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第六十三話:御曹司の孤独とメイドの眼差し

蓬田香織よもぎだ かおりが公園から走り去った後、山本嘉位やまもと かいは、一人、ベンチに座り込んでいた。香織の「無理です」という言葉が、彼の頭の中でこだまする。彼女の涙、震える声、そして、彼の手を振りほどいて走り去る後ろ姿。すべてが、彼の心に深く突き刺さった。


(俺のせいだ…)


彼女を傷つけてしまった。彼女に辛い思いをさせてしまった。婚約者のこと、そして、自分の世界の複雑さ。すべてを隠していたわけではないけれど、もっと早く、もっときちんと話すべきだった。


彼は、自室に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。香織からの返信はない。電話にも出てくれない。彼女の心は、彼に対して閉ざされてしまっている。


そこへ、メイドの猿飛千佳さるとび ちかが入ってきた。千佳は、「かい」の様子を見て、何も言わずに彼の傍に立った。


「千佳さん…」と「かい」は掠れた声で言った。「俺…振られちゃったみたいだ…」


千佳は、静かに頷いた。彼女は、すべてを察していたのだろう。


「お坊ちゃま…」千佳は、静かに「かい」の傍に座った。そして、何も言わずに、彼の背中をさすった。


「俺…どうすればいいんだ…蓬田さんに、嫌われちゃった…」


「かい」の声は、絶望に満ちていた。御曹司としての彼の人生は、常に周りの期待に応えなければならないものだった。しかし、香織だけは、彼の本当の心を見てくれた。そんな彼女を失ってしまった。


「お坊ちゃまは…蓬田様を、心から愛していらっしゃいます」千佳は静かに言った。「そのお気持ちに、嘘偽りはございません」


「でも…」と「かい」は顔を上げた。「俺には…婚約者がいる…楓もいる…俺の世界は、蓬田さんには、あまりにも重すぎるんだ…」


「かい」は、自分の抱える問題を千佳に打ち明けた。政略結婚のような婚約、そして、妹の楓の異常なまでの執着。それらが、香織にとってどれほど重荷になるのかを。


千佳は、静かに「かい」の話を聞いていた。そして、話し終えた「かい」に、静かに言った。


「お坊ちゃま。婚約者の方のこと、楓様のこと…確かに、それは大きな壁でございます。しかし…」


千佳は、「かい」の瞳を真っ直ぐ見つめた。


「蓬田様は…お坊ちゃまの、ただ一人の、ユニークアイテムでございます。お坊ちゃまが、心から愛された、ただ一人の女性でございます」


ユニークアイテム。八重が香織のことを言った言葉を、千佳も知っていたのだろうか。


「その方の光を、失ってはなりませぬ。お坊ちゃまが、どれほど苦しい立場にいらっしゃろうとも…蓬田様だけは、お坊ちゃまの心を照らしてくれる光でございます」


千佳の言葉は、まるで「かい」の心を照らす光のようだった。そうだ。香織は、彼の人生に差し込んだ、ただ一人の光だった。その光を失ってはならない。


「でも…俺は…蓬田さんを傷つけてしまった…彼女は、俺を許してくれないかもしれない…」


「かい」は、絶望的な表情になった。


「許してくださるかどうかは…蓬田様がお決めになることでございます。しかし…お坊ちゃまは、お坊ちゃまのお気持ちを、精一杯、蓬田様にお伝えなされたのでしょうか? 婚約者の方のこと、お家のこと…すべてを話された上で…それでも、どれだけ蓬田様を愛していらっしゃるのか…」


千佳の言葉に、「かい」はハッとした。彼は、婚約者のことだけを話し、彼女の反応に絶望してしまった。彼の本当の気持ち、どれだけ彼女を愛しているのか、そして、どんな困難があっても彼女と一緒にいたいのか。それらを、十分に伝えられていなかったのではないか。


「…千佳さん…」


「かい」の瞳に、再び光が宿った。諦めてはいけない。彼女が、彼の言葉を聞いてくれないとしても、彼が、彼女に伝えなければならないことがある。


「お坊ちゃま。今は…お互いに、少しだけ、時間が必要かと存じます。しかし…お坊ちゃまのお気持ちを、諦めてはなりませぬ」


千佳は、静かにそう言って、「かい」の部屋を出て行った。


「かい」は、一人、部屋に残された。香織の言葉、彼女の涙。そして、千佳の言葉。すべてが、彼の頭の中でこだまする。


諦めてはならない。香織は、彼のただ一人の光なのだ。彼は、その光を取り戻すために、立ち上がらなければならない。どんな困難があろうとも、どんなに時間がかかろうとも。


御曹司の孤独な戦いは、まだ始まったばかりだ。そして、その戦いの先に、彼は再び、香織という光を取り戻すことができるのだろうか。


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