ツカノマノクビキ ~a slight contract~ [2.1.6]
「よう、持ってきたぞ。 那凪」
大きめの声と共にやや乱暴に隣の部屋の襖が開けられ、一抱えほどの大きさの鏡台らしきものを持った轟が現れたからだ。
その後ろには、スポーツバッグを肩に掛けた高原の姿もある。
「二人とも遅いよ。 もうこっちはとっくに終わってるんだから」
「勘弁してくれ、こっちは怪我人だぞ」
座ったままグラス片手に顔だけ振り向かせてぼやいた那凪に、轟の口から情けない声が漏れた。
「そうそう、僕なんか立ってるだけでやっとだし」
「その割には軽々持ってるわよね、それ」
轟に便乗してわざとらしくふらついて見せる高原に、彼の持つスポーツバッグを指差して指摘する。
「そこはほら、頼まれたら断れない紳士の証?」
「はいはい、いいからここまで持ってきて」
「よっ、と」
那凪と高原の二人がじゃれあっている間に、轟は四人から少し離れた所に持ってきたものを置き、ほこりを払うような仕草で両手を叩いた。
「お疲れ様です。 はい、どうぞ」
二人の登場に合わせて立ち上がっていた御国がタイミングよく轟に麦茶を渡す。
「おう、ありがとよ」
いましがた力仕事を終えたばかりの身体に流し込むように豪快に麦茶を煽る轟。
「っはあ、生き返った」
一気にグラスの中身を飲み干した轟をその場に残し、御国は那凪の横にスポーツバッグを降ろした高原へと歩み寄って、彼にも麦茶を手渡した。
工具が詰っているような、金属同士がぶつかり合う音を立てたバッグと使いどころ不明な台の登場。 普通は訝しげな表情の一つでも浮かばせて疑問でもぶつけそうなものだったが、生憎、見せられた当の本人はそんな可愛げのある人間ではなかったようだ。
「なるほど、それがあの術式の媒体だな。 さしずめ鏡面結界の亜種ってところか」
「……やっぱり、全くの無知って訳じゃないんだ」
意味ありげな、少なくとも常人に走りえない単語を吐き出した緋嵩に部屋に居る全員の視線が集中した。
なぜそんな事を知っているのか、そもそも緋嵩が何者なのか、今この場に居る誰もが気になっている事だろう。 だが、間違えてはいけない。
今の彼らは文字通りスカウトマンであり、彼を引き込むためにここに居るのだ。 まずすべき事は、彼の正体を問いただすことではなく、こちらの事情の説明である。
その点においては、この後の那凪の行動は適切と言えた。
「まあ、知識があるなら話は早いでしょ。 この台、私達は『玉響』って呼んでる。 あんたの言う通り、これを使って奴らの『映世』に介入してるの。 知ってるかもしれないけど、映世っていうのは……」
台を指して説明を続ける那凪に、未だ座ったままの緋嵩は腕を組んで言葉の先に被せる。
「鏡面結界特有の世界の複写だろ。 映した世界を現実と置き換える」
言うまでも無いとばかりに説明の先を奪った緋嵩があごで玉響を指し、那凪に確かめるように問いかけた。
「それ、大した時間発動できないだろ?」
「え? うん、精々が二時間かそこらだけど。 なに? そんな事まで分かるの?」
当たり前のように言う緋嵩に対して、こうまで見事に言い当てられた那凪の方は流石に驚きを隠せない様子で尋ね返す。
「鏡面結界は元々長期向けのものじゃないからな。 まして媒体なんか使ってるなら尚更だ。 昨日破った時の手応えからして、性能や特性はあまり差が無さそうだったんでね」
どうやら映世の説明においては予想以上に知識を持つ緋嵩に那凪たちの方が圧倒され、結局は彼の正体に一層の興味が深まるだけに終わったようだ。
彼の十分すぎる情報量に徐々に膨れ上がる好奇心を抑え、那凪は説明を次の段階へと移す。
「それだけ知ってればこれ以上は無駄よね。 じゃあ、次は奴らの説明だけど、もしかしてこれも必要ないのかしら?」
現状までの彼の反応からして、これもまた無駄な事になるのではと危惧した那凪が尋ねる。
が、返ってきたのは意外にも、首を横に振るという否定の意を示すものだった。
「いや。 奴らについては最近出てきたって事くらいしか知らないな。 俺も奴らの行動に気付いてから気に入らなかったんで調べても見たんだが、まるで掴めなかった。 実際に会って仲間を誘き出そうとした時も、どっかの誰かさんに後ろから襲われて無駄になったしな」
「悪かったわね」
あからさまな皮肉を混ぜた緋嵩の言葉に唇を尖らせて言い返すと、那凪はおもむろに高原に持って来させたスポーツバッグのファスナーを開けて、ごそごそと中身を漁りだした。
金属同士の当たるような硬質な音が緋嵩の耳へと届く中、手を動かしながら彼女が口を開く。
「文献に奴らのことを記した物は無い筈よ。 もちろん伝説や昔話にもね。 片鱗ぐらいは残ってるかもしれないけど」
不自然に言葉を区切り、那凪はバッグから目的の物を取り出すと緋嵩に放り投げる。
緩やかな弧を描いて投擲されたそれを難なく空中で受け止めると、緋嵩は光に照らすようにしてそれを見つめた。
「……で、こいつが一体なんだって?」
鈍い、円状の形をした物体。
所々が錆付いて、骨董屋にこそ相応しく思えるそれは、今この場にはとても相応しいとは思えない。
古臭いそれは、刀の鍔と呼ばれるもの。
「昔々、鬼ヶ島と呼ばれる場所で勇敢な若者が鬼を虐殺して財宝を奪いました。 っていう話、知らない?」
場違いな、それも酷く湾曲した那凪の突然の昔話に緋嵩の顔が歪む。
だが次の瞬間には、誰でも知っている有名なその昔話に、目の前の刀の鍔という二つの情報は緋嵩の脳内で繋げられ一つの事実を導き出した。
常人なら到底信じられないような莫迦げた話で終わりだが、今この場で語られるのならば話は別だ。
「桃太郎の刀の鍔、か。 さすが骨董屋、随分とレアな物持ってんだな」
手の中の品物の正体こそ分かったが、それだけではあの化け物へと通づるものはない。
鍔を持つ手を下ろし、だからどうしたと言わんばかりの緋嵩に対して、間髪入れず那凪の言葉が被せられた。
「それが二日前、あんたを襲った化け物の本体よ」
「……なに?」