第13話:炎上の狼煙
午前0時。 日付が変わると同時に、電子書籍ストアの新着リストに『人間失格の夜』が追加された。 表紙画像はない。デフォルトの無機質なフォントでタイトルと著者名だけが記されている。まるで墓石だ。
俺はPCの前で、F5キーを連打していた。 手には電子タバコ。本日3本目のカートリッジだ。 心拍数が異常に高い。 世に問うたのだ。俺の全てを。
「……反応は、まだか」
検索窓に『人間失格の夜』『高村健』と打ち込み、リアルタイム検索をかける。 最初の10分は、完全な無風だった。 深海のように静かだ。誰にも気づかれていない恐怖。 「無視」こそが、作家にとって最も残酷な死刑宣告だ。
だが、0時15分。 最初の一石が投げ込まれた。
ユーザーID: book_worm_99 『高村健の新作出てるけど、これ何? 冒頭から誤字ってるんだけど』
心臓が跳ねた。 俺は慌てて自分の本のプレビュー画面を確認する。
『夜の帳が下りる』と書くべきところが、『夜の帳簿が下りる』になっていた。
「……クソッ、予測変換か!」
俺は頭を抱えた。 シリアスな冒頭が、一瞬で経理担当者の残業風景になってしまった。 だが、これはまだ序の口だった。
30分後。 SNSのタイムラインは、加速する濁流のように荒れ始めた。
『ページ5:主人公が「絶望を噛み締める」じゃなくて「絶望を神締める」になってる。神になっちゃったよw』 『ページ12:「孤独な夜」が「鼓毒な夜」に。どんな毒だよ』 『これ校正通してないでしょ。編集なにしてんの?』
スクリーンショット付きの投稿が次々とアップされる。 俺の魂を削った文章が、赤ペン先生のように添削され、笑いものにされている。
「うるさい……うるさいッ!」
俺は画面に向かって吠えた。 だが、通知音は止まらない。 むしろ、その「質の低さ」が面白がられ、拡散され始めている。
あるまとめサイトが記事を立てた。 【悲報】中堅作家・高村健、AI以下の日本語で新作を発表してしまう
その記事のコメント欄には、容赦のない罵倒が並ぶ。
『ゴースト・Tの爪の垢でも煎じて飲め』 『人間が書くとこうなるっていう悪い見本』 『これならChatGPTに書かせた方が100倍マシ』 『金取っていいレベルじゃねーだろ』
比較対象は常にAIだ。 きれいで、正確で、ミスのない人工知能様。 それに比べて、俺の文章はバグだらけの産業廃棄物扱いだ。
「読んでくれよ……中身を!」
俺はモニターを指で弾いた。 誤字の向こうにある、俺の叫びを。 行間に込めた、血の通った感情を。 誰も見ていない。 彼らは「間違い探し」というゲームを楽しんでいるだけだ。
その時、一通のDMが届いた。 牧野からだ。
『先生、見ました。……どうしてAI校正を使わなかったんですか? 以前スキャンしたデータを使えば、先生の文体のまま修正できたのに。残念です』
「残念、だと?」
牧野の文面には、本心からの哀れみが滲んでいた。 それが一番、俺のプライドを抉った。 怒りで指が震え、返信すら打てない。
午前3時。 ハッシュタグ #人力誤字 がトレンド入りした。 俺の小説は、感動させる物語としてではなく、「現代の奇書」として消費されようとしている。
俺は電子タバコを口にするが、吸う気力も起きない。 ただ、流れていくタイムラインを呆然と眺める。
『誤字多すぎて逆に読みたくなってきたw』 『ポチった。答え合わせしてくる』 『今どきこんな誤植だらけの本、レアじゃね?』
売上ランキングが、皮肉にも上がり始めている。 嘲笑を買うために、俺は作家になったのか? ピエロとして踊らされるために、あの夜、泥水を啜ったのか?
「……笑えばいい」
俺は乾いた唇で呟いた。 今は笑え。誤字脱字、大いに結構。ネタとして消費すればいい。 だが、最後まで読め。 あそこには、俺の全ての感情を叩きつけたラストシーンがある。あれだけは、誰にも笑わせない。あれだけは、完璧な「俺の言葉」のはずだ。
そう、この時の俺はまだ信じていた。 まさかその「完璧なラストシーン」にこそ、俺自身すら気づいていない最大の「誤植《爆弾》」が埋まっているとは、知る由もなかったのだ。
PCのブルーライトだけが、何も知らない敗残兵のような俺の顔を、青白く照らし続けていた。




