第59話:王都が『筋肉枯渇(マッスル・ドレイン)』の危機にあるらしいので、緊急筋肉対策本部を立ち上げました
トムの呼びかけにより、カルスト領の中枢を担うメンバーが即座に集められた。
場所は、屋敷のメインホール。
中央の巨大な円卓(石造り)を囲むのは、私、ルイス、ジェラルド、セレスティア。
そして隣国の要人であるガンドルとゼノン。
さらには親衛隊長のガイル、執事コンビのトムとセバス、そしてマスコット、ポチも同席している。
まさに、筋肉帝国のオールスターだ。
「状況を説明しろ」
ルイスが鋭い声で言った。
部屋の空気が張り詰めている。
私たちの視線の先には、一人の男が横たわっていた。
王都から命からがら逃げ延びてきたという、筋肉教団・王都支部の会員、筋肉戦士の一人だ。
彼は酷い有様だった。
服はボロボロに裂け、体中が泥まみれ。
そして何より――痩せ細っていた。
筋肉教団の会員ならば、鋼のような肉体を持っていたはずだ。
しかし今の彼は、まるで風船から空気が抜けたようにしぼみ、皮と骨だけになってしまっていた。
「プロテインを飲ませてやらないと」
ジェラルドが指示を出し、トムが特製ドリンクを男の口に流し込む。
「ごふっ……! あ、ありがとう……ございます……」
男はうめき声を上げ、ようやく意識を取り戻した。
「大丈夫ですか? 貴方の身に何が起きたのですか?」
私が尋ねると、男は震える手で私の袖を掴んだ。
その瞳には、底知れぬ恐怖が焼き付いている。
「あ、アレクサンドラ様……! 王都は……王都はもう、終わりです……!」
「落ち着いて。順を追って話して」
男は深呼吸をし、ポツリポツリと語り始めた。
「三日前の夜でした。突然、王都の上空に『黒い霧』が発生したのです」
「黒い霧……?」
「はい。最初はただの雲かと思いましたが……それは生きていました。霧は王城を中心に広がり、あっという間に街全体を飲み込みました。そして……」
男はガタガタと震え出した。
「霧に触れた者は、皆、力を奪われました。魔力も、体力も、そして……我々が誇りとしてきた『筋肉』までもが、根こそぎ吸い取られてしまったのです!」
「なっ……!?」
ガイルが息を呑んだ。
筋肉が吸い取られる。
それは我々にとって、死刑宣告よりも恐ろしい言葉だ。
「抵抗しようとしました。支部長のエイドリアン閣下や、ガルド騎士団長が先頭に立って霧を払おうとしました。ですが……」
男は悔しげに拳を握った。
「物理攻撃が通じないのです。剣も、拳も、霧をすり抜けてしまう。それどころか、攻撃した腕から筋肉が枯れ果てていく……。エイドリアン閣下は、我々を逃がすために単身で霧の中に突っ込み……」
「お父様……!」
私は胸が締め付けられた。
あの、ようやく健康的なマッチョになったお父様が。
ガリガリに戻されてしまったというのか。
「私は閣下の愛馬を託され、必死に走りました。ですが、途中で馬も霧にやられ……最後は自分の足で、ここまで……」
男はそこまで言うと、力尽きたようにぐったりとした。
馬よりも速く走ってきたというのか。
筋肉が枯渇する恐怖と戦いながら、使命感だけで。
「……よく知らせてくれました。もう休みなさい。彼に茹でささみとブロッコリー、そして即効性プロテインを!」
私はセバスに目配せをした。
セバスが音もなく(サササとは言う)男を抱え上げ、医務室へと運んでいく。
ホールに重い沈黙が流れた。
「『筋肉枯渇』か……」
ルイスが眼鏡を押し上げ、深刻な表情で呟いた。
「魔神の欠片が持つ特性の一つ、『生命力の吸収』だ。だが、ここまで大規模かつ即効性のあるものは聞いたことがない。……おそらく、王都の地下にある『龍脈』とリンクし、都市全体を巨大な吸収魔法陣に変えているのだろう」
