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デアイトハカイ ~first contact~ [1.1.4]

 それは、質の悪い冗談のような光景。

 彼女の認識にまず飛び込んできたのは、アンバランスの極みとも言えるその異常な造形だ。

 手足や胴は平均的な人間のそれとほぼ同じようなサイズの癖に、その先だけがひどく肥大化している。 人一人の頭から足までを握れるような掌が、どうして意識を惹かずに居られよう。 一踏みで自転車をそっくり地面に縫い付けてしまう足が、どうして二の次に認識することができよう。 顎の位置が股下まで至る顔を、どうして、見逃せよう。

 闇に馴染んだ鉄色の肌も、瞼もない白一色の目も、口の端から突き出た草食動物のような巨大な歯も、髪の変わりに無造作に生える何本もの突起でさえも、この出鱈目な造詣ほどの恐怖を与えはしない。

 化け物。

 他にどんな言葉も必要ない。 ただ只管にそれは化け物だった。

 なぜ現実にこんなものが居るのか、そもそもこれは何なのか、どうして、誰もこんな存在が居ることに気づかないのか、そんなことはどうでも良い。 重要なのは、これが世間を騒がしている殺人事件の犯人であるということと、今、新たな獲物を見つけてしまったと言う事だ。

 那凪の顔と同じ大きさの目が間違えようもなく彼女自身を映していた。

 今夜の、殺戮の主役を。

「こんばんわ、ご機嫌いかが?」

 あまりの狂気じみた光景に本当に気でも狂ってしまったのか、彼女の口から出たのは、まるで知り合いにでも会ったかのような、気軽な挨拶の言葉。

 いつの間にか、化け物は止まっていた。

 奇怪な異音もいつの間にか鳴りを潜め、那凪達から二メートルほど離れた場所で前のめりにだらりとした様子で足を止めたそれは、じっと彼女を、彼女だけを見つめている。

 化け物の、見ているだけで理性を溶かしてしまいそうな狂気の具現の視線をその身に受けながら、那凪はなお、笑う。

「これからあんたを殺すけど、いい?」

「…………」

 にたり、と。

 粘着質な音が聞こえそうな程に生々しく、化け物の口が、裂けた。

 こちらも笑っているらしい。 それとも、嗤っているのか。 取るに足らない小娘の、幾度も殺してきた人間風情からの、死の宣告を。 その脆弱さを。

「……っ!」

 僅かな笑みの交錯の後、化け物はその無駄に巨大な掌をその場で握り閉めた。

 それだけだ。 

 たったそれだけで、風が唸り彼女の体が後方へと弾け飛んだ。

 仰向けのまま空中を道路と平行に猛スピードで滑空する那凪の体が、三メートルほど飛んだ辺りで突然丸まる。 後方宙返り、いわゆるバク転の要領で彼女が地面に着地した。 しかし、人一人を高速で飛ばすほどの力は足を地に叩きつける程度で留まるものではない。 尚もその衝撃は靴底と地面に激しい摩擦の悲鳴を上げさせて彼女の体を後方へ吹き飛ばし続ける。

 時間にして数瞬、距離にすれば十数メートルの後に、ようやく彼女の体は停止する。

 道路に付いた黒い軌跡と白煙の先。 片手の指先を地面につけるような前傾姿勢をとっていた那凪が、ゆったりと上体を起こした。

 おかしな事に、あれだけの衝撃を受けたはずの彼女には、傷はおろか衣服にも破れ目一つ付いていない。

 それも当然。

 なぜなら、彼女は自分から後ろに飛んだのだから。

 彼女の元居た場所にある砕けたコンクリートが、それを証明していた。

「あっぶないわね~。 女の子にそういうもの使う、普通?」

 短い溜息の後に吐かれたその言葉は、一体何に向けられているのか。 

 誰が見ても、彼女が相対している相手は攻撃的な行動を何一つしていない。 もし化け物に言っているのだとしたら、彼女の言葉は常識から考えれば言いがかり以外の何物でもなかった。

 だが、それはあくまで常識から考えれば、の話だ。

 日常にありふれる温い常識など、果たしてどれだけこの場に通用するだろう。

 何かがあったのだ。 あの一瞬の間に。

「…………」

 化け物の、動きの全く読み取れない眼が僅かに細められる。

 じりじりと肌を焼くようなそれの気配が、ここへ来て濃度を増した。

 一挙手一投足でさえ命取りになるような異常な雰囲気。

 殺気。 そう呼ばれるものに全身を浸して、那凪の表情に初めて笑み以外のものが浮かんだ。

 緩んだ口元を引き結び、眼光には高揚が宿る。

 頬が高潮し、額に流れるは一筋の汗。

「来なさい。 バケモノ」  

 

 咆哮。

 

