第60話:王都が『筋肉吸収結界』に覆われていましたが、正拳突きで風穴を開けて突入しました
ゴゴゴゴゴゴ……。
装甲馬車『氷結号』は、最大出力で街道を爆走していた。
後ろには、バルガ軍の騎馬隊から借りた馬にまたがる筋肉親衛隊300名と、ポチが続いている。
本来なら数日かかる道のりを、半日で踏破する強行軍だ。
「見えてきました、マスター・アレクサンドラ」
御者台の隣で前方を監視していたジェラルドが、緊張した声を上げた。
私は窓から身を乗り出し、王都の方角を見た。
「……あれは」
絶句した。
かつて栄華を誇った美しい王都は、そこになかった。
代わりにあったのは、巨大な「黒いドーム」だ。
半透明の闇の壁が、王都全体をすっぽりと覆い隠している。
太陽の光すら遮断する、絶対的な拒絶の壁。
「『筋肉吸収結界』……」
ルイスが魔力測定器を見ながら顔をしかめた。
「濃度が上がっているな。あのドームの内部は、生物の活力を強制的に吸い上げる捕食空間だ。普通の人間なら、入った瞬間に干からびるぞ」
「そんな……。父上たちは……」
ジェラルドが拳を握りしめる。
中にいる国王陛下や、お父様たちの安否が気にかかる。
「入る方法はあるのですか?」
私が尋ねると、ルイスはニヤリと笑って、馬車のコンソールパネルを操作した。
「この馬車には、対魔結界用の『魔力中和フィールド』を搭載してある。理論上は、あの黒い壁を数秒間だけ無効化して突入できるはずだ」
「理論上は、ですのね?」
「ああ。実戦データはない。……ぶっつけ本番だ」
上等だ。
失敗したら、正面衝突してペシャンコになるだけのこと。
筋肉があれば何とかなる。
「ガンドル陛下、ゼノン様! 親衛隊の皆! ここから先は馬車と並走して結界内へ突入します! 振り落とされないでくださいまし!」
私が拡声器で叫ぶと、後続部隊から「応ッ!!」と力強い返事が返ってきた。
「では、行きます! トム、全速前進!」
「はいっ! リミッター解除! ニトロ噴射(魔力ブースト)!」
トムがレバーを倒す。
ドォォォン!!
馬車の後部から青い炎が噴き出し、車体が浮き上がるほどの加速がかかった。
グングンと迫る黒いドーム。
近づくにつれて、肌がチリチリするような不快感が増してくる。
筋肉が、「そこに行くな」と警鐘を鳴らしている。
「出力最大! 中和フィールド、展開!」
ルイスが叫ぶ。
馬車の先端から白い光の膜が広がり、黒い霧を押しのけようとする。
バチバチバチッ!!
光と闇が衝突し、激しいスパークが散る。
車体が激しく揺れる。
「くっ……! 密度が高すぎる! 中和しきれん!」
ルイスが歯噛みした。
黒い壁は予想以上に分厚く、粘り気があった。
このままでは、弾き返されるか、飲み込まれてエネルギー切れになるかだ。
「ルイス様、私がやります!」
私は席を立ち、馬車の天井ハッチを開けた。
「おい、何をする気だ!」
「物理的な『衝撃』を加えて、結界の波長をズラします!」
「はぁ!? そんな理論、聞いたことがないぞ!」
「試してみる価値はありますわ!」
私は屋根の上に飛び出した。
強烈な向かい風が顔を叩く。
目の前には、壁のように立ちはだかる黒いドーム。
私は足を踏ん張り、右拳を引いた。
もう手錠はない。私を縛るものは何もない。
今の私には、筋肉と魔力が融合した、無限のエネルギーがある。
(筋肉律、発動!)
私はイメージした。
この拳は、岩も、鉄も、そして「理不尽な魔法」さえも粉砕するドリルだと。
全身が黄金の光に包まれる。
それはルイスの白いフィールドと混ざり合い、馬車全体を輝く矢へと変えた。
「開け、ゴマパンチッ!!」
私は叫びと共に、正拳突きを放った。
対象は、目の前の空間そのもの。
ドッゴォォォォォォォォォン!!!!!
拳が空気に突き刺さった瞬間、世界が歪んだ。
衝撃波が黒い霧を吹き飛ばし、結界の表面に巨大な「亀裂」を走らせる。
パリンッ……!
ガラスが割れるような音がして、黒いドームに風穴が開いた。
「今だッ!!」
馬車はその穴へと吸い込まれるように突入した。
続いて、ガンドル陛下たちが雄叫びを上げながら雪崩れ込む。
ズザザザザーッ!!
私たちは結界の向こう側、王都のメインストリートに着地した。
激しいブレーキ音と共に、馬車が停止する。
「……ふぅ。入れましたわね」
私は屋根から飛び降り、息を整えた。
成功だ。物理で魔法をこじ開けた。
「……君は、本当にデタラメだな」
馬車から降りてきたルイスが、呆れと感心が入り混じった顔で眼鏡を直した。
「結界の構成式を、拳圧で書き換えるとは……」
「結果オーライですわ」
私は笑顔で返したが、すぐに表情を引き締めた。
周囲の光景が、異常だったからだ。
「これは……」
ジェラルドが言葉を失う。
かつて賑わっていた大通りには、人っ子一人いなかった。
いや、いる。
人々は皆、路肩や建物の影で倒れ込んでいた。
全員、干ししいたけのように干からびている。
服の上からでも分かるほど、筋肉が削げ落ち、骨と皮だけになっているのだ。
死んではいないようだが、ピクリとも動かない。
「なんと惨い……」
ゼノンが倒れている市民に駆け寄る。
「生気を吸い尽くされている。これでは、立ち上がることすらできない」
「許せん!」
ガンドルが吠えた。
「民の命である筋肉を奪うとは! 余の国でこれをやったら、即刻打ち首だ!」
空気は重く、淀んでいる。
空を見上げると、先ほどこじ開けた穴はすでに修復され、再び黒い空が広がっていた。
太陽の届かない、死の都。
「……行きましょう」
私は拳を握りしめた。
「王城へ。元凶を叩き潰して、皆の筋肉を返してもらいます」
「待ってください、マスター」
ジェラルドが私の前に立った。
彼は懐から、大量の袋を取り出した。
カルスト領から持ってきた『特製プロテイン(回復薬入り)』だ。
「まずは、目の前の人々を救うのが先決です。彼らにこれを飲ませれば、多少は回復するはずです」
「……そうですわね」
私は頷いた。
敵を倒すのも大事だが、被害者を放置しては「筋肉の聖女」の名折れだ。
「総員、救助活動開始! 手分けして市民にプロテインを飲ませなさい! 意識がない場合は口移しでも構いません!」
「「「「イエス、マスター!!」」」」
筋肉親衛隊たちが散開する。
ムキムキの男たちが、倒れている市民を抱き起こし、緑色の液体を流し込む光景。
傍から見れば地獄絵図だが、今はこれが唯一の希望だ。
「ん……うぅ……」
プロテインを飲まされた市民の肌に、少しだけ赤みが戻る。
効果はあるようだ。
「よし、私たちは王城へ向かいますわよ!」
私は王城の方角を見据えた。
そこには、一際濃い瘴気が渦巻いている。
お父様、国王陛下。
どうかご無事で。
今、私がお助けに参ります!




