デアイトハカイ ~first contact~ [1.1.2]
「……で?」
夜も深まり人通りの少なくなった街角に、なんともいえない声が響いた。
初夏の暖かい空気を揺らす野太いその声は、先の集まりで「虎さん」と呼ばれていた男のそれである。 だが、今の彼の声が滲ませる感情はあの時のような決意然としたものでは到底なく、怒りや羞恥、怨嗟といった苦々しいものしか感じられない。
「いや~、やっぱりさ、こういうのはか弱い女の子の方がいいと思うの。 やつらの性質からして、どう見ても獲物としては筋肉ガチガチのマッチョレスラーよりもそっちを選ぶじゃない?」
そんな何とも物騒な声に反応したのは、同じく先の集まりに居たポニーテールの女性だった。
シャツとジーンズのみというラフな格好をしている彼女は、まるで相手の感情など読み取っていないかのように。 あるいはわざと無視しているのか、不自然な程にこやかに声の主に語りかけていた。
そう、とてもとてもにこやかに。
同時に、別方向からも彼に語りかける声があった。
「ぷっ……そ、そうそう。 やつらのぶっ……くく、せ、性質上しかたくっふふ」
「高原、貴様ちょっと来い!」
「ま、まあまあ轟さん。 ほら、えっと、か、可愛い、です、よ?」
「うれしくもなんとも無いわ! と言うか最後の疑問形はなんだ御国!!」
「ぷっ! 早苗ちゃんナイス。 コレに今のタイミングでかわいいって、ぷっ、あっはっはっは!!」
「た~か~は~ら~!!」
「わわっ、轟さんストップストップ」
どうやら集まっていたメンバー全員が今この場に揃っているらしい。
噴出しの連続でとても言葉になっていない様子だったのは、茶髪にごてごてしたアクセサリーの軽薄そうな印象の男。 高原と呼ばれた彼は、自分に向けられる殺意のような激情などまるで意に介さない様子で今も近くの街頭に何度も手を叩きながら笑い転げている。
そして、そんな彼に向かって直進しようとしている筋肉に覆われた拳と言う凶器をわたわたとした様子で横から抑えているのは、御国と呼ばれた深遠のお嬢様を思わせるストレートロングの黒髪を持つ少女だった。
「ぬ、がぁ! 放せ御国!! 奴の捻じ曲がった根性を体ごと吹き飛ばしてくれる!」
「だーめーですってば」
御国の容姿ゆえか、轟は叫んではいるものの、肉体にあまり馬力をかけられないどかしさに身悶えている。
それからまごつくこと数分。
「もう、三人ともいつまで遊んでんのよ」
「なっ!? 元はと言えばお前のせいだろ那凪!」
いい加減、と言うか、かなり呆れた様子で那凪と呼ばれたポニーテールの女性が本題に移らんと三人の動作に釘を刺した。
もう飽きたのか、先ほどの笑みの代わりに設けられた白けた半眼と相手を非難するような口元は、向けられた相手からすればいかにも小憎らしいものであった。
それにより、高原に全く届かなかった轟の矛先が今度は那凪に向けられる事となる。 いや、それともこの場合、ようやく元凶に向けられた、と言うべきか。
どちらにせよ、轟は歯をむき出しにしながら那凪に向かって声を張り上げたことに変わりはない。
「そもそも! なんで!! 俺が!!! こんなことをせねばならんのだあああ!!!!」
人通りのない夜の街角に、絶叫と言ってもおつりが来るような声が大きく大気を震わせた。
もしこの辺りに暇な人間でも居れば、その声から滲み出る様々な感情に好奇心をくすぐられ一目見に来るかもしれない。 そうなった時、果たして後悔するのは、わざわざ注目されるようなことをしてしまった轟か、それとも、見に来てしまった暇人か。
おそらく見物人の目にはこんな光景が映る筈だ。
街頭を豪快に叩きながら、恥も外聞もなく大笑いする美男子に、丸太のような太い腕にぶら下がるような格好で待ったをかけている深窓のご令嬢と、一歩離れた所から半眼でそれを咎めている美少女。 そして最後に、ただでさえいかつい顔を更に歪めて吼える、熊のような猛々しい体格を持った……お姫様が。
押さえている少女のそれと比べて、実に三倍はあろうかという豪腕を彩る鮮やかなピンクのレース。 筋肉しか無いのではなかろうかと見紛うほどに逞しい足の上半分を隠す、明らかにサイズの合っていないフリル付きスカート。 漢と呼ばれるにふさわしい強面の顔つきに添えられた白いヘッドドレスを見たとき、意識を保てるのは恐らく勇者だけだろう。
素手で竜の首をへし折りそうなお姫さまの詰問は、二重の意味で相手の心を打ち砕く破壊力を持っていると言える。 だというのに、当の那凪はまったくひるむ様子を見せずにしれっと言いのけたものだった。
