第63話:玉座の間へ。そこには変わり果てた姿(干ししいたけ)になったお父様と国王陛下の姿がありました
王城の最上階。
私たちがたどり着いたその場所は、異様な静寂に包まれていた。
バーンッ!!
私が勢いよく押し開けた両開きの扉の向こうには、かつて見たこともない「灰色の空間」が広がっていた。
玉座の間。
かつては深紅の絨毯が敷かれ、金銀の装飾が輝き、荘厳な空気に満ちていたこの国の心臓部。
だが今は、色がない。音がない。
まるで古いモノクロ写真の中に迷い込んだかのような、絶対的な「無」の気配。
「……よく来たな、蛮族ども」
玉座に座っていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
あれは多分……宰相だ。
かつてエイドリアンお父様の不敬を咎め、王太子に忠誠を誓っていた実直な男。
だが今の彼は、目から漆黒の霧を噴き出し、肌は土気色に変色している。その輪郭すら曖昧に揺らいでいた。
「貴様が……元凶か」
ジェラルドが剣を突きつける。
宰相の体からは、あの魔神や魔剣と同じ、いやそれ以上に濃密で底知れない瘴気が漂っている。
「宰相ではない。我は『虚無の王』。魔神の欠片を統べる者であり、この世の全てを静寂へと還す者だ」
虚無の王と名乗った男は、感情のない声で告げた。
その声を聞くだけで、体中の力が抜けていくような、冷たい泥を流し込まれたような感覚に襲われる。
「お父様は……国王陛下はどこですか!」
私が叫ぶと、虚無の王は退屈そうに指を弾いた。
バサリ。
玉座の後ろにある壁にかかっていた巨大なタペストリーが落ちる。
そこに隠されていた光景を見た瞬間、私の思考が凍りついた。
「……ッ!!」
そこに張り付けられていたのは、二つの「枯れ木」だった。
いいえ、よく見れば人だ。
かろうじて、王冠と公爵家の礼服を纏っていることで識別できる。
だが、その中身は……。
「ち、父上……!? バーデン公……!?」
ジェラルドが悲鳴のような声を上げる。
そこにいたのは、水分と栄養、そして何より誇り高き「筋肉」を極限まで吸い尽くされ、ペラペラの皮だけになった国王陛下と、お父様だった。
まるで、天日干しにされた干ししいたけのようだ。
以前の、服の上からでも分かったあの雄々しい筋肉の隆起は、微塵もない。
「う、うぅ……き、んにく……かえ……して……」
かろうじて息はあるようだが、口から漏れるのは虚しい呟きだけ。
それは、生きていると言うより、ただ「存在させられている」だけの状態だった。
「なんてこと……」
私は震えた。
悲しみではない。
煮えたぎるような怒りで、視界が赤く染まる。
あの方たちが、どれだけの努力をしてあの肉体を手に入れたと思っているの?
激マズのプロテインを飲み干し、筋肉痛に耐え、日々の業務の合間を縫ってスクワットを重ねてきた、血と汗の結晶なのだ。
それを、こんな風に。
ただのエネルギー源として吸い尽くして、ゴミのように張り付けるなんて。
「貴様ぁぁぁッ!! よくも私の大切な『筋肉の民』たちを!!」
ドゴォン!!
私は床を踏み抜いた。
石畳が爆散し、私は砲弾となって飛び出した。
手加減はしない。
いきなりトップスピードで、虚無の王の懐に飛び込む。
「私の筋肉を味わいながら償いなさいッ!!」
怒りの正拳突き。
ミスリル・ゴーレムすら粉砕し、ブラック・ドラゴンをワンパンで沈めた、私の全力の一撃だ。
これが当たれば、どんな存在だろうと原子レベルで崩壊するはず。
だが。
スカッ。
手応えがなかった。
私の拳は、虚無の王の顔面をすり抜け、そのまま玉座の背もたれを粉砕した。
「……あれ?」
私は勢い余ってつんのめりそうになり、踏みとどまった。
振り返ると、虚無の王は何事もなかったかのように、揺らめく煙のように再構成され、座り直している。
「無駄だ。我は『虚無』。実体を持たぬ概念そのもの」
彼が冷ややかに笑う。
「物理攻撃など、空を切るのと同じこと。貴様のその自慢の筋肉も、我の前では無力な肉塊に過ぎぬ」
「物理無効、ですか……。また面倒な相手ですわね」
私は舌打ちした。
先程足止めしてきた手下もそうだった。
あの時はゼノン様の「愛の力」や、ガンドル陛下の「精神論」が通じた。
こいつも何かしらの理屈で殴れるはずだ。
「ならば、魔法はどうだ!」
ルイスが杖を構える。
「『氷結界・絶対零度』!」
極大の冷気が虚無の王を包み込む。
だが、氷は彼に触れる前に黒い霧に飲み込まれ、消滅した。
「魔法も効かない……!?」
ルイスが目を見開く。
「我は魔力の根源に近い存在。下位の魔術など、我の一部に取り込まれるだけよ」
虚無の王が手をかざす。
掌から、黒い波動が放たれた。
「消えろ」
ドォォォン!!
