第43話:魔神を倒してから二ヶ月。領地は発展し、ペットの犬(熊)には天使の羽が生えました
王都での大騒動から、二ヶ月が経過した。
カルスト領の朝は、いつものように活気に満ちていた。
「ワンツー! ワンツー!」
「今日もいい天気だ! 大胸筋が光合成を求めている!」
爽やかな風に乗って、男たちの野太い掛け声が聞こえてくる。
私はテラスに出て、大きく伸びをした。
眼下に広がるのは、かつての荒野ではない。
美しく整備された石畳の道路。
その両脇には、色とりどりの花が植えられたプランターが並び、街路樹が木漏れ日を落としている。
家々は瓦礫や丸太を適当に組んだものではなく、ルイスの土魔法とゼノンの剣技、そしてガイルたちの腕力によって建てられた、立派な石造りの住居だ。
屋根には赤いレンガが敷き詰められ、煙突からは朝食を作る煙が立ち上っている。
「……平和ですわね」
私はコーヒーを飲みながら呟いた。
王都からの移住者(という名の筋肉教団への入会希望者)は増え続け、今や領民の数は1000人を超えている。
最初は男ばかりのむさ苦しいキャンプ地だったが、最近では家族連れや商人も増え、ちゃんとした「街」としての機能が整いつつある。
「おはようございます、お姉様」
背後から声をかけられた。
銀髪を揺らし、セレスティアがやってくる。
彼女の手には、今日も分厚い書類の束が抱えられている。
「おはよう、セレス。今日も早いのね」
「ええ。王都の『バーデン・サロン(筋肉教団・王都支部)』から、今月の売上報告が届きましたの」
セレスティアは眼鏡をクイッと上げ、報告書を開いた。
「絶好調ですわ。プロテインの売上は前月比200%増。お姉様のブロマイド……いえ、『御影』は、発売から5分で完売したそうです」
「ブロマイド……?」
「はい。王都の中央広場には、お姉様の等身大の彫像が建立され、毎日多くの信者が参拝に訪れているとか」
「……ちょっと待って。いつの間にそんな宗教じみたことに?」
私は引きつった笑みを浮かべた。
私が知らない間に、王都では私が『筋肉の聖女』として神格化されているらしい。
お父様、張り切りすぎではないだろうか。
「信仰は力ですわ、お姉様。この影響力があれば、王国議会にも圧力をかけられますし、何よりグッズ収益が馬鹿になりません」
セレスティアが悪徳商人のような顔で電卓を叩く。
頼もしいが、少し怖い。
「お嬢様、朝食のご用意ができました」
ワゴンを押して現れたのは、トムだ。
彼の執事服は特注のスーパーサイズだが、それでもはち切れんばかりの筋肉が主張している。
その隣には、老執事のセバスが控えている。
「本日のメニューは、コカトリスの胸肉のソテー、オークの煮込み、そして採れたての巨大ブロッコリーのサラダでございます」
「ありがとう、トム、セバス。完璧ね」
二人の連携は相変わらず見事だ。
トムが力技で重い食器を運び、セバスが高速移動で配膳する。
この二ヶ月で、彼らは「剛と柔の最強執事コンビ」として、領民たちからも一目置かれる存在になっていた。
私はテラスの席に着いた。
すると、庭の方から賑やかな声が聞こえてきた。
「むんっ! ここはどうだ! この角度が一番、三角筋が映えると思うのだが!」
「いえ陛下、あと3度右です! そして屋根の傾斜はもう少し鋭角に……!」
見下ろすと、庭の隅でガンドルとゼノンが、何やら作業をしている。
二人はまだ帰っていなかった。
それどころか、領地の外れに自分たちのマイホームを建て、完全に定住してしまっている。
「……あの二人、いつ国に帰るのかしら」
「帰らないでしょうね」
セレスティアがさらりと言った。
「バルガ国の宰相からも『王が幸せそうならそれでいい。書類はこちらに送ってくれれば処理する』と連絡がありましたし」
「国政がリモートワーク……!?」
たくましい国だ。
「おや、アレクサンドラ嬢! おはようございます!」
ゼノンが私に気づき、爽やかな笑顔で手を振った。
彼は作業の手を止め、素早く屋根から飛び降りると、花壇から一輪のバラ(巨大化してキャベツみたいなサイズになっている)を摘んで駆け寄ってきた。
「今日も美しい……! 朝日に輝く貴女の姿は、まさに女神! どうですか、このバラと共に、私と永遠の愛を誓いませんか?」
朝から重い。
そしてバラがデカすぎて鈍器に見える。
「……朝からご苦労だな、発情騎士」
冷ややかな声とともに、ルイスが空間転移で現れた。
彼はゼノンと私の間に割って入り、バリアのように立ちふさがる。
「彼女は今、朝食前だ。消化に悪いセリフを吐くな」
「なんだと!? これは純粋な愛の告白だ! 貴様こそ、朝からネチネチと……!」
バチバチと火花が散る。
この二人の小競り合いも、今ではカルスト領の名物(日常風景)になっていた。
もはや挨拶のようなものだ。
「はいはい、喧嘩しないの。ご飯が冷めますわよ」
私が手を叩くと、二人は瞬時に表情を緩め、席に着いた。
躾の行き届いた犬のようだ。
「グルゥ~ン♪(ご主人〜♪ ちょっと見てぇ〜♪)」
その時、空から影が落ちてきた。
バササッ!
