第11話:一方その頃、王都では「アレクサンドラが魔王軍を結成した」というデマが真実になっていました
「っくしょん!」
豪快なくしゃみが出た。
私は鼻をこすりながら、手元のツルハシを置き直した。
「お嬢様、大丈夫ですか? お風邪ですか?」
近くで作業をしていたガイルが心配そうに声をかけてくる。
「いいえ、大丈夫よ。誰かが私の噂をしているのかもしれませんわね」
「噂、ですか? きっと王都の人々も、お嬢様の偉大さに気づき始めたんでしょう!」
「だといいのですけど」
私は苦笑した。
王都の人々が私のことを話題にするとしたら、「ゴリラ令嬢」か「破壊神の生まれ変わり」といった不名誉な二つ名についてだろう。
まあ、何を言われていようと関係ない。
今の私は、このカルスト領の開拓に忙しいのだ。
今日の予定は、西の岩場を爆破して、畑を拡張すること。
そして夜は、ルイスから差し入れられたコカトリスの卵でオムレツを作ることだ。
平和だ。
筋肉痛が心地よい、充実した日々。
だが、私は知らなかった。
私の預かり知らぬところで、とんでもない誤解が雪だるま式に膨れ上がり、国家規模の大問題へと発展しようとしていることを。
◇
同時刻。王都、王城の一室にて。
きらびやかな調度品に囲まれたサロンで、王太子ジェラルドは深い憂鬱の中にいた。
「……ジェラルド様ぁ。まだ怖い顔をしてらっしゃいますわ」
隣に座るソフィが、甘ったるい声で彼の腕に絡みつく。
ピンク色の髪、潤んだ瞳。
小動物のように愛らしい彼女の姿に、ジェラルドは少しだけ表情を緩めた。
「すまない、ソフィ。……あの夜のことが、まだ頭から離れなくてね」
ジェラルドの手が、無意識に震えた。
脳裏に焼き付いているのは、卒業パーティーでの悪夢だ。
婚約者だったアレクサンドラが、鉄の手すりを粘土のように握りつぶし、大理石の床を踏み抜いた光景。
そして、厚さ10センチはある大扉を、片手で吹き飛ばした轟音。
あれ以来、ジェラルドは夜もろくに眠れていなかった。
物音がするたびに、「あいつが戻ってきたのではないか」と怯えてしまうのだ。
「大丈夫ですわ、ジェラルド様。あのような野蛮な女、二度とここには戻れませんわ」
ソフィが彼の胸に頬を寄せる。
「今は北の果て、魔境と呼ばれるカルスト領に追放されたと聞きました。あんな場所、普通の人間なら三日と持ちません。きっと今頃、魔獣に食べられて……」
ソフィは口元を扇子で隠し、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「可哀想なアレクサンドラ様。身の程知らずな怪力の報いですわね」
「……そうだな。君の言う通りだ」
ジェラルドは自分に言い聞かせるように頷いた。
そうだ。あいつはもういない。
これからは、この可愛いソフィと幸せな未来を築くのだ。
その時。
部屋の扉がノックされ、側近の文官が慌てた様子で飛び込んできた。
「で、殿下! 大変です! 緊急の報告が入りました!」
「なんだ、騒々しい。……アレクサンドラの訃報か?」
「いえ、逆です! とんでもない情報が届いております!」
文官は青ざめた顔で、一枚の報告書を差し出した。
そこには、王都に潜伏させていた密偵からの情報が記されていた。
『バーデン領にて、不穏な動きあり』
「不穏な動き、だと?」
ジェラルドが眉をひそめる。
「はい。報告によりますと……アレクサンドラ嬢は、カルスト領に到着するやいなや、近隣の無法者や冒険者たちを集め、私兵団を組織しているとのことです!」
「なっ……!?」
「その数、すでに数十名! 彼らは日夜、過酷な軍事訓練を行い、岩山を削り、森を切り開いて要塞を築いているそうです!」
「要塞だと!?」
ジェラルドが立ち上がった。
冒険者を集めて開拓をしているだけなのだが、王都のフィルターを通すと「私兵団による要塞建築」に変換されるらしい。
「さらに、もっと恐ろしい情報が……」
文官が声を震わせる。
「彼女は、伝説の魔獣『ブラッディ・グリズリー』を手懐け、配下にしたとのことです」
「バカな! Aランクの魔獣だぞ!?」
「事実です! 目撃者によれば、巨大な熊が彼女の命令一つで動き、敵対する者を虐殺しているとか……。他にも、巨大な猪や狼など、数多の魔獣を従えているとの噂も……」
ソフィが「ヒィッ」と悲鳴を上げて、ジェラルドにしがみついた。
「やっぱり……! あの方、人間じゃありませんでしたのよ! 魔獣を操るなんて、魔女……いいえ、魔王の使いですわ!」
「くっ……!」
ジェラルドの顔から血の気が引いていく。
私兵団の組織。
要塞の建築。
そして、魔獣の軍勢。
これらが意味することは一つしかない。
「あいつ……国に反逆する気か!」
ジェラルドは拳をテーブルに叩きつけた。
「婚約破棄されたことを逆恨みし、辺境で力を蓄え、王都に攻め込むつもりなんだ! あの馬鹿力で!」
「ひぃぃぃ! 怖いですぅ、ジェラルド様ぁ!」
ソフィが嘘泣きを始める。
だが、ジェラルドの恐怖は本物だった。
あのアレクサンドラが、魔獣と荒くれ者を引き連れて攻めてくる。想像しただけで失禁しそうな悪夢だ。
「放置しておけば、取り返しのつかないことになる……。芽は早いうちに摘まねばならん!」
ジェラルドは決意の表情で顔を上げた。
恐怖を怒りで塗りつぶし、王太子としての威厳を奮い立たせる。
「直ちに『特別査察団』を編成せよ! 名目は領地経営の監査だが、実質的な討伐隊だ!」
「はっ! 近衛騎士団から精鋭を選抜します!」
「うむ。団長は『鉄壁』の異名を持つガルドに任せろ。奴の防御力なら、あの女の怪力にも耐えられるはずだ」
ジェラルドはニヤリと笑った。
ガルド騎士団長は、王国内でも五指に入る実力者だ。全身をミスリル製の重装甲で固め、防御魔法のエキスパートでもある。
彼率いる精鋭部隊なら、いくらアレクサンドラでも太刀打ちできまい。
「アレクサンドラよ……。大人しく修道院に行っていればよかったものを」
ジェラルドは窓の外、北の空を睨みつけた。
「王家に牙を剥こうとしたこと、後悔させてやる。その自慢の筋肉ごと、粉砕してくれるわ!」
彼の目には、確信めいた勝利の予感があった。
自分が送り込む騎士団が、まさか現地で「マッサージの練習台」にされ、温泉旅行気分で骨抜きにされる未来など、知る由もなかった。
こうして、勘違いと恐怖に突き動かされた王都の刺客たちが、平和な(?)筋肉帝国へと放たれたのである。




