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第44話:元婚約者が謝罪に来ましたが、名前をド忘れした上に中身が別人のように爽やかマッチョになっていました

 

 カルスト領の生活は安定していた。

 ポチの進化、領地の大発展、そして筋肉教団の勢力拡大。

 順風満帆だ。


 そんなある日の午後。

 私は、ルイス、ガンドル、ゼノン、セレスティアと共に、領地の入り口にある関所で検問の様子を眺めていた。


「最近は入会希望者が増えすぎましたからね。少し選別が必要ですわ」


「ぽっちゃりも多いですわね。彼らはトレーニングについてこられるのでしょうか? 切りますか?」


「いえ。デ……わがままボディのマシュマロの妖精さんたちは、ヒョロガリ級の見込みがありますわ。筋肉ゼロで無限に筋肉をつけられる伸びしろがある上に、その贅肉を筋肉に変えられるのですから!」


 そうだ。体脂肪を燃やせ!


 脂を筋肉にしてしまうのよ。


「分かりました。ですが、明らかに偽りの筋肉(ドーピング使用者)を持っている者に関しては、厳しく弾かせていただきます」


 セレスティアが名簿をチェックしながら言う。

 彼女の手腕のおかげで、怪しい輩(ドーピング筋肉野郎)やスパイ(雰囲気で判断)は入り口で弾かれ、やる気のある筋肉(見込みのあるヒョロガリとわがままボディ)だけが入国を許可されている。


「ん? なんだあれは」


 ゼノンが鋭い視線を街道に向けた。

 一人の男が、徒歩でこちらに向かってくる。

 馬車も馬も使わず、身一つだ。


 だが、ただの旅人ではない。

 遠目からでも分かる、研ぎ澄まされたオーラ。

 そして、服の上からでも分かる分厚い胸板と、丸太のような太腿。


「……ほう。手練れだな」


 ガンドルが目を細めた。

 同族(脳筋)の匂いを感じ取ったらしい。


 男は関所の前まで来ると、立ち止まって深く一礼した。

 金色の髪がサラリと揺れる。

 顔を上げたその男は、息を呑むほどの美青年だった。


 どこかで見覚えがあるような気もするが……誰だったか。

 筋肉に見覚えはない。


「止まれ! 何者だ!」


 門番を務めるガイルが槍を構える。


「怪しい者ではない。……と言っても、信じてもらうのは難しいかな」


 男は苦笑した。

 その笑顔は、春の日差しのように穏やかで、毒気がない。

 彼は懐から一通の書状を取り出した。


「私は王都より参った。バーデン公爵エイドリアン殿より、アレクサンドラ嬢への紹介状を預かっている」


「お父様から?」


 私は眉をひそめた。

 お父様は今、王都で筋肉教団の支部長として布教活動に忙しいはずだ。

 その父が、わざわざ紹介状を持たせて寄越す人物とは?


 私は関所の前に進み出た。


「私がアレクサンドラです。……貴方は?」


 男は私を見ると、ハッとして目を見開いた。

 そして、膝をつき、恭しく頭を下げた。


「お久しぶりです、アレクサンドラ。……いや、今は『聖女様』とお呼びすべきでしょうか」


「その呼び名は恥ずかしいのでやめてくださいまし。それで、お名前は?」


 私が尋ねると、彼は少し寂しそうに、しかしハッキリと名乗った。


「……忘れられていても無理はない。改めて名乗らせてもらおう。王太子、ジェラルドだ」


「「「「はぁぁぁぁぁっ!?」」」」


 全員の声がハモった。

 私も目を剥いた。


 ジェラ……?

 あの、王都で私を断罪しようとした、ヒョロガリでヘタレで顔色が悪い元婚約者?


 目の前の男をまじまじと見る。

 顔立ちは確かに似ている。

 だが、決定的に違う。

 以前の彼にあった「驕り」や「弱さ」が消え失せ、代わりに鋼のような芯の強さと、仏のような慈愛が宿っている。

 そして何より――。


(……デカイ)


