表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それでも俺はAIを使わない  作者: 人間賛歌
第3章:誤植の神様
16/22

第16話:ノイズの復権

世界が反転する音を聞いたことがあるか? 俺はある。今、まさにその音の中にいるからだ。


一夜明けて、事態は制御不能な領域に突入していた。 『哀していた』という誤植……いや、今や「神表現」と崇められているその一言が、ネット上の空気を一変させたのだ。


テレビをつける。 昼のワイドショー。コメンテーターの席には、昨日までAI特集を得意げに語っていたITジャーナリストが座っている。


『これからは、AIには出せない「揺らぎ」の時代ですよ。この高村健という作家は、あえて完璧な日本語を崩すことで、喪失感という計算不可能な感情を表現した。いやあ、見事です』


「……嘘をつけ」


俺はソファで膝を抱えながら、画面に毒づいた。 お前、昨日は「AI校正を使わない作家は淘汰される」って言ってただろうが。


スマホを見る。 TikTokでは、若者たちが『人間失格の夜』の誤植箇所を朗読する動画がバズっていた。 ただし、昨日のような嘲笑ではない。 ピアノのBGMに乗せ、涙を流しながら「エモい」と語り合っているのだ。


『「肩を炊いた」。これは、熱情が物理的な熱量に変わるほどの激しい愛の隠喩メタファー!』 『「絶頂の淵」。絶望と絶頂は紙一重だという哲学的メッセージ!』 『誤字じゃない。これは「ノイズ・アート」だ!』


ノイズ・アート。 俺の恥ずかしいミスが、いつの間にか現代アートの最先端に祭り上げられている。 AIが生成する「正解」があふれかえる世の中で、俺の「間違い」は、皮肉にも希少価値の高い「人間性の証明」として消費され始めたのだ。


松島から電話がかかってくる。 昨夜とは違い、声が少し上擦っていた。


『高村さん、重版が決まりました。電子だけじゃない、紙でも出します。初版3万……いや、5万いけます』


「……正気か? 誤字だらけだぞ」


『直しませんよ。一文字たりとも』 松島は断言した。 『今の読者は、その誤字ノイズにお金を払っているんです。「AI校正を通していない証明書」としてね。修正したら、逆に炎上します』


「俺は、不良品を売る詐欺師か?」


『アーティスト、と呼んでください。……それと、取材依頼が殺到しています。テレビ、雑誌、Webメディア。全員が「あの表現に込めた意図」を聞きたがっている』


俺は電子タバコを口に運び、深く吸い込んだ。 煙を吐き出す。 ゆらゆらと揺れるその煙のように、真実と虚構の境界が曖昧になっていく。


俺には二つの選択肢があった。 一つは、正直に「あれはただのミスです。老眼と疲労の産物です」と謝罪すること。 そうすれば、ブームは一瞬で去り、俺は再び嘲笑の的になるだろう。作家生命は終わる。


もう一つは……。


『高村さん? 聞こえていますか?』


「……ああ、聞こえてる」


俺はデバイスを強く握りしめた。 熱を持っている。 俺のプライドは、とっくの昔に泥にまみれている。 だったら、その泥を「金箔」だと言い張って、最後まで演じ切るのも、作家のごうじゃないのか?


「松島。取材、全部受けよう」


『いいんですか? 意図を聞かれますよ』


「問題ない」


俺は口角を吊り上げた。 鏡に映る俺の顔は、ひどく卑屈で、そして最高に邪悪だった。


「全て、俺の計算通りだとな」


電話を切る。 俺はPCに向かい、SNSのアカウントを開いた。 フォロワー数が、秒速で増えている。 俺は、震える指で「投稿」ボタンを押した。


『誤読こそが、読書の自由だ。正解《AI》に縛られるな。俺のノイズを感じろ』


送信。 直後に付く、無数の「いいね」。


俺はついに一線を超えた。 ミスを才能だと偽り、バグを芸術だとうそぶく。 それはAIよりもタチの悪い、人間の嘘だ。


だが、不思議と気分は悪くなかった。 むしろ、腹の底から黒い笑いがこみ上げてくる。 世界中が、俺の「誤植」にひれ伏している。 ざまあみろ。AIも、アルゴリズムも、俺の「うっかりミス」には勝てなかったんだ。


俺は電子タバコのカートリッジを交換した。 新しい味がした。 それは、甘美な「勝利」の味だった。


まだ気づいていない。 この嘘が、やがて俺自身を、本当の意味で「学習データ」として売り渡すための契約書になるとは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