「なるほど。つまり、どういうことだ?」
ガンドルが腕組みをして問う。
「王都にいる限り、常にスタミナと筋力が吸われ続けるデバフ空間になっているということだ。常人なら数時間で衰弱死、筋肉戦士のような鍛え上げた人間でも、半日もてば良い方だろう」
「なんと卑劣な……!」
ゼノンがテーブルを叩いた。
「正面から戦うのではなく、我々の誇りである肉体を奪うとは! 戦士の風上にも置けぬ所業!」
「ええ。許せませんわ」
私は静かに立ち上がった。
王都の人々。
パレードで笑顔を向けてくれた彼らが、今この瞬間も苦しんでいる。
そして、私のお父様や、ガルド様、国王陛下までもが。
彼らの筋肉は、彼らの努力の結晶だ。
それを理不尽に奪う権利など、誰にもない。神にも、悪魔にも。
「この喧嘩、買いますわよ」
私の言葉に、全員が顔を上げた。
「敵は『アンチマッスル勢力』。筋肉を否定し、奪う者たちです。ならば私たちは、それを上回る『筋肉の輝き』で対抗するのみです!」
「ですがマスター・アレクサンドラ、物理攻撃が効かない相手ですよ?」
ジェラルドが冷静に指摘する。
さすが、状況判断が早い。
「霧状の敵に、どうやってパンチを当てるおつもりですか?」
「簡単ですわ」
私はニヤリと笑った。
「霧を吹き飛ばすほどの風圧で殴ればいいのです」
「……」
全員が絶句した。
あまりに脳筋な解決策。
だが、今の私になら、それができる気がする。
「それに、私には心当たりがあります」
私はルイスを見た。
「その黒い霧……以前、ソフィが暴走させた魔神と同じものだとすれば、おそらく、黒幕はまだ王都に潜んでいる」
「……なるほど。逃げた魔神の本体、あるいはそれに操られた『何者か』か」
ルイスが頷く。
「霧はあくまで現象だ。発生源である本体を叩けば、呪いは解けるはずだ」
「そういうことです!」
私はテーブルの上に地図を広げた。
「作戦名は『オペレーション・マッスル・リテイク(筋肉奪還作戦)』! 目標は王都! 囚われた筋肉たちを解放し、黒幕を物理で粉砕します!」
「「「「イエス、マスター!!」」」」
全員が立ち上がり、雄叫びを上げた。
セレスティアが素早くメモを取る。
「では、役割分担を決めましょう。まず、霧の中での行動時間を稼ぐために、大量の物資が必要ですわね」
「うむ。我がバルガ軍の備蓄をすべて提供しよう! 高濃度の栄養ドリンクがあれば、吸収される速度より速く回復できるはずだ!」
ガンドル陛下が豪快に笑う。
自転車操業のような理論だが、筋肉量でゴリ押しする作戦だ。
「私は魔導具班を指揮する。霧の影響を軽減する『対魔結界発生装置』を、装甲馬車に搭載しよう」
ルイスが技術的なサポートを提案する。
「先陣は私が! この黒曜丸で、霧を切り裂き、道を開きます!」
ゼノンが剣を掲げる。
「私も行きます。……父上と、国を救うために」
ジェラルドが静かな闘志を燃やす。
頼もしい。
これだけの戦力が揃っていれば、どんな絶望的な状況でも覆せる。
「トム、ガイル! 筋肉親衛隊の招集を!」
「了解です! 全員、パンプアップして待機しています!」
「ポチも行くわよ! おやつは王都で食べ放題よ!」
「グルァッ!!」
こうして、緊急筋肉対策本部は、即座に遠征軍へと姿を変えた。
建国? 独立?
そんなものは後回しだ。
まずは、筋肉の敵を滅ぼす。話はそれからだ。
私たちは再び、王都へと向かう。
今度はパレードではない。
筋肉を嘲笑う者と、王都で筋肉を奪われた全ての民達への本気の「救済」のために。




