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第55話:エルフの女王様が『恋の病(勘違い)』にかかったようなので、筋肉美術館を建てることにしました

 

 目の前で起きた現象に、誰もが言葉を失っていた。


 宮殿の背後にそびえ立つ『世界樹』が、完全に別の姿へと変貌を遂げていたのだ。


 幹は腹直筋のように隆起し、枝は力こぶを作るかのように湾曲している。

 葉の一枚一枚が血管が浮き出たように厚みを増し、生命力に満ちた緑色の輝きを放っている。


「……素晴らしい」


 私は思わず拍手をした。

 あれは、ただの成長ではない。

 私が持ち込んだプロテインの芳醇な香りが、世界樹に眠る「生命の野生」を呼び覚ましたのだろう。

 いわば、世界樹のバルクアップである。


「あ、ありえない……。清浄なる世界樹様が、あんな……あんな……!」


 ジェラルドに支えられたまま、エルミナがガタガタと震えている。

 彼女の美学にとって、あのムキムキの大樹は受け入れがたい光景なのだろう。


 加えて、さきほど飲んだプロテインの急激な血行促進効果で、足元がおぼつかないようだ。筋肉が足りていない証拠だ。


「しっかりしてください、女王陛下」


 ジェラルドが、彼女の体をより強く支えた。

 倒れそうになったエルミナの華奢な肩を、太く逞しい腕が優しく、しかし力強く抱き留める。


「あ……」


 エルミナが息を呑んだ。

 至近距離にあるジェラルドの顔。

 汗で濡れた金髪がキラキラと輝き、心配そうに覗き込む瞳は、秋の湖のように澄んでいる。


 そして何より、彼女の背中を支える大胸筋の弾力と、腰に回された腕の硬度が、彼女の全神経を刺激していた。


「少し休みましょうか。……異変の原因を確かめるためにも、世界樹の根元までお連れします」


 ジェラルドは爽やかに微笑むと、彼女を抱えたまま歩き出した。

 いわゆる「お姫様抱っこ」ではない。

 もっと密着度の高い、介護のような、しかしエスコートのような絶妙な距離感での「支え歩き」だ。


 エルミナは、ジェラルドの厚い胸板にもたれかかるようにして、よろよろと歩を進める。

 その指先が、無意識にジェラルドの胸筋の谷間をなぞる。


「貴方様……お名前は……」


 彼女の口から、熱っぽい吐息交じりの声が漏れた。


「ジェラルドと申します。美しい女王陛下」


 ジェラルドは歩調を緩めず、耳元で囁くように答えた。

 王太子としての品格と、筋肉教団で培った包容力が同居した、最強のイケメンボイスだ。


「はうあっ!!」


 エルミナが奇声を上げてビクンと跳ねた。


(く、苦しいっ! 胸が! 何この気持ち!)


 彼女の内心は大パニックだった。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が熱い。

 全身の血液が沸騰したかのように駆け巡り、指先まで痺れている。


(熱い! 身体が熱く、全身の筋細胞がダンスを踊っているよう!! これが……恋……!?)


