第2話:「辺境になど行かせん!」と父が言うので、説得のために庭の巨岩(10トン)を粉砕しました
王城の門を出ると、実家の馬車が待っていた。
私の専属執事兼御者のトムが、私の姿を見て目を丸くしている。
「お嬢様? パーティーはまだ始まったばかりでは……」
「ええ、トム。ちょっと空気が肌に合いませんでしたの。帰りますわよ」
「は、はい!」
私はヒールを破壊したペタンコの靴で、ひょいと馬車に乗り込んだ。
トムが慌てて馬を走らせる。
馬車の中で一人になり、私はようやく大きく息を吐いた。
(……さて、これからのことを考えなきゃ)
窓の外を流れる王都の街並みを眺めながら、私は遠い目をした。
会場の扉を吹き飛ばしたあの轟音。
ジェラルドたちの怯えきった顔。
明日には、社交界中が私の噂で持ちきりだろう。「アレクサンドラ嬢が発狂して暴れた」とか何とか言われて。
でも、不思議と後悔はなかった。
むしろ、胸のつかえが取れたような清々しさがある。
もう、お腹を凹ませなくていい。
小声で喋らなくていい。
何より、あの退屈な王子のご機嫌取りをしなくていいのだ。
(なーんか、スッキリした。か弱いフリも必要なくなったし、自由だ。こんなにスッキリするなら、もっと早くカミングアウトしとくんだった。)
私はコルセットのホックを、服の上からブチブチと引きちぎって緩めた。
解放された腹筋が喜びの声を上げている。
さて、問題はこれからだ。
実家に帰れば、父であるバーデン公爵が待っている。
頑固で、体面を重んじる父だ。「婚約破棄された」なんて報告したら、間違いなく激怒して卒倒するだろう。
どう説得するか。
修道院行きか、あるいは年寄りの後妻にでもさせられるのがオチだ。
だが、今の私には「物理」という最強のカードがある。
もう誰の言いなりにもならない。私は私の力で生きていくのだ。
◇
実家の公爵邸に着くと、案の定、玄関ホールには父と母、そして使用人たちが整列していた。
どうやら、王城から早馬で知らせが届いていたらしい。仕事が早いな。
「アレクサンドラ!!」
馬車を降りるなり、父の雷が落ちた。
顔を真っ赤にして、血管がはち切れそうだ。
「貴様、パーティーで何をしでかした! 王太子殿下に暴言を吐き、会場を破壊して逃げ出したとはどういうことだ!」
「あら、お父様。情報が錯綜しておりますわね」
私は優雅にカーテシーをした。
靴の踵がないのでバランスが取りやすい。
「暴言ではありません。事実を申し上げただけです。それに逃げ出したのではありませんわ。あのようなレベルの低い茶番に付き合いきれなくて、退出したのです」
「なっ……な、何を言って……!?」
父が絶句している。
無理もない。今まで「はい、お父様」と従順に頷くだけだった娘が、こんな減らず口を叩くなんて思ってもみなかっただろう。
「それに、婚約破棄はあちらからの申し出です。私はそれを受け入れました」
「馬鹿者!! 王妃になれぬ娘など、バーデン家には不要だ!」
父がステッキで床を叩く。
「直ちに修道院へ行け! ほとぼりが冷めるまで、一生神に祈って暮らすのだ!」
やっぱりそう来たか。
修道院。響きはいいが、要するに厄介払いだ。
粗食に祈りの日々なんて、私の筋肉が衰えてしまう。お断りだ。
「お父様。修道院にはまいりません」
「なんだと! 親に口答えする気か!」
「お願いがございますの」
私は父の目をまっすぐに見た。
「私に、北の『カルスト領』をくださいませ」
その場にいた全員が、ポカンと口を開けた。
カルスト領。
バーデン公爵家が所有する領地の一つだが、そこは魔境だ。
土地は痩せ、岩だらけで、森からは凶暴な魔獣が湧き出てくる。
まともな領民は寄り付かず、犯罪者や流れ者が隠れ住むような場所だと聞いている。
「……正気か?」
父が呆れたように言った。
「あそこは人が住める場所ではない。お前のような、虫も殺せぬか弱い娘が行けば、3日で魔獣の餌食だぞ」
「か弱い、ですか」
私はフッと笑った。
10年間、必死に作り上げてきたそのイメージ。
それを、今ここで壊す時が来たようだ。
「お父様。庭へ出てもよろしいですか?」
「は? 何を……」
私は父の返事を待たず、スタスタと庭へ向かった。
父や母、使用人たちが慌ててついてくる。
手入れの行き届いた美しい庭園。
その中央に、父が自慢にしている巨大な「景観石」があった。
他国から取り寄せたという、高さ3メートルはある巨大な花崗岩の塊だ。
重さは軽く見積もっても10トンはあるだろう。
「これがどうかしたのか」
父がいぶかしげに尋ねる。
「お父様。この石、少々風水が悪いですわね」
「は?」
「私がカルスト領に行っても生き残れるか、ご心配なのですよね?」
私は岩の前に立った。
ひんやりとした硬い感触。
私はドレスの袖を少しだけまくり上げた。
白く、細い腕。
誰もこの下に、鋼鉄の繊維が眠っているとは思うまい。
「アレクサンドラ、何をしている! 早く部屋に戻らんと……」
「ハァッ!!」
私は短く気合を吐き、岩の表面に右の拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォォォン!!
屋敷が揺れた。
落雷のような轟音とともに、10トンの巨岩が内側から弾け飛んだ。
パラパラパラ……。
小石となった破片が、雨のように降り注ぐ。
あとに残ったのは、粉々になった砂利の山だけ。
「…………」
沈黙。
さっきのパーティー会場と同じだ。
父は腰を抜かして芝生にへたり込み、母は白目を剥いて気絶していた。
執事に至っては、眼鏡がずり落ちているのにも気づいていない。
「お父様?」
私は砂利の山の上に立ち、ニッコリと微笑んだ。
「これでもまだ、私がか弱いとおっしゃいますか?」
「あ……あ……あ……」
父はパクパクと口を開閉させ、指を震わせて私を指差した。
「ば、バケモ……いや、お、お前……」
「カルスト領、いただけますわよね?」
私が一歩近づくと、父は「ヒィッ」と悲鳴を上げて後ずさった。
「す、好きにしろ! 領地でも何でもくれてやる! だからこっちに来るなあああ!!」
「ありがとうございます。感謝いたしますわ、お父様」
私は完璧なカーテシーで礼をした。
交渉成立だ。
これで私は、自由の身。
待っててね、北の大地。
岩だらけの荒野も、魔獣の森も。
今の私なら、全部まとめて「更地」にしてあげられるわ。
こうして私は、わずかな着替えと、当面の活動資金(父が震えながら差し出した金貨袋)を持って、再び馬車に乗り込んだ。
目指すは北の最果て、カルスト領。
私のスローライフが、いよいよ幕を開ける。




