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それでも俺はAIを使わない  作者: 人間賛歌
第2章:削除されたアイコン
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第11話:泥の呼吸

キーボードを叩く指が重い。 AIなら0.01秒で出力する一文を、俺は10分かけて悩み、書いては消し、また書く。 効率? 知ったことか。 俺は今、舗装された道路を捨てて、泥沼を這っている。


ThinkPadのファンが、離陸寸前のジェット機のような音を立てている。 Chromeのタブは、ついに100個を超えた。 タスクマネージャーのメモリ使用率は98%。PCも俺も、フリーズ寸前の限界領域だ。


「……クソッ、違う。この言葉じゃねえ」


俺は『孤独』という単語をバックスペースで消した。 安直だ。手垢がついている。 俺が書きたいのは、もっとザラついた、喉に引っかかるような孤独だ。


俺は新規タブを開く。 検索窓に打ち込む。


『深夜 冷蔵庫の音 うるさい』 『誰とも話さない 喉の筋肉 衰え』 『40代 野垂れ死に 予兆』


表示されるのは、きらびやかなインフルエンサーの成功譚でも、AIがまとめたライフハック記事でもない。 個人のブログ、掲示板の書き込み、ヤフー知恵袋の切実な相談。 検索順位30ページ目の底に沈殿している、名もなき人間たちの怨嗟の声。


俺はそれを掬い上げる。 泥だらけの砂金を探すように。 目が痛い。ドライアイ用の目薬を差すが、焼けた石に水だ。 肩が鉛のように重い。 電子タバコの吸いすぎで、肺が冷たく痛む。


だが、止まらない。 脳内で、裏切っていった者たちの顔がフラッシュバックする。


『時代は変わったんだよ』と笑う佐伯。 『先生は古い』とデータを盗んだ牧野。 『最適化しましょう』と出て行った絵里子。


「上等だ……。お前ら全員、ネタにしてやる」


俺は呪詛を吐きながら、キーを叩く。 怒りが燃料だ。屈辱がインクだ。 綺麗な文章はいらない。 文法が乱れていてもいい。リズムが狂っていてもいい。 そこに「血」が通っていれば。


タイトルは決まった。 『人間失格の夜』。 太宰への不遜なオマージュではない。 これは、人間であることを辞めさせられそうになった男が、人間としての権利ライセンスを更新するための、たった一夜の抵抗の記録だ。


『彼は、スマートフォンの画面を割った。ひび割れたガラス越しに見る世界だけが、唯一、彼の歪んだ心とシンクロしていたからだ。』


書いては検索し、検索しては書き、タバコを吸う。 この非効率なループ。 「泥の呼吸」とでも呼ぶべき、苦しい酸素摂取。 だが、肺に入ってくるのは、混じりっ気のない俺自身の言葉だ。


夜が明けていく。 カーテンの隙間から、白々しい朝の光が差し込む。 部屋の中は、電子タバコの空き箱と、飲み干したエナジードリンクの缶が散乱している。 まるで事件現場だ。


「……終わった」


俺は最後の一文に句点を打った。 エンターキーを、親指で強く押し込む。 ッターン! その音だけが、部屋に高らかに響いた。


総文字数、12万字。 校正? していない。 推敲? 勢いが死ぬから最低限だ。 誤字脱字? あるだろうな。俺の目はもう霞んで、モニターの文字が二重に見えている。


だが、ここにあるのは「データ」ではない。 俺の「臓物」だ。


俺はブラウザを開き、出版社の入稿サーバー……のアカウントは削除されていることを思い出した。 そうだ。俺はもうプロじゃない。 ただの無職の「元」作家だ。


「だったら、直接叩きつけてやるまでだ」


俺はファイルを添付し、松島の個人アドレス(名刺の裏に書いてあった緊急連絡先)を宛先に打ち込んだ。


件名:『原稿 / 高村健』 本文:なし。


送信ボタンにカーソルを合わせる。 手が震える。 これを送れば、もう後戻りはできない。 嘲笑されるか、無視されるか。 AI全盛のこの世界に、こんな泥団子のような小説を投げつけて、何になる?


「……知るかよ」


俺はクリックした。 送信完了。


俺は椅子に深くもたれかかり、天井を見上げた。 真っ白な天井が、回っている。 意識が遠のく。 泥のように眠りたい。


俺はまだ知らない。 この「校正なし」の原稿が、俺の人生最大の皮肉な転機バグを引き起こすことを。 そして、その中に含まれていた「ある致命的な誤植」が、神のいたずらとして機能することを。

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