 ――いいえ、それはプロテインに含まれるナイアシンとカフェインによる「フラッシュ現象(血行促進反応)」。

 あと、単純に空腹の体に高タンパクをぶち込んだせいで、代謝が爆上がりしているだけです。


 だが、恋愛経験の乏しい箱入り女王に、そんな生理学的知識はない。

 彼女にとって、この動悸と発熱は、ジェラルドへの愛の炎以外の何物でもなかった。


「はあ……素敵……」


 エルミナ様はうっとりと目を潤ませ、ジェラルドの腕に頬をすり寄せた。

 硬い。

 なのに温かい。

 今まで「美しくない」と否定してきた筋肉が、こんなにも安心感を与えてくれるなんて。


 その様子を、私は少し後ろからルイスと共に眺めながら、世界樹の根元へと向かっていた。


「……堕ちたな」


 ルイスが冷静に分析する。


「しかし、世界樹の変異……原因はプロテインの香りだけではないぞ、アレクサンドラ」


「私? 何もしていませんわよ?」


「自覚がないのが一番タチが悪い」


 ルイスは呆れたように眼鏡を直した。


「ここに来た時、君は全身から凄まじいオーラ(魔力)を放出していた。さっきプロテインの樽を担いだ時もだ。その高濃度の魔力に、この場の主である世界樹が感応したんだ」


 ああ、そういえば。

 手土産を丁寧に運ぼうと無意識に気合を入れていたかもしれない。


「君の放つ『強さ』の概念――つまり筋肉への渇望が、植物である世界樹にまで伝染し、プロテインの香りをトリガーとして強制進化を促した」


「まあ! では、世界樹様も筋トレがしたかったということですのね!」


「……そういう解釈でいい。もう疲れた」


 ルイスがため息をつく。

 ともあれ、ジェラルドを連れてきたのは正解だったようだ。


 本来なら、ワイルド系であるゼノン様も連れてきて、もっと野性味あふれる筋肉の良さを味わって欲しかったところだ。

 だが、エルミナのような深窓の令嬢には、ジェラルドのような「上品な筋肉(細マッチョに見えて脱ぐと凄い)」が特効薬だったらしい。


 見ていれば分かる。

 彼女には、『才能』がある。


 筋肉を嫌悪しているように見えて、その実、誰よりも筋肉の質感や温度に敏感だ。

 ジェラルドの胸板に触れる指つき。

 上腕の収縮に合わせて漏らす吐息。

 そして何より、あの恍惚の表情。


 あれは、筋肉美を深く理解し、愛でることができる「審美眼」を持った者にしかできない反応だ。


 素晴らしい……!


 私の経営者としての勘が、ビビビと反応した。


 彼女なら築けるかもしれない。

 ただ鍛えるだけではない。

 ただ強くなるだけでもない。

「美」と「筋肉」が融合した、新たな芸術の楽園を。


「ルイス様、メモをお願いします」


「……何だ?」


「新しい事業計画ですわ」


 私はエルミナとジェラルドの背中を見つめながら、構想を練った。


 結びたい。

 是非とも、このエルフの里と同盟を結びたい。

 単なる不可侵条約や貿易協定ではない。もっと精神的な繋がりを持つ『筋肉同盟マッスル・アライアンス』を。


 そして、この清浄な森を、「美の筋肉同盟支部」として再開発するのだ。


「ここに、『筋肉美術館マッスル・ミュージアム』を開館します」


「……は?」


 ルイスがペンを止めた。


「美術館、だと? 何を展示するんだ」


「決まっていますわ。鍛え上げられた肉体そのものです!」


 私は両手を広げ、変貌した世界樹を指し示した。


「見てください、あの世界樹を。あの力強い枝ぶりこそ、生命のアート! エルフの方々は美意識が高い。ならば、その美意識を『筋肉の造形美』へと誘導して差し上げるのです!」


 ボディビルとは、肉体の彫刻だ。

 ポージングとは、魂の表現だ。

 エルフたちが好む「芸術」と、私たちが愛する「筋肉」。

 この二つは、決して相反するものではない。むしろ、根底では繋がっているのだ。


「この森全体を、筋肉を愛でるためのサンクチュアリにするのです。入場者は、美しいエルフのマッチョたちによるポージングショーを鑑賞し、世界樹の下でヨガを行い、オーガニックなプロテインを楽しむ……」


