第八十六話:嵐の置き土産と夏の終わり
山本嘉位からの連絡は、千佳からのメッセージ以来、途絶えていた。夏の海辺への約束は果たされず、香織は、彼が今、どれほど困難な状況に置かれているのか、想像することしかできなかった。
夏休みは、あっという間に過ぎていった。香織は、八重と過ごす時間の中で、少しずつ心を落ち着かせていった。八重は、香織の辛い気持ちを理解し、何も言わずに傍にいてくれた。
夏の終わり。学校が始まる前の、最後の週末。香織は、八重と一緒に、街の公園に来ていた。夏の終わりの夕暮れ。空は茜色に染まり、どこか寂しい雰囲気がある。
公園のベンチに座り、香織はぼんやりと空を見ていた。夏の海辺。彼と二人きりで行くはずだった、あの場所。それは、叶わなかったけれど、香織の心の中には、彼との夏の思い出が、鮮やかに残っている。夜の屋上、彼の家、そして、雨の中での再会。すべてが、香織にとって、かけがえのない宝物だ。
香織は、手に持っていた、彼がくれたキーホルダーをそっと触った。小さなスマートフォンの形。そして、四つの「i」。これは、彼との繋がりを示す、大切なアイテムだ。
その時、香織のスマートフォンの画面に、メッセージの通知が表示された。差出人は、見慣れない番号だった。千佳からのメッセージだろうか。
期待と不安が入り混じり、香織はメッセージを開いた。しかし、そこに書かれていたのは、千佳からのメッセージではなかった。それは、短い、そして香織を驚かせるメッセージだった。
「蓬田香織さんへ。お兄様は…秋に、婚約者の方と、海外に行かれることになりました。しばらく…日本には戻られません。楓より」
楓からのメッセージだった。香織は、メッセージを読みながら、顔色を失った。海外。しばらく日本には戻られない。それは、つまり、彼が、海外に行ってしまうということ。そして、しばらく会えなくなるということ。
婚約者の方と。その言葉が、香織の心に深く突き刺さる。彼は、婚約者と一緒に海外に行ってしまうのだろうか。それは、二人の関係が、完全に終わってしまうことを意味するのだろうか。
不安と絶望が、香織の心を支配する。夏の海辺への約束は果たされなかった。そして、これから、彼は遠い国へ行ってしまう。
八重が、香織の様子に気づき、駆け寄ってきた。「かおり! どうしたの!?」
香織は、八重に楓からのメッセージを見せた。八重は、メッセージを読みながら、顔色を変えた。
「…マジかよ…山本嘉位…海外に…」
八重も、事態の大きさに気づいたようだった。
夏の終わり。それは、二人の愛にとって、新たな始まりではなく、終わりを告げるものだったのだろうか。
楓からのメッセージは、香織にとって、夏の嵐が置き土産として残していった、残酷な現実だった。彼は、手の届かない遠い存在になってしまうのだろうか。二人の愛は、ここで終わってしまうのだろうか。
公園のベンチで、香織は静かに涙を流した。夏の終わり。そして、彼との関係の終わり。それは、香織にとって、あまりにも辛い現実だった。
しかし、香織の手の中には、彼がくれたキーホルダーがある。小さなスマートフォンの形。そして、四つの「i」。それは、彼との繋がりを示す、大切なアイテムだ。
香織は、キーホルダーを強く握りしめた。彼は、海外に行ってしまうのかもしれない。しばらく会えなくなるのかもしれない。でも、彼が香織のことを諦めていないと、千佳は言ってくれた。
夏の嵐は、香織から彼を奪い去ろうとしている。しかし、香織は、諦めない。彼が、困難な状況を乗り越えて、必ずまた連絡してくれると信じている。そして、いつか、彼と二人で、あの夏の海辺に行ける日が来ることを願っている。
夏の終わりは、悲しい別れを告げた。しかし、香織の心の中には、彼との愛と、彼との再会への希望が、まだ燃え続けていた。




