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第45話:新入りの筋肉(元婚約者)が優秀すぎて、領地の『行政(筋肉)』が革命的に改善されました

 

 ジェラルドの入会から数日後。

 カルスト領は、深刻な問題に直面していた。


「……計算が、合いませんわ」


 私は執務室(元廃墟のリビング)で、頭を抱えていた。

 目の前には、山のように積まれた羊皮紙の束。

 領地の運営に関する報告書だ。


 食料の在庫管理、資材の調達、1000人を超える領民の住居割り当て、そしてバルガ軍3万人の駐留経費。


 人口が爆発的に増えたせいで、事務処理が完全にパンクしていたのだ。


「お嬢様、またガイルたちから報告書が届きましたよ」


 トムが困った顔で新しい書類を持ってきた。

 私はそれを受け取り、目を通す。


『報告書 記入者:ガイル』

『今日の収穫:いっぱい』

『使った資材:たくさん』

『明日の予定:筋肉をいじめて育てる』


「……小学生の日記ですか?」


 私は書類を握りつぶした(圧縮され鉱物のように硬い物体になる)。


 ガイルたち親衛隊は、腕力こそ頼りになるが、頭脳労働はからっきしだ。

 文字はミミズがのたうち回ったようだし、数字の計算も「指で数えられる範囲」を超えると怪しくなる。


 そう……我が領地に致命的に欠落しているもの……。


『知性』だ。


 筋肉を愛するあまり、脳みその芯まで筋肉で出来上がってしまっている。本物の脳筋しかいない。


 唯一の知性の塊である、セレスティアはともかく、ルイスの方も最近怪しい。


 こっそりハンドグリップで鍛え始めている。


 王都の者がソフィに魅了されたように、ルイスもまた、筋肉に魅了され始めているのだろう。


 彼は近いうちに、知性を失って筋肉の化け物になる。


 この領地で『知性』として頼れるのはもはや……セレスティアしかいないのだ。


「セレスはどこへ?」


「セレスティア様は、王都との交易ルート確立のために出張中です。ルイス様は研究室に引きこもって出てきませんし、ゼノン様は国境警備で忙しいようです」


 つまり、この膨大な事務処理をできる人間が、私しかいないということだ。


 無理だ。


 私は筋肉を鍛えるのは得意だが、帳簿と睨めっこするのは大の苦手だ。


 このままでは、領地が「筋肉破産」してしまう。


「失礼します。マスター・アレクサンドラ」


 その時、控えめなノックと共に、一人の男が入ってきた。


 新入りのジェラルドだ。

 彼は作業着のつなぎを着て、爽やかな汗を流している。手には何やら分厚いファイルを持っていた。


「どうしましたの? 岩運びのノルマは終わりましたか?」


「はい、午前中の500往復は完了しました。それで、休憩時間に倉庫の整理をしていたのですが……少し気になったことがありまして」


 ジェラルドは持っていたファイルを机に広げた。

 そこには、美しい文字でびっしりと数字が書き込まれていた。


「現在、食料庫の在庫と消費ペースにズレが生じています。原因は、筋肉量に応じたカロリー計算がなされていないことと、先入れ先出しのルールが徹底されていないことによる廃棄ロスです」


「……は?」


「そこで、独自の計算式に基づき、部隊ごとの筋肉量と活動レベルから必要カロリーを算出し、配給量を最適化するプランを作成しました。これにより、食料廃棄をゼロにしつつ、全員のバルクアップ効率を15%向上させることができます」


 ジェラルドがスラスラと説明する。

 専門用語はよく分からないが、とにかく「無駄をなくして筋肉を増やせる」ということらしい。


「す、すごいですわ……。これをあなたが作ったのですか?」


「はい。学生時代に、兵站管理の勉強をしておりましたので」


 彼は謙遜して言った。


 そうだった。彼は腐っても元王太子(まだ王太子です)。


 幼い頃から帝王学を叩き込まれ、国政の中枢にいたエリートなのだ。


 筋肉留学で頭がおかしくなったガンドルとは違い、事務処理能力はずば抜けている。


「さらに、ガイル隊長たちの報告書が抽象的すぎたので、選択式のチェックシートを導入しました。『いっぱい』『たくさん』ではなく、具体的な数値を丸で囲むだけで済むように」