「……正気か?」


 ルイスが呆れ果てた声を出す。


「エルフたちがそんなことを許すはずが……」


「そうでしょうか? ご覧遊ばせ」


 私は顎でしゃくった。


 世界樹の根元。

 ジェラルドに支えられて座ったエルミナは、もはや抵抗する気配すらない。

 彼女を取り囲むエルフの兵士たちも、ジェラルドの所作の美しさに魅入られ、武器を下ろしている。


「あの方の筋肉……まるでダビデ像のようですわ……」


「なんて均整の取れた肉体……」


 ほらね。

 美を愛する彼らにとって、完成された筋肉は「動く芸術品」なのだ。

 きっかけさえあれば、彼らは誰よりも熱心な信者(ファン)になる。


「いけるわ。間違いなく需要があります」


 私は確信した。

 カルスト領の「実践的なジム」と、エルフの里の「芸術的なミュージアム」。

 この二つが連携すれば、世界の筋肉産業を独占できる。


 私たちが世界樹の根元にたどり着いた、その時だった。


 ゴゴゴゴゴ……。


 世界樹が、再び大きく震えた。

 幹の中央に、巨大な「顔」のような木目が浮かび上がり、低い声が響いてきた。


『……うむ。良い筋肉だ』


「「「「しゃ、喋ったァァァァッ!?」」」」


 全員が仰天した。

 エルミナに至っては、「ひゃうっ!」とジェラルドにしがみついて白目を剥きかけた。


 世界樹の枝が、私の持っているプロテインの樽の方へと伸びてくる。

 そして、鼻のようなコブをヒクヒクと動かした。


『娘よ。其方が持っているその樽、芳醇な香りがするな』


「え? プロテインのことですか?」


『そうだ。我の根が、その香りの素を所望している。……よこせ』


 神木がプロテインを要求してきた。

 なんという意識の高さか。

 私は嬉しくなって、樽を抱えて駆け寄った。


「もちろんですわ! たっぷりと栄養を摂ってくださいまし!」


 私は樽の蓋を開け、世界樹の太い根元に、ドロリとしたピンク色の液体を豪快にぶちまけた。


「新作のフルーツ味です! どうぞ!」


 じゅわぁぁぁ……。


 プロテインが土に染み込んでいく。

 すると、世界樹の葉がいっそう青々と輝き、幹の筋肉(?)がパンプアップして膨れ上がった。


『おお……! 力がみなぎる! これが、タンパク質の力か……!』


 世界樹が歓喜の声を上げる。


「……神樹まで脳筋か」


 ルイスが頭を抱えた。


「素晴らしいですわ、世界樹様!」


 私は呼びかけた。


「ぜひ、我が筋肉同盟の名誉顧問になってくださいまし!」


『よかろう。プロテインの礼だ』


 世界樹の幹に浮かんだ顔が、満足げに歪む。

 だが次の瞬間、その視線(気配)が鋭くなった。

 私とルイス、そしてジェラルドたちを順に見回す。


『それと、お主ら……何やら異質な力を纏っておるな。いや、残滓ざんしに触れたと言うべきか』


「なんのことですの?」


 私は首を傾げた。


『これは、魔神の力か』


「魔神を知っているのか!?」


 ルイスが眼鏡を光らせ、一歩前に出る。


『うむ。知らぬはずがなかろう。太古、この大地を恐怖で支配し、我ら精霊やエルフの祖先が命を賭して封印した災厄の権化だ』


 世界樹の声が、深く、重く響く。


『その忌まわしき気配が、お主らから漂っておる。……まさか、封印が解かれたのか?』


「ええ、少し前にちょっと王都で暴れていたので、強めのデコピンで星にしましたわ」


『デコピ……?』


 世界樹が絶句する(枝が止まる)。


「完全に消滅させることはできませんでしたが、粉々にして宇宙そらへ飛ばしました。今はその欠片が降ってきている状態です」


『……なんと』


 世界樹は呆れたような、しかし感心したような溜息をついた。


『魔神を物理で砕く人間が現れるとは。……長生きはするものだな』


 世界樹の枝が、私を指し示した。


『娘よ。魔神は「不滅」だ。欠片となった今も、再び集まり、復活の時を狙っているだろう。だが……お主がいれば、あるいは』


「ご心配なく。降ってきたら、また殴るだけですわ」


 私が拳を握ると、世界樹は愉快そうに葉を揺らした。


『頼もしいことだ。よかろう、我も力を貸そう。この森の力と、我の知恵……そして筋肉(マッスル)を、お主らのために役立てるがよい』


 こうして。

 エルフの聖地は、世界樹公認の『筋肉美術館』として生まれ変わることになった。


 エルミナ女王はジェラルドへの恋心(勘違い)とプロテイン中毒によりあっという間に陥落し、カルスト領との永世同盟を締結。


 私たちは最強の味方と、新たな観光資源、そして魔神に関する「神話級の情報源」を手に入れたのだった。


 ……ちなみに、エルミナがジェラルドに「私の専属トレーナーになってくださいませ(意訳:結婚して)」と迫るのは、もう少し後の話である。

 

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