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第6話:お隣さんが挨拶に来たと思ったら、いきなり身体測定を迫られました

 

 ドシーン、ドシーン。


 巨大な足音が響くたび、屋敷(の残骸)が小刻みに揺れる。


「ポチ、もう少し右ですわ。そう、そこの岩をどかして」


「グルゥ(はいご主人!)」


 私が指示を出すと、体長5メートルの巨大な熊、ポチが庭にあった巨岩を軽々と持ち上げた。

 そのまま指定した場所まで運び、丁寧に置く。


 素晴らしい。

 重機がなければ一日がかりの作業が、わずか数秒で終わる。

 Aランク魔獣のパワーは伊達ではない。

 私がやれば済む話だが、出来れば楽をしたいので使えるものは使っていくスタイルだ。


「お嬢様、お茶が入りましたよ……」


 瓦礫で作った即席のテーブルに、トムがお茶を運んできた。

 彼はまだポチに慣れていないのか、ポチが動くたびにビクついている。


「ありがとう、トム。いいペースですね」


 私は岩の上に座り、湯気を立てるハーブティーを受け取った。

 カルスト領に来てから三日目。

 生活環境は劇的に改善されつつある。


 屋敷の周りの瓦礫は撤去され、平らな更地が広がっている。

 倒壊しかけていた壁は補強され(私が蹴って噛み合わせを直した)屋根がない部分にはポチが集めてきた巨大な葉っぱを被せて雨除けにした。


 見た目は「原始人の遺跡」だが、住み心地は悪くない。


「ですがお嬢様、食料が……」


 トムが不安そうに言う。


「ポチの奴、図体の割によく食うんですよ。持ってきた干し肉がもう底をつきそうです」


「あら、それは計算外でしたわね」


 ポチの主食は、私たちが食べるオーク肉だ。

 しかも一食で一頭分くらい食べる。エンゲル係数が高すぎる。


「現地調達するしかありませんね。ポチ、あとで狩りに行きましょうか」


「グルッ!」


 ポチが嬉しそうに吠えた時だ。


 カラン、カラン。


 遠くから、涼やかな鐘の音が聞こえてきた。

 領地の入り口の方角だ。


「誰か来ましたね」


 私は立ち上がった。

 こんな最果ての地に、わざわざ訪ねてくる物好きなど一人しかいない。


 ◇


 屋敷の前に現れたのは、やはり彼だった。

 隣の領地を治める辺境伯、ルイス(仮)。


 今日も今日とて、仕立ての良いローブを完璧に着こなし、銀色の髪を風になびかせている。

 背後には数名の従者を連れているが、彼らもまた、主君同様に表情がない。


 ひとまず、本物か確認するために名前を呼んでみよう。


「ごきげんよう、ルイス様?」


 私はスカートをつまみ、瓦礫の上からカーテシーをした。

 ご近所付き合いは大切だ。第一印象で「変な女」と思われている可能性が高いので、ここは挽回しておきたい。


「……ああ」


 ルイス(本物)は短く答え、値踏みするように私を見た。

 そして、私の後ろで縮こまっているポチに視線を移す。


「本当に手懐けているのか。ブラッディ・グリズリーを」


「ええ。ポチと言いますの。可愛いでしょう?」


「……ポチ」


 ルイスの眉がピクリと動いた。

 そのネーミングセンスに戦慄したのか、あるいは単に呆れたのかは分からない。


「それで、本日はどのようなご用件で?」


「挨拶だ」


 ルイスは私に向き直り、眼鏡の位置を直した。


「隣人が、災害級の魔獣を庭で放し飼いにしているんだ。領主として、安全管理の確認に来るのは当然だろう」


 もっともな理屈だ。

 私が隣人なら、間違いなく引越しを検討するレベルの迷惑行為である。


「ご安心ください。ポチはきちんとしつけましたわ。人様を襲うことはありません」


「ほう。……では、飼い主の方はどうだ?」


「はい?」


 ルイスがすっと距離を詰めてきた。

 早い。

 瞬きする間に、私の目の前に彼の顔があった。


 陶器のように白い肌。長い白銀の睫毛。

 整いすぎた顔立ちが、吐息がかかるほどの至近距離にある。


(近っ!)


 私は思わずのけぞりそうになったが、腹筋で耐えた。

 乙女ゲームのイベントなら、ここで頬を赤らめるのが正解なのだろう。

 だが、彼の瞳に浮かんでいるのは、恋情などではない。


 検体を見るような、冷たく、それでいて熱っぽくギラついた「観察者」の目だ。


「失礼する」


 断りもなく、ルイスが私の右手を取った。

 ひんやりとした指先が、私の手首に触れる。


「ちょっ、ルイス様!?」


「じっとしていろ」


 彼は私の脈を測るように指を押し当て、そのまま二の腕へと手を滑らせた。

 まるで筋肉の付き方や、骨格の構造を確認するかのような手つきだ。


(なにこいつ!? セクハラ!?)