 那凪の挑発とほぼ同時に、化け物の口から夥しい殺気と不協和音が彼女に直撃した。

 暴虐なそれは音の領域を逸脱し、物理的な衝撃にも近い圧を那凪に与える。

 刹那、彼女の瞳が耐え切れなくなったように瞼に隠れた。

 まるでその瞬間を待っていたかのように、化け物は容姿とはまるでかけ離れた素早さで巨大な二つの掌を那凪へと向ける。 そして、片方だけがその場で握られた。

「っの!!」

 予想だにしない牽制攻撃だったのだろう。 再び開けた目に映った握る瞬間の掌を見て、那凪は苦い表情と吐き捨てるような言葉と共に今度は横っ飛びに吹き飛んだ。

 それまで那凪の居た空間が、彼女が居なくなった途端、いくつもの凹凸レンズを重ねたような歪みを見せる。

 恐らく最初に跳び退った時も原因はこれだったのだろう。 起こったのは、そう認識させるのに十分な説得力を持つ異常現象だった。

 辛うじてその場を逃れた那凪は、そのまま勢いを殺さずに体を反転させてコンクリートの塀に対し垂直に着地する。

 間髪居れず放たれる二撃目が、那凪が重力によって地面へと縫い付けられる前に彼女を襲った。

「ふっ!」

 裂帛の気合と共に超人めいた反射速度で那凪の体が上空へと跳ね上がる。 途端、彼女のそれまで居た平らなコンクリートがまるで削岩機で抉られたような醜い五つの傷跡に変わった。

「…………」

 化け物が、嗤う。

 確かに那凪の反応速度と身体能力はそれの能力を持ってしても容易に潰せるものではなかった。 だが、それは全て地と呼べる物体に足を着いてのことだ。

 何かに爆発的な衝撃を与えることで起きる反則的な加速。 それのみが、一重に彼女の命を救っていた要因に他ならない。

 ならば、それが無くなってしまえば、彼女に化け物の攻撃を妨げられる道理は無い。

 跳ねる媒体の存在しない空中では、彼女はまさしく死に体だ。

 あとは、化け物がゆっくりとその手を握るだけ。 それだけで、彼女は今までの犠牲者と同じように哀れな肉塊へと変わるだろう。

 化け物が、ゆっくりとその手を彼女へ向けた。

 空間に生じた歪みの視覚化の違いを考えるに、恐らく対象に手を向けた方が出力が高いのだろう。 つまりそれは、持ちうる破壊能力を十二分に発揮して那凪を圧壊させようとしていることに他ならない。 

 回避する術は無かった。

 化け物の手が標準を合わせ、その手の直線状に那凪の姿が重なる。

 文字通り遥か高みから見下ろす相手と、これまで潰した中で最高の好敵手といえるその存在と、化け物との視線が重なった。

 那凪の顔に恐怖は無い。 だがそれは、決して諦観している訳でもなかった。

 一瞬前の緊迫感は何処へ姿を消したのか、おどけるような表情をして、彼女は言った。 片手の親指と人差し指を立て、ピストルに見立てたその銃口を、相手に向けて。

「ぱーん」

「っ!?!?」

 爆裂。

 突然、化け物の腕が破裂した。 その時何が起こったのかを言葉で形容するとしたなら、それが一番適切だろう。

 那凪の声と同時に起きたそれは、一瞬にして互いの優位を入れ替えた。

 どう取り繕っても人間に見えない化け物でも、その血は赤いらしい。

 破裂し、未だその破片と紅い体液を先の無くなった腕から噴き出させ垂れ流す化け物は、恐慌そのままに金切り声を辺りに轟かせた。

 何が起こったのか理解できない。 溢れる感情そのままに、化け物は砕けた手を押さえてのた打ち回る。

「言ったでしょ? あんたを、殺すって」

 人間のような動作で見上げた化け物の目に移った彼女の顔。 それは、笑顔。

 那凪の顔は何処からどう見ても笑顔と呼ばれるものを形作っていた。 しかしそれは、何かが決定的に違った微笑み。

 恐らくこの顔を見て、笑顔だと評せる人間はいまい。

 彼女の目が宿す輝きは、一瞬前のおどけた様子など無い。 喜を表すものとは似ても似つかない。

 冷酷、残忍、狂気、瘴気。 これはそういった類のものだ。 決して陽の感情に結びつくものではないものだ。

 その、恐ろしい程に冷めた笑い顔は、一体化け物に何を与えたのか。

 尚も甲高い声を上げ続ける化け物。 その眉間に次の瞬間、人間の、ただの人間の指先が、触れる。

 狼狽しているうちに那凪は既に手の届く所まで来ていたのだ。 だが、恐れるべきはそこではない。

 まるで粘土細工のように硬さを感じさせない様子でそこにあったであろう皮膚を破り骨を砕きその奥にあるものを貫き通すその破壊力こそ、最も恐れるべきものだったのだ。

 化け物は、最後の最後で理解した。

 獲物ではない。 目の前のソレは、敵だったのだと。 自身の存在を潰すに足る化け物。

 

 音が、止んだ。

 