風圧とともにテラスの手すりに舞い降りたのは、巨大な……天使?
いや、熊だ。
真っ赤な剛毛に覆われた、体長5メートルのグリズリー。
ポチである。
だが、以前とは決定的に違う点があった。
背中に、純白の翼が生えているのだ。
「おはよう、ポチ。今日も可愛いわね」
「グルッ!(はいご主人!)」
ポチは嬉しそうに鳴き、私の頭に頬ずりをしてくる。
剛毛が痛いが、愛情表現なので我慢する。
あの日、私が覚醒した際の魔力を至近距離で浴び続けた影響か、あるいは落ちてた魔神の欠片をうっかり食べちゃった影響か。
ポチは種族進化を遂げていた。
『レッド・グリズリー』から、伝説のSランク魔獣『エンジェル・グリズリー』へ。
見た目は凶悪な熊に天使の羽が生えたというシュールな絵面だが、その戦闘力はドラゴンすら捕食するレベルだ。
なのに中身は甘えん坊のままで、今では領地のマスコットとして子供たちにも大人気である。
「ポチ、パトロールご苦労様。異常はなかった?」
「グルゥ……(あっちに何かいた)」
ポチが北の空、山岳地帯の方角を指差した。
見ると、空の一部が黒く淀んでいる。
魔神の欠片が受肉し、新たな魔物が発生しようとしている兆候だ。
二ヶ月前、私が粉砕した魔神の破片は、世界中に散らばる……かと思いきや、私の魔力に引き寄せられて、このカルスト領周辺に集中して降り注いでいた。
おかげで、ここは「魔神の欠片」を核とした強力な変異種が頻繁に出現する、世界一のホットスポットになってしまっている。
普通なら絶望的な状況だ。
Sランク級の魔物が、週替わりで攻めてくるのだから。
だが。
「……また出たか。懲りないな」
ルイスがコーヒーを啜りながら、退屈そうに言った。
「最近の魔物は質が落ちた気がしませんか? 先週のヒドラも、再生する前に消し炭にしてしまいましたし」
ゼノンもナイフとフォークを使いながら、優雅に同意する。
そう。
敵が強ければ強いほど、こちらの戦力も過剰な筋肉の発達によりインフレを起こして強くなっていくのだ。
「ガイル!」
私はテラスから下にいる親衛隊長に声をかけた。
「北の山に反応ありです! 新人たちの研修に行ってらっしゃい!」
「ういーっす! 了解っす姉御!」
ガイルが立ち上がった。
彼は今や、300人に膨れ上がった『筋肉親衛隊』の総隊長を務めている。
その肉体は、以前とは比較にならないほどビルドアップされ、オーラすら纏えるようになっていた。
今のガイルなら、出会ったばかりの頃のポチなど片手でボコせるだろう。成長を感じる。
「野郎ども! 朝飯前の運動だ! 獲物は……『カオス・マンティコア』一匹!」
「「「「うおおおおおッ!!」」」」
親衛隊の男たちが、嬉々として武器(素手や丸太)を取る。
カオス・マンティコア。通常なら騎士団が総出で挑むAランク上位の魔物だ。(初期ポチレベル)
だが、彼らにとっては「ちょうどいいサンドバッグ」でしかない。
彼らは今や、下っ端の隊員ですら単独でBランク魔獣を殴り殺せるほどの狂気の精鋭集団と化している。
魔神の欠片の影響で環境マナ濃度が上がっているこの地で、私の指導を受け続けた結果、全員が人間を超越し始めているのだ。
「いってきまーす!」
ドドドドド……。
300人の筋肉の塊が、雪崩のように山へ向かって走っていく。
その背中を見送りながら、私はパンにジャムを塗った。
「平和ですわねぇ」
「……この光景を平和と呼べるのは、世界でここだけですよ」
トムが苦笑しながら紅茶を注ぎ足してくれた。
そう。
ここは魔境カルスト領。
魔物が湧き、筋肉が躍動し、常識が粉砕される場所。
王都の社交界よりも刺激的で、どこよりも騒がしい。
でも、ここが私の居場所だ。
「さて、食べ終わったら私も行きましょうか」
私は立ち上がった。
手錠はもうない。
今の私は、何にも縛られず、全力で動ける。
「今日は新しい温泉源を探しに行きますよ! ルイス様、探知をお願いできますか?」
「やれやれ……。またマグマを掘り当てる気か?」
「今度は慎重にやりますわ。ゼノン様は護衛を」
「御意! 地の果てまで!」
「ガンドル陛下は……」
「余は留守番だ! 今日は背中の日だからな!」
陛下がベンチプレス台に向かう。
私はポチの背中に飛び乗った。
フカフカの毛並み。天使の羽がバサリと広がる。
「行くわよ、ポチ!」
「グルァッ!(はいご主人!)」
ポチが力強く地面を蹴り、空へと舞い上がった。
眼下には、私の作った街が広がっている。
笑顔の人々。輝く汗。
私はこの景色を守るためなら、何度でも拳を振るうだろう。
たとえ相手が魔神でも、運命でも。
さあ、今日も忙しくなるわよ!筋肉は待ってくれないのだから!
――この時の私はまだ知らなかった……まさか、もう、すぐそこまで……ムキムキになったあいつの影が迫っていることを…………。




