第64話:概念攻撃で筋肉を消されかけましたが、ウチのポチ(天使)が覚醒して道を開いてくれたので、全力のデコピンで魔神を星送りにしました
体が、消えていく。
手足の感覚が希薄になる。
かつて鋼鉄のように硬かった私の腕が、今は枯れ木のように細く、頼りなくなっていた。
「くっ……!」
私は膝をついた。
立ち上がろうとするが、力が入らない。
これは疲労ではない。「存在の消失」だ。
虚無の王が展開した固有結界『無の理』の中で、私のアイデンティティである「筋肉」という概念そのものが否定され、抹消されようとしている。負けるもんですか!
「カカカ……。無様だな」
虚無の王が玉座から見下ろす。
「物理最強? 笑わせる。所詮は物質。理の前では塵に等しい」
彼は指を振った。
それだけで、ジェラルド、ルイス、ゼノンが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
彼らもまた、動くことさえできない。
「マスター・アレクサンドラ……! 申し訳ありません、私の力が足りないばかりに……!」
ジェラルドが涙を流して悔しがる。
「くそっ、魔力が練れん……! 概念ごと書き換えられるとは……!」
ルイスが歯噛みする。
彼の絶望的な顔を初めて見た気がする。
その時だった。
パァァァァァァ……!
天井の梁の影から、神々しい光が降り注いだ。
「グルァアアアアアッ(ご主人〜! そろそろ魅せプしたいと思います!)!!」
雄々しく、かつ慈愛に満ちた咆哮。
光の中から舞い降りたのは、巨大なペットの犬(熊)――ポチだった。
背中の天使の羽が大きく広がり、全身が白銀に輝いている。
そして何より、その頭上には、プロテインの粒子でできた「天使の輪」が浮かんでいた。
「ポチ……!」
ポチは私たちの前に着地すると、仁王立ちになった。
そして、恍惚の表情で両手を広げ、天を仰いだ。
ファッサァァッ!!
彼が羽ばたくと、羽からキラキラと光る粉が撒き散らされた。
それはただの光ではない。
濃厚な生命エネルギーの結晶――『高純度マッスル・パウダー』だ!
「グルルゥ(さあ、みんな! プロテインの時間だよ!)!」
粉が私たちに降り注ぐ。
鼻から吸い込んだ瞬間、体の奥底から爆発的な熱が湧き上がった。
ドクンッ!!
「こ、これは……!?」
萎びていた腕に、力が戻ってくる。
いや、それだけではない。
失われたはずの筋肉が、超高速で再生し、さらに以前よりも太く、強くビルドアップされていく!
「おおおおッ!! 力が……力が溢れてくるぞォォッ!!」
ジェラルドが叫び、立ち上がった。
彼のシャツが弾け飛び、鋼鉄の肉体が露わになる。
「愛だ……! これは、ポチ殿のアレクサンドラ嬢への無償の愛だ! そうか……君もまた、彼女に恋する男の一人だったのか!」
ゼノンも復活した。
彼の黒い鎧が、内側からの圧力でミシミシと悲鳴を上げている。
「な、なんだと……!?」
虚無の王が狼狽する。
「貴様ら、なぜ動ける!? この空間では筋肉は否定されているはず……!」
「否定? させねえよ」
ポチがニヤリと笑って言った(ように見えた)。
彼は片手でポージングを決めた。
サイドチェスト。
ボゥッ!!
ポチの全身から放たれた「存在感」が、周囲の空間を歪ませ、虚無の結界を物理的に押し返したのだ。
筋肉の密度が高すぎて、概念すらもねじ曲げている。
「今だッ!! こじ開けるぞ!!」
ジェラルドが叫び、剣を構えた。
「マスター・アレクサンドラへの愛を! この一撃に乗せて!!」
「我が愛の剣技、受けてみろォッ!!」
ジェラルドとゼノンが同時に飛び出した。
二人の体は、ポチの粉によって極限まで強化されている。
虚無の王が慌てて防御壁を展開する。
「無駄だ! 消えろ!」
だが。
ズドォォォォォン!!
二人の剣が、見えない壁に突き刺さった。
火花が散る。
物理無効? 関係ない。
彼らの剣には、理屈を超えた「執念」が乗っている。
「開けぇぇぇぇッ!!」
「貴女の道は、私たちが切り開くッ!!」
バリンッ!!
