第四〇話:最後の夜の誓い
修学旅行三日目の深夜。蓬田香織は、手に握りしめたキーホルダーの小さな画面が示す矢印に従って、静かにホテルの廊下を歩いていた。他の班員たちは皆、寝静まっている。心臓の鼓動が、耳の奥で響いている。
屋上への扉を開け、外に出る。夜の空気はひんやりとしているが、香織の体は熱かった。月の光が、屋上を優しく照らしている。
屋上には、すでに山本嘉位が待っていた。彼の姿を見た瞬間、香織の心は安堵感で満たされる。彼は香織に気づくと、優しい笑顔で香織を迎え入れた。
「蓬田さん! 来てくれたんだ!」
「かい」は香織に駆け寄り、優しく抱きしめた。香織は、彼の温かい腕の中で、夜の冷たい空気を忘れる。
「ごめんね、こんな時間に呼び出して。でも、どうしても、蓬田さんと、ちゃんと話したかったんだ」
「かい」は、香織を抱きしめたまま、屋上の隅にある、物置の陰へと移動した。そこは、月の光も届きにくく、より一層秘密めいた雰囲気がある場所だった。
二人の体は密着し、互いの体温を感じる。香織の心臓は、彼の心臓の音に合わせてドキドキと鳴っている。
「あのね、蓬田さん。昨日の夜、ちゃんと言えなかったこと、そして、君に伝えたいことが、たくさんあるんだ」
「かい」の声は、真剣な響きを帯びていた。彼は、香織の顔を優しく見つめる。
「僕は、蓬田さんのことが、本当に大切だ。君と一緒にいると、心が安らぐし、何よりも、君の笑顔を見ているのが幸せだ」
「かい」は、香織への想いを、改めて香織に伝えた。彼の言葉は、香織の心を温かくし、彼への愛おしさを深める。
「でも…」香織は戸惑いながら言った。「山本君の周りには、たくさんの、私なんかよりずっと素敵な女の子がいるのに…」
「かい」は、香織の言葉を聞いて、少しだけ寂しそうな表情になった。
「蓬田さんは、いつもそうやって、自分を卑下するんだね。でも、僕にとって、蓬田さんは、他の誰よりも特別なんだ」
「かい」は、香織のどこに惹かれたのか、改めて香織に語りかけた。彼の言葉は、香織の心を温かくし、彼への愛おしさを深めた。
そして、「かい」は、彼を取り巻く環境や、彼の家族のこと、そして妹の楓のことについても、香織に話し始めた。彼の世界が、どれほど複雑で、香織にとって重荷になる可能性があるのかを、正直に打ち明けた。
「僕と一緒にいると、蓬田さんにも、大変な思いをさせてしまうかもしれない。色々な問題に巻き込んでしまうかもしれない」
「かい」の声には、香織を心配する気持ちが滲み出ていた。
「でも…それでも、僕は、蓬田さんと一緒にいたい。どんなことがあっても、君を守りたい。だから…」
「かい」は、香織の手を握りしめた。
「もし、蓬田さんが、僕と一緒にいてくれるなら…一緒に、この困難を乗り越えていってほしい。僕の、一生涯のパートナーになってほしい」
それは、単なる告白以上の、重い言葉だった。一生涯のパートナー。彼の世界を受け入れ、共に生きていくということ。香織は、彼の真剣な瞳を見つめ、彼の言葉の意味を理解した。
不安もあった。彼を取り巻く世界は、香織にとって未知数で、そして恐ろしいものかもしれない。しかし、彼への想いは、その不安を凌駕していた。
「…はい…」香織は、震える声で答えた。「…私で、よろしければ…」
「かい」は、香織の言葉を聞いて、安堵したような、そして心から嬉しいという表情になった。彼は、香織を再び抱きしめた。今度の抱擁は、固く、そして香織のすべてを受け止めるような抱擁だった。
「ありがとう、蓬田さん…! 本当にありがとう…!」
「かい」は、香織の髪にキスをした。そして、香織の耳元で囁く。
「この旅が終わったら、ちゃんと、僕の両親に紹介するよ。そして…蓬田さんのご両親にも、ご挨拶に行きたい」
両親。挨拶。それは、二人の関係が、ただの高校生の恋愛ではなく、将来を見据えた真剣なものであることを意味していた。
修学旅行の最後の夜。月の光の下で、二人は一生涯の誓いを交わした。それは、これから始まる二人の波乱に満ちた物語の、始まりの合図だった。




