ツカノマノクビキ ~a slight contract~ [2.1.11]
「それにしてもよく分かったわね。 腕は落ちていないようで安心したわ」
ローブの下で笑顔を浮かべているのが相手まで伝わるような、柔らかい気配を漂わせながら、彼女はそう投げかける。
声に懐かしさや親しみといった感情が含まれているのを見るに、どうやら緋嵩との仲は悪いものではないらしい。
その証拠に、緋嵩の方も挑発的な彼女の言葉に気分を害した様子は無く、寧ろ何かを懐かしむような穏やかな目をしていた。 少なくとも、那凪達には一度も見せたことの無い表情なのは確かだ。
「お前の方はまたネタが増えたみたいだな」
言葉と共に緋嵩は片手を広げ、曲げた人差し指に親指を重ね軽く力を加えると、そのまま勢いよく人差し指をピンと伸ばした。 たったそれだけで、風鈴を連想させる澄んだ音と共に、何も無い筈の空中に水面を弾いたような波紋が生じる。
「それで? このタイミングだ、単に世間話をしに来たわけじゃないんだろ?」
まるで揺れる空間の感触を楽しむかのように波紋に指を這わせながら、緋嵩が本題へと移るようフォーチュンテラを促した。
「せっかちなのも、変わってないわね。 もう少し心にあそびを持ったら?」
半分冗談、半分本気で緋嵩にそう提案して見たものの、帰ってくる答えは分かりきっていた。 これもまた、昔と同じだ。
「そうか? 他人には余裕があり過ぎだって言われるんだがな」
ふわりと自然な動作で振り向いた緋嵩に、フォーチュンテラが一言。
「そんな誤魔化しが私に通用するとでも?」
いかにも気安く軽い雰囲気で発せられた緋嵩の台詞を下らなさ気に一蹴すると、彼女はやれやれと一息ついて水晶に掌を置いた。
「そうやって何もかも求め過ぎてると、そのうち死ぬわよ」
今までのような女性的でどこか艶のある声を、硬質で真剣なものへと変えて発した警告。
「ああ、そうだな」
苦笑を浮かべながら彼女へと帰された一言は簡素なものだったが、その中にはこれ以上は無駄だと言わんばかりの雰囲気が十分に込められていた。
また、彼女の声は届かなかった。
どれほど時間が経とうと彼女の目の前にいる男は変わらない。 態度も、強さも、そして、心に渦巻く欲望と飢餓さえも。 のらりくらりと巧妙に自分を隠し、幾ら心に注がれてもまるで穴の開いたバケツのようにただ次を求めるばかり。
理解できても自分ではどうにもならない。 まさに暖簾に腕を押し当てることしか出来ない自身の滑稽さにローブの下で自嘲の笑みを浮かべると、彼女はまた掌を合わせて顎を乗せ、占い師の自分を形作る。
傷ついて落ち込む心をいちいち表に出すほど体面が拙いわけでもなし、すっかり気持ちを切り替えた様子で彼女が口を開いた。
「次の出現予測地は栄領公園近辺、時間は明日の夜十一時前後といったところよ」
「了解、いつも悪いな」
伝えられたのは、次の禍鏡の出現予測。
もし、ここに那凪達が居れば目の前の占い師に詰め寄っただろう。
それほどに重要な情報が得られたと言うのに、緋嵩はまるで天気予報でも聞いたような気安さで定型の礼を述べると、彼女に背を向けて歩き出す。
「そうそう、ちょっと待って」
いつもなら情報を聞いてこのまま別れる所なのだが、今日はなにやら違うらしい。
軽い調子で呼び止めたその声に緋嵩が特に身構えもせず振り返ると、フォーチュンテラは姿勢を変えず顎を手に乗せたまま口を開いた。
「大した事じゃないんだけど、紛い物の結界の消失に不確定な介入が見られるわ。 退治屋にしろ縄張り争いにしろ、何かが対立してるのは確かね」
本当ならば状況が一変するほど重要な情報の筈なのだが、生憎それを語る彼女に重んじている気配は微塵も無い。
「ああ、知ってるよ。 さっき手を組むって協定を結んできたばかりだからな」
対する緋嵩の方も、買い物にでも行ってきたかのような安い口調でそう告げると、フォーチュンテラがローブの奥から意外そうな声を上げた。
「ふぅん、珍しいわね。 面白そうなおもちゃでも見つけた? それとも、手を組んだ方が面白くなりそうだっただけかしら?」
つまりは、そう言う事だ。 この二人にとっては、所詮那凪達など始めからその程度の扱いにしかならないということなのだろう。
それよりも今は、手を組んだと言う緋嵩の言葉の方が彼女にとっては興味の覚えるところらしい。
どこか楽しそうな口調で訪ねてくるフォーチュンテラに対し、緋嵩は呆れたような表情でため息をつくと、
「お前と一緒にするな。 純粋な取引の結果だ」
ばっさりと目の前の女の興味を断ち切るように言い切って彼女に背を向けた。
「なぁんだそうなの」
がっかりしたように、心なしか僅かに肩を落とした風情で呟くフォーチュンテラを尻目に、今度こそ緋嵩は彼女から離れていく。
十メートルほど離れた頃だろうか、ふっと、それまで見えていたはずの彼の背中が消えた。
恐らくは彼女の結界から出たのだろう。
遠目にその様子を眺めていたフォーチュンテラが、まるで緋嵩の気配が消えたのを見計らっていたかのように、自分しか存在しなくなった空間でポツリと呟いた。
「純粋な取引、ねぇ」
視線の先にあるのは、今の今まで飾りとしてしか機能していなかった水晶球。 その中に映る、古めかしい日本家屋を出る緋嵩の姿だ。
「ふふ、面白そうなことしてるじゃない」
赤い唇が微笑を描き、その口からは艶やかな笑い声が漏れる。
全身の殆どをローブで隠されているというのに、その様子はどんな聖者さえも欲望の水底に突き落とすような色香を見るものに与えるだろう。
だがその目だけは、彼女にはまるで相応しくないものを映していた。 成熟した女としての雰囲気とは似ても似つかない、まるで悪戯に目を輝かせる子供のような、そんな彼女の内側を。
いやぁ、こういう女性は敵に回しても味方にまわしてもやっか……いやなんでもありませんやめてくださいごめんなさいすみませんでしたってちょ……!!?(ブツッ つー、つー、つー