硬質な音がして、虚無の壁に亀裂が入った。
そこへ、ルイスが杖を向けた。
「……まったく。どいつもこいつも脳みそまで筋肉で困る」
ルイスは苦笑し、しかしその瞳には強い光を宿していた。
「だが、計算式は整った。……物理が通じないなら、この場の物理法則を書き換えればいい」
彼の杖から、幾何学的な魔法陣が展開される。
「術式強制執行。『質量保存の法則』『運動エネルギー保存の法則』……全リミッター解除!」
カッ!!
ルイスの魔法が、亀裂に吸い込まれた。
その瞬間、虚無の空間に「色」が戻った。
空気が震え、音が戻り、そして「痛み」という感覚が復活する。
ルイスが叫んだ。
「行け、アレクサンドラ!!」
彼は私を見た。
その目は、いつもの研究者のものではなく、一人の男としての熱を帯びていた。
「君が突き進む道は作った。……君は振り返らないからこそ、美しい!」
「ッ……!」
私は地面を蹴った。
ありがとう、みんな。
振り返らない。
貴方たちが作ってくれたこの道を、私はただ真っ直ぐに駆け抜ける。
ジェラルドが、ゼノンが、ポチが、私のために体を張って維持してくれている「道」。
彼らがどうなろうと、私が立ち止まることは許されない。
それが、彼らの想いに応える唯一の方法だから。
私はトップスピードに乗った。
筋肉と魔力、そして仲間たちの想い。全てが私の中で一つになる。
ルイスが、走り去る私の背中を見て呟いたのが聞こえた気がした。
「そうだ。だからこそ、私は君を……」
その先の言葉は、風切り音にかき消された。
目の前には、驚愕に目を見開く虚無の王。
「ば、バカな……! 概念結界が……人間ごときにぃぃッ!?」
「人間ナメないでくださいまし!」
私は右腕を引いた。
全身のバネを使い、弓のようにしなる。
理屈?
そんなものは知らない。
筋肉があるから動くのではない。
「動く」という意志が、筋肉を創造し、世界を動かすのだ!
これが、私の答え。
これが、私たちの「筋肉律」だ!
「くらえッ!!」
私は跳躍した。
狙うは、虚無の王の額。
全てのエネルギーを、右手中指の爪先一点に収束させる。
黄金の光が渦を巻き、小さな銀河を作り出す。
「星送り流・最終奥義……」
時間が止まる。
王の顔が、恐怖に歪むのが見えた。
「『超筋肉・デコピン』ッ!!!」
パチンッ。
指が弾かれた。
その瞬間、世界が反転した。
音を超えた衝撃。
光の柱が虚無の王を貫通し、王城の壁をぶち抜き、雲を割り、そのまま宇宙空間へと突き抜けた。
「オオオオオオオオオッ……!!」
虚無の王が断末魔を上げる。
実体を持たないはずの影の体が、物理的な衝撃で霧散し、光の粒子となって崩壊していく。
衝撃波で、王城の窓ガラスが全て割れ、遠くの山が一つ消し飛んだ気がするが、些細なことだ。
私は着地した。
残心。
指先から立ち上る煙を、フッと吹き消す。
「……ふぅ。いい手応えでしたわ」
振り返ると、そこにはボロボロになりながらも笑顔で親指を立てる男たちの姿があった。
ジェラルド、ゼノン、ルイス。そしてポチ。
私たちは勝ったのだ。
理不尽な概念に、筋肉という理不尽で。
だが、まだ終わりではない。
消滅しかけた黒い霧が、床の上で小さく蠢いている。
魔神の本体だ。
力を失い、掌サイズのスライムのような姿になっている。
「……ギギ……ニク……ニクイ……」
恨み言を漏らす魔神。
私はその前にしゃがみ込み、ニッコリと笑いかけた。
「あら、まだ元気そうですわね」
さあ、話し合いの時間だ。
このしぶとさ、ただ倒すには惜しい。
うちのジムで、サンドバッグ……いいえ、トレーナーとして雇ってあげようじゃないか。
「魔神さん? 筋肉はお好き?」




