第一一話:四日目の帰宅 かいが かおりを一緒にかえることを誘う 連絡先交換
<この帰り道が、やがて世界を巻き込む物語の序章になるとは、まだ知らなかった。>
昼休み、食堂で山本嘉位から話があると告げられた蓬田香織。緊張しながら彼の言葉を待つ香織に、「かい」は真剣な瞳で語りかけた。それは、入学式の日から香織に惹かれていたこと、そしてもっと香織のことを知りたいと思っているという、彼の素直な気持ちだった。香織は戸惑いながらも、彼の真剣さに触れ、少しずつ心を動かされていくのを感じていた。
昼休みが終わり、午後の授業も淡々と進んでいった。しかし、香織の心は落ち着かない。「かい」の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。彼の気持ちに応えるべきなのか、それともこのまま距離を置くべきなのか。
放課後になり、香織は八重と一緒に教室を出た。昇降口へ向かう途中、八重が香織に尋ねる。「で? どうだったの? 山本嘉位と食堂で二人きりなんてさ! 何話したの? もしかして、告白されちゃったとか?」
八重の質問攻めに、香織は顔を赤らめる。「う、ううん、まだそういうんじゃなくて…」香織は言葉を濁しながら、「かい」が自分に興味があるというような話をしてくれたことを八重に話した。
「マジかー! やっぱりね! かおりはユニークアイテム(彼にとって、とても貴重な存在)だって言ったでしょ?!」八重は興奮気味に香織の肩を揺さぶる。「で、どうするの? かおりも山本嘉位のこと、嫌いじゃないんでしょ?」
「…どうすればいいのか、分からない…」香織は正直な気持ちを打ち明けた。彼のことは嫌いじゃない。むしろ、少しずつ彼の魅力に気づき始めている。でも、彼と自分があまりにも違いすぎるという不安が、香織の心を躊躇させていた。
昇降口に着くと、またしても「かい」が待っていた。今度は一人だ。香織と八重に気づくと、近づいてくる。
「八重さん、蓬田さん。帰り?」
「うっす! また明日!」八重はまたしても香織の背中を押すと、颯爽と立ち去っていった。
「ごめん、また八重さんに気を使わせちゃったみたいだね」と「かい」が苦笑いしながら言う。
「いえ…」
「あのさ、もしよかったらなんだけど、一緒に帰らない? 少しだけ、話しながら…」
二度目の誘い。香織は今度はすぐに断ることができなかった。彼の真剣な瞳に見つめられ、香織は小さく頷いた。
「ありがとう!」と「かい」は嬉しそうに微笑んだ。
二人は並んで校門を出た。春の夕方の風が心地よい。桜の花びらはほとんど散ってしまったが、新緑の葉が生き生きとしている。
「かい」は香織の隣を歩きながら、今日の授業のことや、趣味のことなど、色々な話を香織に質問した。香織は緊張しながらも、彼の質問に答え、少しずつ会話のペースを掴んでいった。
「蓬田さんって、本当に色々なことができるんだね。書道に料理に裁縫、ピアノやバイオリンもできるって八重さんから聞いたよ。すごいね」
「え、八重がそんなことまで…」香織は少し恥ずかしそうにする。
「うん。なんかね、蓬田さんの話をしてると、八重さん、すごく嬉しそうなんだ。八重さんにとって、蓬田さんはすごく大切な友達なんだね」
「…八重は、私にとって一番の親友だから…」香織は少し微笑んだ。
「かい」は香織の横顔を見て、優しく微笑んだ。「僕も、蓬田さんみたいな友達がいたらいいな」
友達。その言葉に、香織の心は少しだけ安堵した。まだ、彼は自分を「友達」として見てくれている。
「ねぇ、もしよかったら、連絡先交換しない? もっと色々、話したいし…」
「かい」はそう言うと、スマートフォンを取り出した。しかし、香織はすでに彼と連絡先を交換していた。入学式の日の、あのドタバタの中で。
「…あの、私たち、もう連絡先、交換してます…入学式の日に…」香織は顔を赤らめながら言った。
「え?」と「かい」は目を丸くした。そして、すぐに思い出したように、「あ! そっか! あの時だ! 全然覚えてなかった!」と笑い出した。
その屈託のない笑顔を見て、香織もつられて笑ってしまった。彼の、完璧なようでいて、どこか抜けているところに、香織は少しだけ親近感を感じた。
「じゃあ、よかったら今晩、少しだけ電話で話さない? 今日、話したかったことの続きがあるんだ」
電話。二人きりで。香織は一瞬ためらったが、彼の真剣な瞳に、またしても頷いてしまった。
「…はい」
「ありがとう! じゃあ、家に着いたら連絡するね」
二人は、それぞれの家へと向かう分かれ道まで一緒に歩いた。夕陽が二人の影を長く伸ばす。
「じゃあね、蓬田さん。また後で」
「はい、さようなら…」
「かい」と別れ、一人になった香織は、ドクドクと鳴る心臓の音を聞いていた。今晩、彼と電話で話す。その事実に、香織の胸は期待と不安でいっぱいだった。そして、彼の妹である楓の存在が、また香織の心をざわつかせ始めた。
今夜、彼と電話で話す。
その小さな約束が、二人の運命を決定づけることになる。