第五話:入学後・・・そこはレッドカーペット
翌朝。蓬田香織は、いつもより早く目を覚ました。制服に着替えながら、昨日のできごとを思い出す。山本嘉位との衝撃的な出会い、そして交換した連絡先。まだ彼からの連絡はない。たった一日前の出来事なのに、まるで遠い昔のことのようにも、ついさっきのことのようにも感じられる。
朝食を済ませ、学校へ向かうため家を出る。春の朝の空気はひんやりとして澄んでおり、遠くから鳥のさえずりが聞こえる。新緑が芽吹き始めた街路樹の葉が、朝陽を浴びてキラキラと輝いている。いつもの通学路を歩きながらも、香織の心は落ち着かない。もしかしたら、学校でまた「かい」に会うかもしれない。会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。
和井田学園の最寄り駅に着き、改札を抜ける。すでに多くの生徒たちが駅の周辺や道端で友人とおしゃべりをしたり、スマートフォンを見たりしている。その中に、一際目を引く集団があった。長身で整った顔立ちの男子生徒を中心に、何人かの生徒たちが囲んでいる。遠目に見てもわかる、山本嘉位だ。
香織は思わず立ち止まり、物陰に隠れるように身を潜めた。ばったり会ってしまったらどうしよう。心臓がまた、うるさく鳴り始めた。彼は、楽しそうに周囲の生徒たちと話している。やはり、自分とは住む世界が違う。香織は、彼に見つからないように、そっと別の道を選んで学校へ向かうことにした。
しかし、運命は香織に味方しなかった。裏道を選んで歩いていると、前の方から見慣れた後ろ姿が見えてきた。山本嘉位だ。どうやら彼も、いつもの通学路を避けているらしい。香織は慌てて引き返そうとしたが、時すでに遅し。「蓬田さん!」と、「かい」に気づかれてしまった。
「おはよう、蓬田さん!」と「かい」は爽やかな笑顔で香織に近づいてきた。香織は顔を赤らめながら、「お、おはようございます…」と消え入りそうな声で答えるのが精一杯だった。昨日の今日で、こんな形でまた会ってしまうなんて。
「偶然だね!蓬田さんもこっちの道使うんだ」と「かい」は屈託なく話しかけてくる。その様子からは、昨日の出来事を気まずく思っている様子は微塵も感じられない。むしろ、再会を喜んでいるかのようだ。
(この人、本当に変わってる…)
香織は内心でそう思った。あれだけの大物なのに、自分のような地味な女子生徒に、こんなにも気軽に話しかけてくるなんて。
「昨日、ちゃんと連絡先登録できたかな? 変なことになってなかった?」と「かい」が尋ねる。香織は慌ててスマートフォンを取り出し、「だ、大丈夫でした…」と画面を見せる。「そっか、よかった! じゃあ、今度改めてお詫びさせてほしいんだけど、いつか時間あるかな?」
唐突な誘いに、香織は言葉に詰まる。まさか、本当に誘われるなんて思ってもみなかった。断る理由を考えようとするが、彼の真っ直ぐな瞳に見つめられると、何も言えなくなってしまう。
「あ、ごめん! 急すぎたよね。もちろん、嫌なら大丈夫だから。気にしないで」と「かい」は香織の困惑した様子を見て、すぐに付け加えた。その配慮が、かえって香織の心を揺さぶる。
「…あの、考えておきます…」香織はそう言うのがやっとだった。
「うん、ありがとう。じゃあ、学校まで一緒に行こうか?」
「かい」はそう言うと、当然のように香織の横に並んで歩き始めた。香織は戸惑いながらも、その隣を歩く。周りの生徒たちが、二人の様子をひそひそ話しながら見ているのがわかる。顔が熱くなるのを感じながら、香織は俯いて足元を見つめた。いつもは平凡で目立たないはずの自分の通学路が、今日だけは、まるでレッドカーペットを歩いているかのように感じられた。