第三七話:三日目の景色と胸のざわめき
修学旅行三日目の朝。蓬田香織は、窓の外から差し込む朝日で目を覚ました。隣で寝ている八重は、まだぐっすりと眠っている。昨夜の、山本嘉位との秘密の逢瀬を思い出し、香織の心は温かい幸福感で満たされていた。彼とのキス、そして抱擁。それは、香織にとって、生まれて初めての、そして忘れられない経験となった。
しかし、ベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗う時、鏡に映る自分の顔を見て、香織は現実に戻された。少し赤くなった目の周りは、昨夜の寝不足を物語っている。そして、鏡の向こうに広がるのは、日常とは違う旅先の景色。
朝食会場へ向かう途中、他の班の生徒たちとすれ違う。皆、修学旅行を楽しんでいる様子だ。香織も、修学旅行というイベント自体は楽しかった。新しい場所、新しい体験、そして親友の八重との時間。
朝食会場で「かい」を見つけると、二人は目が合った瞬間、お互いに微笑み合った。周りの生徒たちには気づかれない、二人だけの秘密のサイン。その短いアイコンタクトだけで、香織の心は満たされた。
三日目の午前中は、自由行動だった。香織たちの班は、事前に調べておいたカフェに行ったり、お土産屋さんを回ったりした。八重や班のメンバーと話しながらも、香織の心は常に「かい」のことを考えていた。彼も今頃、どこかで班別行動を楽しんでいるのだろうか。
午後の班別行動中、香織たちの班は、偶然にも「かい」の班と同じ観光地にいた。多くの観光客で賑わう場所で、彼の姿を見つける。彼の周りには、やはり多くの生徒たちが集まっている。そして、彼の隣には、例の美少女がぴったりと寄り添っていた。
美少女は、「かい」に楽しそうに話しかけ、時折彼の腕に触れている。その姿を見ていると、香織の心に、またしてもチクリとした痛みが走った。昨夜、彼は自分に「好きだ」と言ってくれた。キスもしてくれた。なのに、なぜ、他の女の子とあんなに親密そうにしているのだろうか。
八重は、香織の様子に気づき、「かおり? 大丈夫? 顔色悪いよ?」と心配そうに声をかけた。
「あ、ううん…なんでもない…」香織は慌てて誤魔化す。
八重は香織の視線の先を追い、美少女と「かい」の姿に気づいたようだ。八重は何も言わずに、香織の肩にそっと手を置いた。その優しさに、香織の心は少しだけ救われた。
美少女は、「かい」と楽しそうに話しながら、時折香織の方をちらりと見る。その視線には、どこか挑戦的な光が宿っているように香織には感じられた。それは、香織の被害妄想なのだろうか。それとも、彼女も「かい」と香織の関係に気づいているのだろうか。
香織は、美少女の視線から逃れるように、顔を逸らした。彼への想いは深まっている。でも、彼を取り巻く世界は、香織が思っていた以上に複雑で、そして香織を不安にさせるものだった。彼の恋人になったけれど、彼の周りには、たくさんのライバルがいる。そして、彼の家族や、彼の持つ特別な背景。それらが、二人の関係にどんな影響を与えるのだろうか。
修学旅行の景色は美しかった。しかし、香織の心は、彼への想いと、ライバルたちの存在、そして自分自身の不安によって、ざわめいていた。修学旅行は、まだ終わっていない。この旅の間に、何か、二人の関係にとって大きな出来事が起こる予感を、香織は感じていた。




