違う。

 以前の錬鉄製ではない。もっと硬く、魔力を帯びた冷たい感触。


「オリハルコン製ですわね」


「ああ。君がまた壊してもいいように、特別に発注して作り直したんだ」


 ジェラルドが苦笑する。


 床の大理石も、以前より厚みのあるものに張り替えられている。


 どうやら、ここは「対アレクサンドラ仕様」に改装されたらしい。


「マスター・アレクサンドラ……いや、アレクサンドラ」


 ジェラルドが私を呼んだ。

 その声から「マスター」という敬称が消えていた。

 一人の男としての声だ。


「はい?」


「……私は、貴女に許されないことをした」


 彼は拳を握りしめ、悔しげに俯いた。


「君を信じず、あんな茶番で君を傷つけ、追放した。……取り返しのつかない過ちだ」


「魅了のせいです。貴方は悪くありませんわ」


「それは言い訳だ!」


 ジェラルドが叫んだ。


「魅了など、心の隙がなければかからない。私は、心の弱さに負けたのです。王太子としての重圧、君への劣等感……その弱さに付け込まれ、ソフィの傀儡となった」


 彼は自分を責めている。

 真面目な人だ。


「私にとっては、よいことでしたわ」


 私は手すりを撫でながら言った。


「おかげで、夢のような景色を見せていただけました。カルスト領での日々、仲間たちとの出会い、そして……本当の自分(筋肉)をさらけ出せる自由。すべて、あの日貴方が私を追放してくれたから手に入ったものです」


 私は振り返り、彼に微笑んだ。


「むしろ、感謝しているくらいですわ」


「アレクサンドラ……」


 ジェラルドは私を見つめ、そしてゆっくりと跪いた。


 騎士の礼。

 そして、求婚のポーズ。

 彼は震える手を、私に差し出した。


「ジェラルド?」


「こんな私でも、まだ貴女を愛している」


 彼の瞳に、揺るぎない光が宿る。


「私に償わせてくれ。そして、貴女のこれからを、私に背負わせてくれ。私と……再び、婚約を結んで欲しいのです。今度は、偽りのない、本物の私と」


 真っ直ぐなプロポーズだった。

 王太子という地位も、過去のしがらみも捨てて、ただ一人の男として。


 その手を取れば、私はこの国の王妃となり、幸せな生涯を送れるだろう。

 彼はきっと、私を大切にしてくれる。


 でも。


「……その婚約の申し込み」


 私は彼の手を取らなかった。

 代わりに、スカートの裾をつまみ、最高の笑顔で言った。



「謹んで、お断り致します」



 静寂。


 ジェラルドの手が、空中で止まったまま震えた。


「……ふっ」


 やがて、彼は小さく息を吐き、自嘲気味に笑った。


「貴女なら、そう答えるような気がしていた」


「ジェラルド」


「分かっています。それ以上は、言わなくていい」


 彼は立ち上がらなかった。

 跪いたまま、その手をゆっくりと下ろした。


 振られたショックはあるだろう。


 でも、その顔はどこか晴れやかだった。


 全てを出し切り、そして結果を受け入れた男の顔だ。


「……そうですか。わかりました。それでは、また会う日まで、ごきげんよう」


 彼は顔を上げ、私を見送るように微笑んだ。


「ジェラルド。そこ、通りましてよ」


「おっと、これは失礼。どうぞ、我が愛しの姫君」


 ジェラルドは跪いたまま、大げさに道を譲る仕草をした。


 かつての、気弱だった王子様の面影はない。

 そこには、失恋すらも糧にして強くなった、一人の「漢」がいた。


 私は彼の前で立ち止まり、最後のカーテシーをした。


 深く、優雅に。

 感謝と、敬意を込めて。


 そして、出口の分厚い樫の木でできた重厚な大扉のドアノブに手をかけた。


 ギギギギギ……。


 かつては吹き飛ばした扉を、今はゆっくりと、自分の手で開く。


 今日は、ドアノブを回して扉を開けたいような繊細な気分なのだ。


 その先には、新しい世界が待っている。


 外の風は、とても暖かった。


 私は一度も振り返ることなく、再び新しい人生への一歩を踏み出した。


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