 彼が差し出した新しい報告書フォーマットは、脳筋でも直感的に書ける素晴らしいデザインだった。

 これなら、あのガイルでも書ける。


「天才ですわ!」


 私は思わず立ち上がり、彼の手を取った。


「ジェラルド! あなた、なんて優秀な人材なの! 採用して本当によかったですわ!」


「あ……光栄です!」


 ジェラルドの顔がパァッと輝いた。

 まるで主人に褒められた大型犬のようだ。


「よし、決めました。あなたを今日から『筋肉行政長官』に任命します! 領内の事務処理と、ガイルたちの教育を任せてもよろしくて?」


「筋肉行政長官……! はい、この身の筋肉が尽きるまで、粉骨砕身務めさせていただきます!」


 彼は感極まって敬礼した。

 上腕二頭筋が嬉しそうに盛り上がっている。


 ◇


 それからのジェラルドの働きぶりは、鬼神の如きものだった。


 早朝。

 広場には、黒板の前に座るガイルたち親衛隊の姿があった。

 教鞭を執るのはジェラルドだ。


「いいか、みんな! 筋肉を育てるには、ただ重いものを持てばいいわけじゃない! 計算だ!」


 彼はチョークを握りしめ(筆圧が強すぎて折れたが)、黒板に数式を書いた。


「負荷 × 回数 × セット数 = 総負荷量! この数値を管理することで、効率的な筋肥大が可能になる! これを俺は『マッスル算数』と名付けた!」


「おおおおっ! マッスル算数!」


「すげえ! 計算すればもっとデカくなれるのか!」


 ガイルたちが目を輝かせてノートを取っている。

 以前は数字を見ただけで寝ていた彼らが、ジェラルドの授業には食いついている。

「筋肉」という共通言語を通すことで、勉強への拒否感を消し去ったのだ。


「次は文字の読み書きだ! 自分の筋肉日誌をつけられない奴は、三流のトレーニーだぞ!」


「うす! 勉強します!」


 ジェラルドの指導は的確で、情熱的だった。

 彼は王太子としての知識をひけらかすことなく、あくまで「同じ筋肉の求道者」としての目線で語りかける。

 その姿勢が、荒くれ者たちの心を掴んだのだ。


 さらに、事務処理においても彼は無双した。

 山積みだった書類は半日で片付き、資材置き場は完璧に整理整頓された。

 バルガ軍3万人のシフト管理も、彼が作ったローテーション表によって劇的にスムーズになった。


 ◇


 夕方。

 ジムのベンチで、ルイスとゼノンが憮然とした顔で並んでいた。


「……あいつ、有能すぎないか?」


 ゼノンが悔しそうに呟く。


「認めたくはないが、事実だ。私の研究時間を削って事務処理を手伝う必要がなくなったのは助かる」


 ルイスも複雑な表情だ。


 彼らは気づいていた。

 ジェラルドが来てから、領地の空気が変わったことに。

 ただの力自慢の集団だった筋肉教団に、「知性」という武器が加わったのだ。


「それに……アレクサンドラ嬢のあの顔を見ろ」


 ゼノンが指差した先には、ジェラルドにタオルを渡す私の姿があった。


「ありがとう、ジェラルド。あなたのおかげで助かりましたわ」


「いえ、貴女のためならこれくらい。……あ、汗を拭かせてください」


「まあ、気が利くわね」


 私はまんざらでもない顔で、ジェラルドに汗を拭いてもらっている。

 元婚約者という負い目がある彼は、献身的に尽くしてくれる。その下心のない(あるけど純粋な)奉仕精神は、正直心地よい。


「……気に食わん」


 ルイスが眼鏡を光らせた。


「あの元王子、ただの無能だと思っていたが……このままでは、我々のポジションが危ういぞ」


「同意する。実務能力でアレクサンドラ嬢の信頼を勝ち取るとは……卑怯な!」


 二人の間に、新たな対抗意識が芽生えていた。

 最強の魔術師と騎士。

 戦闘力では負けないが、「生活力」と「事務力」ではジェラルドに完敗している。


「負けていられん。私も明日のパトロールでは、最高級の獲物を狩ってくる!」


「私は新しい魔導具を開発する。……アレクサンドラが喜ぶような、画期的なやつをな」


 男たちの間に、静かな火花が散る。


 私はそんなこととは露知らず、綺麗になった帳簿を見てニマニマしていた。


「ふふふ。これで経営も安泰ですわ」


 ジェラルドという最強の「事務チート」を手に入れたカルスト領。

 その発展速度は、もはや誰にも止められない。


 だが、平和な時間は長くは続かない。

 領地の裏山で、不穏な魔力が渦巻き始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。


 こういうところが、脳筋の恐ろしいところだろう。


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