衝撃波が私を襲う。
とっさに腕をクロスして防御したが、凄まじい圧力に体が吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
私は床を転がり、壁際まで弾き飛ばされた。
痛い。
手錠が外れて身体能力がゴッド級に爆上がりしているはずなのに、受け止めきれない重さ。
「マスター・アレクサンドラ!」
ジェラルドが駆け寄ってくる。
「おのれ……! よくも!」
ジェラルドが剣を抜き、果敢に斬りかかる。
だが、彼の剣もまた、空しく空を切るだけだった。
「邪魔だ、小僧」
虚無の王の一瞥だけで、ジェラルドも見えない壁に弾き飛ばされる。
「くそっ……! 触れることすらできないのか!」
万事休すか。
私が歯噛みした、その時だった。
ドガァァァァァン!!
玉座の間の天井が崩落した。
瓦礫と共に、黒い影が降ってくる。
「お待たせしましたー! アレクサンドラ嬢!!」
ズドンッ!!
着地と同時に衝撃波を撒き散らし、土煙の中から現れたのは――黒い鎧の騎士だった。
「ゼノン様!?」
私は驚きの声を上げた。
彼は城門で、部下の一人と戦っていたはずだ。
「間に合ったようですね」
ゼノンは肩で息をしながら、しかし爽やかな笑顔で私にウィンクした。
鎧はボロボロで、あちこちから血を流しているが、その瞳は燃えるように輝いている。
「敵はどうなさったのです?」
「ガンドル陛下にお任せして、追ってきました! 陛下が『師匠のピンチかもしれん! 筋肉がそう叫んでいる! ここは余が一人で引き受けるゆえ、行け!』と仰ってくださいましたので!」
なんと。
あの脳筋王が、そんな賢く男気のある判断を。
後で特製プロテインを贈らなくては。
「愛する貴女を一人で戦わせるわけにはいきません。このゼノン・アイアンハート、貴女の盾となり剣となりましょう!」
ゼノンが『黒曜丸』を構え、虚無の王に対峙する。
「ほう。仲間が増えたところで、結果は変わらんぞ」
虚無の王は興味なさげだ。
「やってみなければ分かりませんよ! 私の愛は、虚無すらも切り裂く!」
ゼノンが踏み込み、愛のオーラ(ピンク色)を纏った斬撃を放つ。
以前、霊体を斬った必殺の一撃だ。
これなら……!
ジュッ……。
だが、斬撃が虚無の王に触れた瞬間、ろうそくの火が消えるように、オーラがかき消された。
いや効かんのかい。
「な……ッ!?」
ゼノンが驚愕する。
「愛? 希望? 熱血? ……くだらん」
虚無の王がゆらりと立ち上がった。
彼の周囲の空間が、歪み始める。
「我は静寂を愛する。騒がしい感情も、暑苦しい筋肉も、全てはノイズだ。……消え去れ」
ボゥンッ!!
部屋全体が、灰色のドームに包まれた。
結界だ。
だが、これはただの閉じ込める壁ではない。
ズシッ……!
突然、体が重くなった。
重力が増したわけではない。体の中から力が抜けていくような、根源的な脱力感。
「ぐっ……! なんだ、これ……剣が、重い……」
ゼノンが膝をつく。
あの大剣を軽々と振り回していた彼が、剣を支えにしないと立っていられない。
何のために来たというのか。
「魔力が……練れない……?」
ルイスも苦しげに胸を押さえている。
「これは……『概念』の書き換えか」
ルイスが呻くように言った。
「ここは奴の固有結界、『無の理』……! この空間内では、『筋力』や『物理的なエネルギー』という概念そのものが否定され、無効化される!」
「概念の、否定……?」
「そうだ。どんなに鍛えていようと関係ない。ここでは『筋肉があること』自体が罪とされ、その存在を抹消されるんだ!」
恐ろしい。
つまり、ここにいるだけで、私たちはどんどんガリガリになっていくということか。
お父様たちのように。
干ししいたけに……?
「カカカ……。そうだ。貴様らの誇るその醜い肉塊も、じきに萎びて消え失せる」
虚無の王が嘲笑う。
「絶望しろ。そして、静かに干からびるがいい」
私の腕を見る。
ハリのあった肌から、少しずつ艶が失われていく気がする。
力が……入らない。
10年間、私が積み上げてきたものが、否定されていく。
「……ふざけるな」
私は歯を食いしばった。
膝が震える。
私でも、立っているのがやっとだ。
これが、魔神の本当の力。
「強さ」そのものを否定する、究極のアンチテーゼ。
でも。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
「誰が……諦めるもんですか……!」
私は顔を上げた。
ゼノンが、ルイスが、ジェラルドが、苦悶の表情で私を見ている。
お父様と陛下が、壁で干からびている。
私の愛する筋肉たちが、こんな奴の理屈で消されてたまるか。
概念?
理屈?
干ししいたけ?
そんなもの、ねじ伏せてやる。
私は深く息を吸い込んだ。
丹田の奥底、まだ消えていない小さな「熱」を探り当てる。
次回、私の筋肉が「理屈」を超える。
反撃の狼煙は、やはりアレ(拳)で上げるしかない。




