第22話:隣国の脳筋王が「弟子にしてくれ」と国境を越えてきました
魔力を封じる手錠をつけてから、数日が経過した。
私の生活は、一言で言えば「ハードモード」だ。
歩くだけで息が切れ、スプーンを持つのも一苦労。
だが、その過酷さが逆に心地よかった。
「お嬢様、お茶が入りましたよ」
瓦礫のベンチで荒い息をついている私に、トムがお盆を持って近づいてきた。
……改めて見ると、すごい絵面だ。
以前は風が吹けば飛びそうなひょろひょろ体型だったトムが、今やプロレスラーのような逆三角形の肉体美を誇っている。
ピチピチになった執事服の袖が、上腕二頭筋に締め付けられて悲鳴を上げている。
胸板が厚すぎて、蝶ネクタイが埋もれている。
「ありがとう、トム。……あなた、また大きくなりました?」
「そうですか? 毎日ポチの散歩(という名の格闘)をしているおかげかもしれません」
トムは爽やかな笑顔で、軽々と岩のようなティーポットを持ち上げた。
彼もまた、この過酷な環境に適応し、進化を遂げた一人だ。
中身は相変わらず気弱な従者のままだが、見た目の説得力が違う。
「さて、休憩終わりですわ。午後からは岩運びです」
私はよろりと立ち上がった。
手錠が重い。
だが、初日に比べれば、少しだけ体が軽くなった気がする。
筋肉が環境に適応し始めているのだ。危機感という最高のスパイスに当てられて。
「お嬢様、無理はなさらないでくださいね。ルイス様も心配されていましたよ」
「平気よ。ここで休んだら、筋肉に申し訳が立たないもの」
私が歩き出そうとした、その時だった。
ドスーン! ドスーン!
地面が揺れた。
魔獣ではない。もっと規則的で、重々しい足音だ。
「……なんだ?」
近くでトレーニングをしていたガイルたちが動きを止める。
領地の入り口の方角から、土煙が上がっていた。
「たのもぉぉぉぉぉッ!!」
雷のような大声が響き渡った。
空気がビリビリと震える。
現れたのは、一人の男だった。
身長2メートル強。
ライオンのたてがみのような金髪と、顔の半分を覆う髭。
そして何より目を引くのは、その肉体だ。
丸太のような腕、樽のような胴体。着ている豪奢な毛皮のマントが、筋肉の鎧に弾かれそうになっている。
人間離れした巨漢が、たった一人で、悠然と歩いてくる。
「警戒せよ! ただの旅人じゃねえぞ!」
ガイルが叫び、弟子たちがツルハシを構える。
ポチも唸り声を上げて威嚇した。
だが、男は止まらない。
彼はジムの前まで来ると、仁王立ちして周囲を見回した。
「ほほう……! 見事だ!」
男は感嘆の声を上げた。
「噂には聞いていたが、これほどとは! 見よ、この洗練された設備! そして、あそこで汗を流す男たちの、はち切れんばかりの筋肉を!」
彼の目が、ムキムキになったトムに釘付けになった。
「素晴らしい……! ただの執事でさえ、この肉体美! これこそが、余が求めていた『理想郷』か!」
「あ、あの……どなたですか?」
私が声をかけると、男はバッと振り返った。
その眼光は鋭いが、どこか子供のような無邪気さがある。
「おお、お主がここの主か?」
男は私を見て、一瞬だけ怪訝な顔をした。
無理もない。
今の私は手錠をかけられ、顔色も悪く、ドレスもボロボロだ。
どう見ても「捕虜」か「病人」である。
「はい、アレクサンドラと申します。あなたは?」
「余か? 余は……」
男は不敵に笑い、マントを翻した。
「隣国『バルガ』を統べる王、ガンドル・ライオ・バルガである!」
「「「「王様ァッ!?」」」」
ガイルたちがひっくり返った。
バルガ国。
北に位置する軍事国家で、「力こそ正義」を国是とする戦闘民族の国だ。
そこの国王が、なぜこんな辺境に? しかも一人で?
「こ、国王陛下が、どのようなご用件で……?」
トムが震えながら(見た目はゴリラだが)尋ねる。
「うむ。先日、我が国の国境警備隊から報告があってな。『隣の領地で、素手でスタンピードを鎮圧した化け物がいる』とな」
ガンドル王はニカッと笑った。
「居ても立ってもいられなくなってな! お忍びで飛んできたのだ! ガハハハハ!」
迷惑な王様だ。
護衛もつけずに他国に不法侵入とか、国際問題になりかねない。
「それで、その化け物……いや、『拳聖』殿はどこにおる? まさか、その手錠をかけられたひ弱な娘ではあるまい?」
ガンドル王は私を見下ろした。
今の私からは、覇気も魔力も感じられないのだろう。
完全にナメられている。
(……カチン)
ひ弱?
今、なんと?
そのキャラ、もう捨てたんだけど?