 静寂の中、既に物言わぬ骸と化した化け物から、内臓をひり出すような不快な生々しさを伴った音と赤黒い鮮血を溢れさせて那凪が中ほどまで埋めた腕を引き抜く。

 紅に塗れた腕が抜き切られるのを、何処からか鳴り響く軽快な拍手の音が迎えた。

「さっすが、店長」

 店長、とは恐らく那凪のことなのだろう。 

 突然のことにも微塵も驚く様子は見せず、彼女は目だけを拍手の発生源の方へと向けた。

「なにがさっすが、よ。 出て来もしなかったくせに」

 那凪の言葉を受けて暗がりから出てきたのは、高原。 そして、御国に轟だった。  

「いや、あはは。 アレの能力からして、標的が絞りやすいほうがやり易いかなって。 でもでも! ちゃんとサポートはしましたよ!」

「そうそう、結果オーライ」

 御国と高原の弁明に、那凪が納得の行かないような溜息を吐く。

「あのねえ、さなちゃんはともかく、大の男が二人も揃ってこんなか弱い乙女を囮にするなんてどーいうことよ」

 ジト目で睨む那凪の視線に、高原は飄々と、轟はすまなさそうに言葉を返した。

「適材適所ってね、店長のチカラなら問題ないでしょ」

「すまん那凪。 出ると逆に邪魔になると二人に言われて、つい」

「……まあ、虎さんのだと結構厳しかったかもね。 相性悪すぎ」 

 それぞれの言い訳を聞いて、轟にだけ不可抗力だったでもと言いたげな優しさの混じった台詞を投げると、彼女はさっさと三人の先を歩いて行ってしまう。

「あ、ちょっと店長! どこ行くんですか?」

 予想外の行動に困惑した御国の呼びかけにも反応しないまま歩を進めていく彼女の先には、数分前となんら変わっていない体制で寝転がる男の姿が在った。

 最後まで那凪を見捨てなかった、あの変人である。

 先程の苛烈なやりとりの中で彼に被害が行っていないであろう事は判っていたが、実際に間近で見て何処も怪我をしていないことを確認すると、思わず那凪の口から安堵の息が漏れた。

「その人が今回の被害者ですか?」

 とことこと那凪の後を走って追いついてきた御国が、彼女の後ろから顔をひょいと覗かせて問いかける。 その様子に気遣いの色が無い所を見ると、恐らく那凪の表情から彼が凶行を免れた事を悟ったのだろう。

 御国の質問に答えるより早く、御国より尚も後ろのほうで無駄話をしている二人に彼の運搬を命じると、那凪はまたさっさと御国を追い抜いて先に行ってしまう。

 途中、彼女は御国を振り返って悪戯っぽい口調で言った。

「うん、そう。 もしかしたら長い付き合いになるかもね」

「……はい?」

 言葉の意味が判らずに御国が疑問の声を上げるが、那凪はもう次の話題に移っていた。

「さて! やることもやったし、飲みにでも行きましょうか! もちろん、高原の奢りでね」

「はいはい、判りましたよ」

「よしっ、派手にやるか!!」

 したり顔でそんなことをのたまう那凪に、高原はあきらめたように男を支えていない方の手で降参のポーズをとり、轟は喜色満面に笑顔を浮かべる。

 何を食べるかで盛り上がりながら去ってゆく三人を、御国だげが意味深な台詞に捕われたまま思案顔でその場に立ち尽くしていた。

 静止することしばらく、

「って、皆さんちょっと待ってくださいよ~!」

 誰も居ない静寂の中、御国がまた駆け足で三人の後をパタパタと追いかけて行った。




 それから、どのくらい時間が経っただろうか。

 男がようやく目を開けた時、視界には見慣れない景色が広がっていた。

「……やれやれ」

 いつまでも寝ているわけにも行かず、とりあえず彼は立ちあがることにしたようだ。

 あんな目に会った後とは思えないほど軽快に立ち上がった男は、まず最初にずれた眼鏡を直し、次に頭をぽりぽりと指先で掻くと、最後に辺りをぐるりと見回した。

 草木以外のものを見て、ようやく男は今自分が何処にいるかを把握する。

 そこは、公園の茂みの中。 彼が倒された道からさほど離れておらず、この町に住む者にとっては見馴れた場所でもあった。 また、この辺りは警察の巡回ルートにも組み込まれているため、夜でも比較的安全な場所でもある。

 恐らくこれが、非日常に生きる那凪達なりの精一杯だったのだろう。 まあ、そんなことは男には知る由も無いだろうが。

「帰るか」

 あれ程の目にあったにも関わらず、彼は特に急ぐでも考え事に耽るでもなく、なんとも普通の足取りで帰路につき始めた。

 おかしな事に、まるで困惑の色も、動揺の色さえも見せずに……

さてさて、これにて第一章は終了でございます。

というか、初日に奮発しすぎてもはやストック切れという始末……orz

これからは、ちょとのんびり更新となりますです。はい(苦笑

感想など頂けたら、作者が大層喜びますm(^_^)m

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