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第五十七話:走り去る涙と途切れた約束

山本嘉位やまもと かいに婚約者がいるという衝撃的な事実を聞き、蓬田香織よもぎだ かおりは学校の裏門からただひたすらに走り去った。彼の声が後ろから聞こえてくる。「蓬田さん! 違うんだ!」彼の弁解を聞く余裕も、立ち止まる勇気もなかった。ただ、この場から逃げ出したかった。


頬を伝う涙が、風に乗って流れていく。景色は涙で滲み、何も見えなくなる。息が苦しい。胸が痛い。夏の海辺への約束。彼の家での甘い時間。修学旅行での秘密の逢瀬。すべてが、偽りだったのだろうか。


(嘘つき…!)


心の中で、彼に向かって叫ぶ。婚約者がいるのに、なぜ自分に優しくしたのだろう。なぜ、好きだと言ったのだろう。なぜ、一生涯のパートナーになってほしいと言ったのだろう。


家までの道のりが、こんなにも長く感じられたのは初めてだった。足が思うように動かない。涙で前が見えない。すれ違う人々が、香織のことを奇妙な目で見てくるような気がした。しかし、そんなことを気にする余裕はなかった。


家にたどり着き、自分の部屋に駆け込む。ドアを閉め、鍵をかける。そして、ベッドに倒れ込んだ。声を出して泣くこともできない。ただ、静かに、涙が溢れ続ける。


スマートフォンが、ポケットの中で震えているのが分かった。彼からのメッセージだろうか。しかし、香織はそれを見る勇気がなかった。彼の言葉を見るのも、聞くのも怖かった。


布団に顔をうずめ、声にならない嗚咽を漏らす。彼の温かい手、彼の優しい声、彼のキス。すべてが、香織の頭の中で繰り返される。そして、その度に、胸が締め付けられるような痛みを感じる。


彼には婚約者がいる。それは、紛れもない事実だ。彼は、自分と出会う前から、他の人と結婚する約束をしていたのだろうか。それなのに、なぜ自分に近づいてきたのだろう。なぜ、あんなにも優しくしてくれたのだろう。


夏の海辺への約束。彼と二人きりで行く、初めての旅行。それは、香織にとって、希望の光だった。しかし、その光は、婚約者という言葉によって、一瞬にして消え去ってしまった。


約束は、もう果たされないのだろうか。彼と二人で海に行くことは、もうできないのだろうか。


悲しみと絶望が、香織の心を支配する。彼への愛おしい気持ちと、彼への裏切られたような気持ちがないまぜになり、香織の心は混乱していた。


どれくらいの時間が経っただろうか。涙は枯れ果て、体は疲労困憊していた。しかし、心の中の痛みは消えない。


香織は、ゆっくりと体を起こし、枕元に置いたスマートフォンに手を伸ばした。画面には、未読メッセージの通知がいくつも表示されている。すべて、山本嘉位からだ。


メッセージを開く勇気がなかった。彼が何を言っているのか、知りたくなかった。彼の言葉を聞けば、また傷ついてしまうだけかもしれない。


香織は、スマートフォンの電源を切った。そして、再びベッドに倒れ込んだ。もう何も考えたくなかった。ただ、この痛みが、早く消えてほしいと願うだけだった。


山本嘉位との関係は、波乱に満ちていることは分かっていた。でも、まさか、こんなにも早く、こんなにも大きな波乱が訪れるなんて、想像もしていなかった。


婚約者。それは、二人の関係にとって、あまりにも大きな壁だった。この壁を、乗り越えることはできるのだろうか。あるいは、二人の物語は、ここで終わってしまうのだろうか。


香織の心は、深い闇の中に沈んでいった。夏の海辺への約束は、遠い夢となって消えてしまったかのようだった。

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