「王様。訂正していただけますか?」
私は静かに言った。
「ひ弱ではありません。今は『調整中』なだけです」
「ほう?」
ガンドル王が面白そうに眉を上げた。
「その手錠、魔封じの拘束具だな? なぜ自ら力を封じている?」
「トレーニングですわ」
「トレーニングだと?」
「ええ。魔法に頼らずとも、最強であることを証明するために」
その言葉を聞いた瞬間、ガンドル王の目の色が変わった。
好奇心ではない。
武人としての、熱い共感の色だ。
「……面白い。気に入ったぞ、娘!」
彼は豪快に笑った。
「魔法全盛のこの時代に、あえて己の肉体のみを信じるとは! その心意気、天晴れだ! だが……」
ドンッ!
彼が足を踏み鳴らすと、地面が揺れた。
「口だけなら何とでも言える。その細腕で、余を満足させられるかな?」
ガンドル王が構えた。
素手だ。
だが、その全身から立ち上るプレッシャーは、ミスリル・ゴーレムにも匹敵する。
彼もまた、極限まで鍛え上げられた「人間凶器」なのだ。
「手合わせ願おうか! お主が本物なら、この手錠をつけたまま、余を一歩でも下がらせてみせよ!」
「お嬢様! 無理です! 今の状態では……!」
トムが止めようとする。
確かに、今の私はステータスが半減している。
普段なら物理無効でもない限りデコピンで星にできる相手だが、今の状態では苦戦するかもしれない。
だが。
「……上等ですわ」
私は一歩前に出た。
手錠の鎖がチャリと鳴る。
筋肉を馬鹿にされて、黙っていられるか。
魔法がなくても、私は私だ。
アレクサンドラ・フォン・バーデンだ。
「後悔なさいませんように、陛下」
私は右足を引いた。
魔力身体強化は使えない。
頼れるのは、純粋な筋繊維の収縮と、重心移動の技術のみ。
「いくぞッ!!」
ガンドル王が突っ込んできた。
戦車のような突進。
真正面から受ければ吹き飛ばされる。
私は動かない。
ギリギリまで引きつけて――。
フッ。
衝突の寸前、私は体を沈めた。
相手の懐に潜り込む。
そして、王の突進の勢いを利用して、下から掌底を顎に突き上げた。
魔力はない。
だが、タイミングは完璧だ。
パァンッ!!
乾いた音が響いた。
「ぐっ……!?」
ガンドル王の巨体が浮いた。
脳を揺らされ、足がもつれる。
そこへ、追撃のボディブロー。
腹筋に力を込め、腰の回転だけで拳をねじ込む。
ドスッ!!
「ごふぁっ……!!」
王がくの字に折れ曲がり、タタタッと数歩後ずさった。
そして、尻餅をついた。
シーン……。
静寂が場を支配する。
ガイルたちが口をあんぐりと開けている。
「……う、嘘だろ……?」
「手錠をつけたまま、あのバケモノを転ばせた……?」
私は息を切らせていた。
今の連撃で、残りのスタミナをすべて使い果たした気がする。
膝が笑っている。
だが、勝った。
一歩どころか、転ばせてやった。
「……カッカッカッ!」
沈黙を破ったのは、ガンドル王の笑い声だった。
彼は尻餅をついたまま、空を仰いで大笑いした。
「痛快! 実に痛快だ! 魔力に頼らず、技と胆力だけで余を倒すとは!」
彼はむくりと起き上がり、私の前に跪いた。
そして、私の手(手錠つき)をガシッと握りしめた。
「惚れたぞ、アレクサンドラ殿! いや、師匠!」
「……は?」
「余を弟子にしてくれ! その『魔力に頼らない戦い方』、ぜひとも我が国の兵に教授願いたい!」
「ええぇ……?」
私は困惑した。
倒した相手に弟子入りされる。
ガイルたちの時と同じパターンだ。
筋肉キャラというのは、どうしてこうも思考回路が単純なのだろうか。
◇
その頃。
騒ぎを聞きつけたルイスが、血相を変えて飛んできた。
「おい、アレクサンドラ! 隣国の王が来ているというのは本当か! 外交問題になったら……」
彼が見たのは、筋肉隆々の巨漢と、ムキムキの執事と、私の弟子たちが肩を組んでスクワットをしている地獄絵図だった。
「ワンツー! ワンツー!」
「素晴らしい負荷だ! 筋肉が喜んでおるわ!」
その中心で、手錠をつけたアレクサンドラが、死んだ魚のような目でカウントをとっている。
「……」
ルイスは眼鏡を外した。
見なかったことにしたい。
だが、現実は非情だ。
「……私の平穏な研究生活は、どこへ行ったんだ」
彼の嘆きは、誰にも届かなかった。
こうして、カルスト領は「一国家の王」という最強の弟子(兼トラブルメーカー)を迎え入れ、さらなるカオスへと突き進んでいくのだった。




