アカゾメノケモノ ~witch is the monster~ [1.3.4]
「…………」
無言のまま、動いたものへと近づいていく緋嵩の前に、倒れ付したまま荒い息を続ける那凪の姿があった。
「ぐ、はぁ……はぁ……」
うつ伏せになりながら、地面を転がっているときに付いたであろう擦過傷を押さえて喘ぐ彼女を、緋嵩の足が無造作に蹴飛ばす。
「あっぐ!?」
反転して仰向けになっただけの所を見ると、大した力は込められていなかったようだ。
蹴られた箇所にもこれと言ったダメージは見られない。
「はぁ……ち、くしょう」
倒れたまま顔だけを横に向けて睨む那凪に、緋嵩がゆっくりと歩み寄っていく。 その目には、何も浮かんではいなかった。 相手への怒りも、哀れみも、何も。
人形のような能面に那凪がふと、違和感を覚える。 だが、それが何なのか確かめる前に、那凪に向かって緋嵩の足が勢いよく踏み落とされた。
顔面に――では無く、その横に。
「二度と俺に関わるな。 次は、この程度では済まさんぞ。 ……後の二人にもそう伝えておけ」
それだけ。
止めを刺すでも、見下すでもなく、ただそれだけを伝えると、緋嵩はふいっと身体を反転させて那凪から遠ざかっていった。
「え? ……それって」
闇夜に消えていった緋嵩を見つめながら、顔から険しさの引いた那凪が呟く。
しかし、彼女の問いに取り合わず緋嵩は無言のままに遠ざかって行った。
彼の姿が完全に視界から消えてから、那凪が這這の体で二人に近づいていく。
「死んで、ない」
ダメージこそ見られるが、よく見れば何れも致命傷とは言えない彼らの様子。 それを見て、那凪自身も顔面を打ち抜かれたにも関わらず、那凪自身飛ばされたときの擦過傷以外に大した外傷はないことに気が付いた。
おかしな話である。 あれだけの衝撃を受けたのなら、後を引くダメージが無いはずが無いのだ。 にも関わらず、ふらつきながらもこうして意識を保ち立っていられる理由とは。
脳裏に浮かんだ事実に、那凪の腰が砕けて地面に尻餅をつく。 顔に浮かんでいるのは大きな安堵と、そして、僅かな笑み。
「はは、なんだ。 あいつ、結構いい奴じゃない」
小気味良い口調と共に吐き出された台詞は、既にここから消えた彼の方向へと向けられていた。
自分達以外に誰も居ない闇夜に、那凪の笑みが空へと向けられる。
「とりあえず、さなちゃん呼んで仕切り直しね」
これ以上無いほどに打ちのめされた彼女の声は、何故か、晴れ晴れとしたものだった。