 いや、違う。

 彼の目は真剣そのものだ。いやらしい感情は微塵も感じられない。

 むしろ、珍しい昆虫を見つけた少年のようだ。


「……やはり、おかしい」


 ルイスが独り言のように呟いた。


「筋肉の密度が異常だ。通常の人間より遥かに高い。だが、硬化魔法を使っている形跡はない。常にこの状態を維持しているのか?」


「あの、離していただけます?」


「魔力回路はどうなっている? 循環しているのか、それとも筋肉組織に直接癒着しているのか?」


 彼は私の抗議を無視して、今度は懐から奇妙なモノクル(片眼鏡)を取り出し、私の体をジロジロと見回し始めた。


(……ああ、分かった)


 私は彼の手を振り払い、一つため息をついた。


 この人、きっと「お医者様」だ。


 辺境伯というのは世を忍ぶ仮の姿で、本当は人体の構造や病気に詳しい研究医なのだろう。

 私の肌艶があまりに良いので、健康の秘訣が気になって仕方がないに違いない。

 職業病というやつだ。


「ルイス様。私の健康状態が気になるのは分かりますが、レディの体を触るのはマナー違反ですわよ」


「……健康状態?」


 ルイスがキョトンとした顔をした。


「ええ。おかげさまで、私はすこぶる健康ですわ。毎日プロテインを飲んで、スクワットを一万回しておりますから」


「プロテイン……? それは何かの錬金薬か?」


「筋肉の素です」


 私が力説すると、ルイスは口元に手を当てて考え込んでしまった。


「なるほど……。経口摂取による肉体改造か。興味深い」


 どうやら納得してくれたようだ。

 よかった。やはり話の分かる人だ。距離感がアホほどバグっているだけで。


「それで、安全確認はお済みになりましたか?」


「いや、まだだ」


 ルイスは顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「君が安全かどうかは、まだ分からない。これだけの異常な力、制御できている保証がない」


「失礼な。私はいつだって冷静ですわよ」


「ならば証明してもらおう」


 彼はパチンと指を鳴らした。

 すると、後ろに控えていた従者たちが、巨大なまとのようなものを設置し始めた。

 分厚い鉄板を何枚も重ねた、重厚な盾だ。


「あれを全力で殴ってみろ」


「は?」


「君の出力係数を計測する。もし私の領地に被害が及ぶレベルなら、それなりの対策が必要だからな」


 要するに、体力測定をしろということらしい。

 面倒くさい男だ。

 だが、ここで断って「危険人物」認定されるのも癪だ。隣人とは仲良くしておきたい。


「分かりましたわ。一回だけですよ」


 私は鉄板の前に立った。

 厚さは10センチほどだろうか。

 これなら本気を出すまでもない。


(軽く、挨拶程度にしとくか。か弱い令嬢を演じる必要はもうないけど、舐められるのもなんかムカつくから)


 私は右腕を軽く回し、リラックスした状態で拳を突き出した。

 脱力からの、インパクトの瞬間だけ力を込める。私の得意なパンチだ


 ドォォォン!!


 轟音が響いた。

 鉄板の中心が飴細工のようにめり込み、そのまま貫通して大きな穴が開いた。

 衝撃波が後ろに突き抜け、さらに後方にあった岩をも粉砕する。


「……あら」


 少しやりすぎただろうか。

 私は手に付いた鉄粉を払いながら振り返った。


 ポチとトムは腰を抜かして震えている。

 トムに至っては、また白目を剥いて気絶していた。彼は気絶する癖を直した方がいい。


 だが、ルイスだけは違った。


「クックックッ……」


 彼は肩を震わせて笑っていた。

 眼鏡の奥の瞳が、恍惚としたように輝いている。


「素晴らしい。予想以上だ。アダマンタイト級の強度を、素手で……しかも魔力光なしで……」


 彼は私に近づき、熱っぽい声で言った。


「アレクサンドラ。君に提案がある」


「なんでしょう。修理代の請求なら受け付けませんわよ」


「私の研究に協力しろ。衣食住は保証する。好きなだけ肉も食わせてやる」


 研究?

 よく分からないが、要するに「パトロンになってやるから、俺の実験台になれ」ということだろうか。


 普通なら断るところだ。

 だが、「肉を食わせてやる」という言葉が、私の鼓膜を甘美に揺らした。


 今の私には金がない。

 干し肉も尽きた。

 背に腹は変えられない。


「……お肉は、脂肪分の少ない牛肉ですか? ささみはありますの?」


「最高級のコカトリスでも、ドラゴンのテールでも希望のものを用意しよう」


「商談成立ですわ」


 私は即座に彼の手を握った。

 ルイスがニヤリと笑う。


 こうして私は、変態(魔法オタク)のスポンサーを手に入れた。

 彼が私をどうするつもりなのかは分からないが、美味しいお肉(良質なタンパク質)が食べられるなら、多少の身体測定くらい付き合ってあげようではないか。

 

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