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第二二話:朝の抱擁、繋がれた手

メイドさん、現代に存在するの?え?


月曜日の朝。蓬田香織よもぎだ かおりは、ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。目の下にはうっすらとクマができている。昨夜の山本嘉位やまもと かいとの電話のこと、聞こえた微かな女性の声のこと、そして彼の動揺した様子。すべてが香織の心を締め付けていた。


学校へ向かう足取りは重かった。彼に会いたくない。会えば、昨夜のことが気まずくなる。それに、もし彼が本当に他の女の子と遊んでいたのだとしたら、顔を見るのも辛い。


いつもの通学路を歩いていると、前の方から見慣れた後ろ姿が見えてきた。「かい」だ。香織は思わず立ち止まり、身を隠そうとしたが、もう遅い。彼は香織に気づき、こちらに向かって歩いてきた。


香織は逃げることもできず、立ち尽くすしかなかった。彼の顔を見るのが怖い。昨夜の電話のことを、どう聞けばいいのだろうか。


「蓬田さん! おはよう!」


「かい」はいつもの爽やかな笑顔で香織に声をかけた。その笑顔を見て、香織の心はさらにざわつく。なぜ、そんな普通に接することができるのだろうか。


「…おはようございます…」香織は消え入りそうな声で挨拶を返した。


「あのさ、昨日の夜のことなんだけど…」と「かい」が話し始めた。香織は身構える。やはり、昨夜の電話のことを言われる。


「…電話の向こうで、声が聞こえたって言ってたでしょ? あれね、僕の家のメイドさんなんだ。夜中に電話で起こしてもらっちゃって、それで近くにいたから声が聞こえたみたいで」


「かい」は、少し照れくさそうに、昨夜の電話の状況を説明してくれた。夜中に香織から電話がかかってきて、メイドの千佳ちかさんが自分を起こしてくれたこと、そしてその時に近くにいた千佳さんの声が微かに聞こえたのだろうということ。


「…そう、なんですか…?」香織は驚いた。彼の説明は、あまりにもあっさりとしていて、そして納得できるものだった。メイドさん。そうか、彼の家にはメイドさんがいるんだった。彼の育ちを考えれば、当然のことだ。


彼の説明を聞いているうちに、香織の心の中で張り詰めていたものが、少しずつ緩んでいくのを感じた。疑念が晴れ、安堵感が香織の心を包み込む。自分は、また勝手に勘違いして、一人で悩んでいたのだ。


「うん、そうなんだ。本当にごめんね、紛らわしいことになっちゃって。蓬田さんに変な誤解させたくなかったのに…」


「かい」は心から申し訳なさそうに言う。その真剣な瞳に、香織は彼の言葉が嘘ではないことを確信した。


「いえ…私の、早とちりだったので…」香織は顔を赤らめた。


「かい」は香織の様子を見て、優しく微笑んだ。そして、そっと香織の手を取った。


「ごめんね、心配かけちゃって。でも、蓬田さんのことが大切だから、誤解されたくなかったんだ」


彼の温かい手が、香織の小さな手を包み込む。指先から伝わる熱に、香織の心臓はドキドキと鳴り始めた。彼の言葉、「大切だから」。その言葉が、香織の心に強く響いた。


「…山本君…」


「かい」は香織の手を握ったまま、歩き始めた。「よし、学校まで、こうして一緒に行こう?」


二人は手を繋いだまま、通学路を歩き始めた。春の朝の柔らかな陽射しが、二人の間を照らす。周りの生徒たちが、二人の様子を見て驚いているのが分かる。ひそひそと交わされる声、向けられる視線。しかし、香織はもう、それを気にすることはなかった。


「かい」と手を繋いでいる。生まれて初めて、家族以外の異性と手をつないでいる。彼の温かい手の感触が、香織の心を幸せな気持ちで満たしていく。


「かい」は、香織の手を時折優しく握りしめながら、楽しそうに話しかけてくる。香織も、彼の話に笑顔で相槌を打つ。


(ああ…山本君の言ってたこと、本当だったんだ…)


昨夜、電話越しに聞こえた女性の声は、メイドさんの声だった。彼は、他の女の子と遊んでいたわけではなかった。自分のために、夜中に起きて電話に出てくれたのだ。


香織の心の中にあった不安は消え去り、代わりに温かい幸福感が広がっていく。彼の手の温かさ、そして彼が自分を大切に思ってくれているという事実。


学校までの道のりは、あっという間だった。校門をくぐり、昇降口へ向かう間も、「かい」は香織の手を離さなかった。周りの生徒たちの驚きの視線が集まる。


「山本君…もう、大丈夫だよ…」香織は顔を赤らめながら言う。

「ん? 何が?」

「あの、手…もう、大丈夫だから…」

「えー、なんで? まだ繋いでたいのに」


「かい」は少し拗ねたように言う。「ほら、手ぇ離したら、蓬田さんまた転んじゃうかもしれないし」


その言葉に、香織は思わず笑ってしまった。入学式の日にぶつかって転びそうになったことを言っているのだ。


「教室まで、こうして一緒に行こう? 転んだら危ないし」


「かい」は、香織の手をしっかりと握り直し、教室へと向かう廊下を歩き始めた。香織は、彼の強引さにも優しさにも、心が温かくなるのを感じていた。


教室の扉の前まで来ると、さすがに「かい」は香織の手を離した。


「じゃあ、またね、蓬田さん」

「…うん、またね、山本君」


香織は自分の教室に入った。席に着いても、まだ手に「かい」の温もりが残っているような気がした。胸のドキドキが止まらない。


(山本君…)


香織は、彼の優しさと、彼が自分を大切に思ってくれているという事実に、改めて彼のことが好きだと自覚した。これから、彼との間にどんなことが起こるのだろうか。不安もあるけれど、それ以上に、彼と一緒にいる未来に、香織は希望を感じていた。

そして、香織は知るはずもない、彼が言うメイドさんが、二人の仲を。香織がその事を知るのは、もっともっと、先である。

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