第三〇話:夜中の冒険と月の光
夜中。蓬田香織は、手に握りしめたキーホルダーの小さな画面が示す数字と矢印を見つめていた。0526。そして、窓の方角を示す矢印。これは、山本嘉位からのメッセージであり、彼の居場所を示しているに違いない。
静かに布団から抜け出し、部屋の窓に近づく。窓の外は真っ暗だが、月の光がぼんやりと地上を照らしている。キーホルダーの矢印は、窓の外の、ある方向を指し示している。
(行ってみようか…?)
香織は迷った。夜中に一人で部屋を抜け出すなんて、考えたこともない。見つかったら、大変なことになるかもしれない。しかし、このキーホルダーの謎を解き明かしたい気持ち、そして「かい」に会いたい気持ちが、香織の理性を上回った。
香織は、そっとドアノブに手をかけた。軋む音を立てないように、ゆっくりとドアを開ける。廊下は静まり返っており、誰もいないようだ。香織は、月明かりだけを頼りに、キーホルダーの矢印が示す方向へと、静かに歩き始めた。
ホテルの中は、昼間とは全く違う顔を見せていた。静かで、どこかひっそりとしている。香織は、足音を立てないように慎重に歩く。キーホルダーの矢印は、香織が進むにつれて、微かに向きを変え、常に彼がいるであろう方向を指し示している。
エレベーターの前まで来ると、矢印は上を指していた。香織はエレベーターに乗り込み、ボタンを押す。エレベーターは静かに上昇していく。香織の心臓はドキドキと鳴り続けていた。
エレベーターを降りると、矢印は廊下を進む方向を示している。香織は再び、音を立てないように歩き始めた。ホテルの構造は複雑で、何度か曲がり角を曲がる。しかし、キーホルダーの矢印は、常に正確に彼がいるであろう方向を示している。
やがて、矢印がある部屋の前で止まった。部屋のドア。ここが、彼がいる場所なのだろうか。香織は、ドアの前で立ち止まり、深呼吸をする。
(入ってもいいのかな…?)
ノックすべきだろうか。それとも、何か秘密の合図があるのだろうか。香織は、キーホルダーを握りしめながら、どうすればいいのか分からずに立ち尽くす。
その時、微かに、部屋の中から物音が聞こえた。そして、話し声のようなものも。しかし、男性の声だけでなく、女性の声も聞こえるような気がした。
(え…?)
香織の心臓が冷たくなった。女性の声? もしかして、彼は一人ではないのだろうか。他の誰かと一緒にいるのだろうか。
昨夜の電話で聞こえた、あの微かな女性の声が脳裏に蘇る。彼の説明では、メイドさんだと言っていたけれど…。もしかして、嘘だったのだろうか。彼は、この部屋で、他の女の子と…?
不安と疑念が、香織の心を再び締め付ける。期待していた気持ちが、一気に冷えていく。
しかし、香織がその場を立ち去ろうとしたその時、部屋の中から「蓬田さん?」と、香織の名前を呼ぶ声が聞こえた。山本嘉位の声だ。
なぜ、自分の名前を? 彼は、自分がここにいることに気づいているのだろうか。
ドアが、ゆっくりと開けられた。そこに立っていたのは、山本嘉位だった。彼は、少し驚いたような、そして安心したような表情を浮かべていた。そして、彼の後ろには、予想外の人物が立っていた。
メイドの、猿飛千佳さんだった。