 肩幅が倍になっている。

 王族特有のヒラヒラした服の下に、コンクリートブロックのような筋肉が詰まっているのが分かる。

 はち切れそうなシャツのボタンが、彼の成長(バルクアップ)を物語っていた。


「じ、ジェラルド殿下……!? 本当に?」


 セレスティアが眼鏡をずり落とした。


「まるで別人じゃない……! 整形? いいえ、転生でもしたの?」


「ふふ、驚かせてすまない。ソフィの魅了(チャーム)が解けてから私も、父上やバーデン公爵の指導の下、一から自分を鍛え直したんだ」


 ジェラは爽やかに笑った。


「筋肉は嘘をつかない。汗を流し、限界に挑む中で、私は自分の愚かさを知った。……魅了に操られていたとはいえ、君を傷つけた罪は消えない」


 彼は私をまっすぐに見つめた。


「アレクサンドラ。本当にすまなかった。……許してくれとは言わない。ただ、償いをさせてほしい」


 深い謝罪。

 その言葉には、一切の虚飾がなかった。

 純粋で、真っ直ぐな心。

 そういえば、魅了される前の彼は、こんな風に素直な少年だった。気がする。


「……ふん! 今更ノコノコと何の用だ!」


 割って入ったのは、ゼノンだ。

 彼はあからさまに敵意を剥き出しにして、私の前に立った。


「貴様は彼女を捨て、追放した男だ! どの面下げて会いに来た! 彼女の隣には、既に私がいるというのに!」


 ゼノンが黒剣の柄に手をかける。

 殺気。

 だが、ジェラは動じなかった。

 彼は怒ることも、怯えることもなく、ただ静かに微笑んだ。


「バルガの騎士殿だな。君の言う通りだ。私には、彼女の隣に立つ資格などない」


「なっ……?」


 肩透かしを食らったゼノンがたじろぐ。


「私は今日、王族として来たのではない。一人の『徒弟』として来たのだ」


 ジェラは父からの紹介状を私に差し出した。


「バーデン公爵から許可をいただいた。『カルスト領にある筋肉教団総本山にて、住み込みで修行をしてこい。お前の性根と筋肉を、一から叩き直してもらえ』と」


 手紙を見ると、確かに父の筆跡で『王太子を頼む。まだヒョロいが、見込みはある。こき使ってやってくれ』と書かれている。


「つまり……?」


「アレクサンドラ。私を、君の部下にしてほしい」


 ジェラは真剣な眼差しで言った。


「護衛でも、雑用でも、何でもする。君の作ったこの場所で、君の背中を見て学びたいんだ。……そしていつか、胸を張って君を守れる男になりたい」


 その言葉は、熱烈な愛の告白にも聞こえた。

 ゼノンが「き、貴様ぁぁ!」と顔を真っ赤にしているが、ジェラは気にしていない。

 完全に「自分の世界(筋肉道)」に入っている。


「なるほど……。事情は分かりました」


 私は腕組みをして考えた。

 王太子を雑用係にするなんて、普通なら不敬罪この上ない。

 だが、ここはカルスト領。

 実力主義の筋肉帝国だ。筋肉歴が物を言う。


 それに、今の彼からは「やる気」を感じる。

 あのヘタレだった王子が、ここまで仕上がってくるとは。お父様の指導も大したものだ。


「いいでしょう。入会を許可します」


「本当か!」


 ジェラの顔が輝いた。


「ただし、特別扱いはしませんわよ。他の弟子たちと同じメニューをこなしていただきます」


「望むところだ! ……ありがとう、アレクサンドラ」


 彼は感極まったように、私の手を取ろうとした。

 が、すんでのところでゼノンに弾かれた。


「気安く触るな! 元婚約者だからといって、アドバンテージがあると思うなよ!」


「ははは。厳しいな、先輩は」


 ジェラは爽やかに笑って受け流した。

 メンタルまで強くなっている。

 以前なら泣いて逃げ出していただろうに。


「……まあ、戦力が増えるのは悪くない」


 ルイスがぼそりと呟いた。


「それに、あの肉体の変化……。短期間でここまでビルドアップするとは、何か特殊なメソッド(王家秘伝のプロテインとか)があるのかもしれん。サンプルとしては興味深い」


「ガハハ! 若者が増えるのは良いことだ!」


 ガンドルも歓迎ムードだ。


 こうして、元婚約者のジェラが、新入りの「下っ端」として加わることになった。


「えっと……お名前、なんでしたっけ?」


 私はふと、肝心なことを忘れていることに気づいた。


 彼の名前だ。


 ずっと「元婚約者」とか「王子」と呼んでいたし、存在すら忘れかけていたので普通に思い出せない。


 皆がさっきから散々名前を呼んでいる気もするが、特に頭に入ってこない。


 覚える気がないのだろうか。

 しかし、筋肉帝国(領地)会員(領民)となった今、覚えなければならないだろう。


「ジェラ……」


 ジェラシー? 違う。

 ジェラート? 美味しそうだけど違う。


「……ジェラ、ピケ?」


 私が首を傾げると、周囲の空気が凍りついた。

 王太子の名前を間違えるなど、あってはならない失礼だ。


 ゼノンが「ぷっ」と吹き出し、セレスティアが「お姉様、さすがにそれは……」と顔を覆う。


 だが、当の本人は――。


「ジェラルドだよ。アレクサンドラ」


 彼は怒るどころか、愛おしそうに目を細めて、優しく訂正してくれた。

 まるで、幼子に言葉を教える聖母のように。


「……あ、そうでしたわね。失礼しました」


「敬語もいらない。ここでは君が『師匠マスター』で、私は『新入り』なのだから」


 彼は跪き、私の靴(安全靴)に口付けんばかりに頭を垂れた。


「一生ついていきます。マスター・アレクサンドラ」


「……はぁ」


 私はため息をついた。


 なんだか、面倒なのがまた一人増えた気がする。


 しかも、今度のは「素直で純粋」という、一番扱いにくいタイプだ。


 私のことを諦めていないというその瞳。

 その熱量は、マグマよりも熱く、私の背中をじりじりと焦がすようだった。


(ま、いっか。労働力は多い方がいいし)


 私は思考を切り替えた。


 王太子だろうが元婚約者だろうが、ここに来たからには一人の「筋肉」だ。


 きっちりしごいて、立派な開拓民にしてあげましょう。


「さあ、まずは挨拶がわりの岩運びです! 500往復!」


「はいっ! 喜んで!」


 このむさ苦しい領地に、爽やかな返事が響き渡った。


 こうしてまた一人、私は狂信者を手に入れた。


 私と言うやつは、なんと罪深い存在なのだろう。


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