「何言ってるの。 じゃんけんで負けたんだから仕方ないじゃない。 自己責任よ、じ・こ・せ・き・に・ん」
右手の指を轟に向け、最後の言葉を指を動かすリズムに合わせてわざとらしく区切る那凪。 言い返しようもない所を突かれ、思わず轟が口ごもった。
「ぬぐっ、だ、だがなぁ」
先ほどまでの威勢はどうしたのか、自分の非難があっさり言い返された挙句ばっさりと切り捨てられ、たじたじとなった轟は、それでもとばかりに情けない口調で食い下がる。
ここまできて状況は変わらないだろうというのは彼自身分かってはいたが、それでも人間やすやすと割り切れない事もある。 少なくともこの雄々しき熊姫スタイルは彼にとってそうらしい。
「そもそも、こんな格好をしていては俺が不審者みたいじゃないか」
「何をいまさら、だね」
「ぬぐっ」
どうにか一矢を報おうとする轟だが、彼なりの精一杯の正論は今度は別方向の援護射撃で脆くも砕け散った。
撃ったのはいつの間に笑うことをやめたのか、あからさまに呆れるようなポーズをとってシニカルな笑みを浮かべている高原である。
先刻のじゃれ合いを見たら分かるように、この二人の仲はあまりよろしくない。 まあ、轟が高原のスタンスを一方的に嫌っているだけなのだが。
「ま、まあまあ」
バチバチと物騒な火花を散らさんとする二人の間に、御国が割り込んで待ったをかけるが、あまり効果は期待できそうもない。
まるでどこかの三流漫画のようなワンシーンに、那凪はため息一つ、再び話を戻そうと口を開く。
「っ!?」
瞬間、彼女の意識が何かを捕らえた。
まるで脊髄反射のごとき勢いでその方向へと顔を向ける那凪だったが、その視線の先には、一見して何も異変は見られないただの町並みが広がっている。
だと言うのに、那凪の視線は先ほどとは比べ物にならないほどの苛烈さを宿し、瞳はケモノのように細く引き絞られていた。 全身にも、ただならぬ緊張感が駆け巡っているのが見て取れる。
突然の彼女の変貌ぶりに、那凪以外のメンバーは疑問の声を上げるどころか、何故か皆一様に同様の表情で同じ方向を向いているではないか。
その先には、ただただ凡庸な建築物がそそり立っている光景しか広がっているだけだと言うのに。
「来た」
「まさか、こんな馬鹿騒ぎしてる集団に突っ込んでくるとはな。 随分調子に乗ってるようだ」
「さてね。 もう一人ずつじゃ我慢できなくなったんじゃないかい? どちらにせよ良かったじゃないか、そんな格好で歩きまわる必要がなくなったんだからね」
「はっ、全くだ」
いったい彼等には何が見えているというのか。
那凪の声を皮切りに、体に力を込めたメンバー達が緊張感そのままに軽口を叩く。
ただ一人。
両目を閉じ、何かを探るような表情を浮かべている御国を除いて。
「これ……待ってください! 違います!」
突然、それまで黙っていた彼女から通常らしからぬ叫びが上がった。
思わずメンバー全員の意識が彼女に集まる。
「どうしたの早苗ちゃん?」
とりあえず何が起こったのか確認しようと高原が尋ねてみれば、御国が焦りの色濃く早口で捲し立てる。
「映世の方向と範囲の広がり方が直線的過ぎるんですよ! まるで――」
「お、おい那凪!?」
御国が言い切る前に、それまで待ちの姿勢で構えていたはずの那凪が弾丸の如く駆け出していた。
引き止める轟の声などまるで聞こえていないかのように視界から消えていった那凪を御国までもが追うように走り出すが、その腕を轟が掴んで引き止める。
「放してください轟さん!」
「何なんだお前まで! 一体どうしたんだよ!?」
必死に腕を振り払わんとする御国の叫びに、未だ状況の理解できていない轟の言葉が重なった。
「とりあえず落ち着いて早苗ちゃん。 僕等にも分かるように説明してくれないかい」
そこへ、とにかく熱を冷まし情報を得んとする高原の、幾分か柔らかい声が落とされる。
「襲われてるんですよ誰かが!!」
「なっ!?」
返ってきた答えに轟が思わず言葉を無くす。
同時に、動揺で彼の力が緩んだ瞬間、一気に腕を振り払った御国が那凪と同じ方向に駆けていった。
「くそっ! 行くぞ高原っ」
「わかってる!」
御国から遅れること数秒。 ようやく今起こっている現実の重さに理解の追いついた二人が、表情をより一層険しくさせながら前の二人の後を追って走り出す。
轟の脱ぎ捨てた間の抜けた衣裳だけが、静かにその場に舞い落ちていた。