3.ほころびの世界
開け放たれた窓からは暖かく柔らかな陽光が差し込む。涼しい風がふわりとレースカーテンを揺らした。
顔に陽光が当たった刺激で、弥彦は小さく唸りながら重たい瞼を開けた。
「ここは……」
見覚えのない一人部屋だ。体を見てみると病衣を身にまとってベッドで寝ていたようだ。手の届く範囲にサイドテーブルがあり、水の入ったコップやテレビのリモコンが置いてある。
「病院……?」
少し離れたところにあるソファの上には鞄と着ていた衣服が畳まれて置いてあった。恐らく携帯電話もそこにあるのだろう。
――そういえばセツラさんのところに置きっぱなしだったんだっけ……。
森での出来事を思い出す。あの時は手荷物を心配する余裕がなかったが、その場になかったはずだ。鞄が綺麗な状態で残っていることから中身の心配は少ないような気がした。
「っ!」
身じろぎをした拍子、体中に痛みが走った。おもむろに点滴の打たれている腕をあげると僅かに震えているうえに、いつもよりも力が入らず重く感じる。腕から体幹に巻かれた包帯を見る分に重体だ。
そのまま挙げた腕を、目を覆うように下ろして重い溜息をつく。
「生きてる……」
死ぬかと思った。あの恐怖は今でも明確に覚えている。その恐怖から解放されたのだと、喜びからか、はたまた緊張が解けて全身が震えた。
異能を発現できたのだろう。だがそれだけでは生きて帰れなかった。あんな絶望的な状況でこうして生きているのは、黒の大侵蝕の英雄である夕凪鷹宗が約束通り救出してくれたおかげなのだろう。
どのくらい寝てたのだろうか。壁に掛けられている時計を見ても日付まではわからない。かといって携帯電話を取りに行くにしても、ベッドから降りる事すら全身が悲鳴を上げて動けなくなるだろう。
「どのくらい寝てたんだろう……」
そう天井を見てぽつりと呟いた。
「一日と半日くらいだな!」
少年のような明るく若々しい声が教えてくれる。
「そっか……そんなに寝てたんだ……」
確か、セツラに呼ばれた日は金曜日。ならば休日であることに違いなく、無断休校していない事にひとまずほっとする。だが、この調子だともうしばらく休まなくてはならないだろう。皆勤賞は少し惜しい気がするが、仕方ない。
こんな体なら良く寝ることが大切だ。心配はひとまず横に置いておこう。布団や枕に身を委ね、寝る準備に入る。それを察したように少年の声が話しかける。
「おっ、寝るのか。お休み~」
「うん……おやすみ……。おやすみ?」
そういえば誰と言葉を介しているのだろうか。弥彦はまだぼーっとしている頭で周囲を見回す。しかし、誰もいない。
「……だれ?」
弥彦は青ざめる。
――もしかしてこれがお化け⁉
心霊現象にはまるで縁がない。そもそもそういうニュースは異能関連だという説もある。怖がる必要はない……と頭でわかっていても緊張からシーツに皺が出来るほど握りしめた。
「ここだぞここ!」
そう声の持ち主が言うと、布団の中で何かが移動した。
「うわっ⁉」
足、腹の上を通る触感に強烈なくすぐったさに襲われる。ベッドから飛び出たい衝動にかられたが、それよりも早く声の持ち主がにゅるりと姿を現した。
顔面に近づいたのは、白い何かだ。よく見てみると蛇だということが分かる。滑らかな躯体は細長く頭が小さい。六角形を描いた皮のような薄い鱗が綺麗に敷き詰められており目を奪われる。神秘的にさえ思えるその白蛇がくぱっと口を開けた。
「やぁっ!」
眼前で吐息を感じた。そして白蛇は手を挙げるように尻尾をピンっと立てた。
「――――――」
――しゃべった……?
この部屋に自分以外の人はいない。白蛇はこちらの返事を待っているのか、そのままポージングを保っている。
――夢、なのか……?
こういう時はどうすればいいんだ? 寝ればいいのかな? そう考えがよぎると、目の前の白蛇が舌をチロチロとだしたかと思うと、弥彦の鼻頭にひんやりと当たった。
「わああああああああ⁉」
ぴちゃりと触れたそれは現実だと認識するのに十分な生々しさだった。
「あ、ごめん」
白い蛇は悪びれなさそうに軽く謝罪し身を引いた。
少しだが体を動かした事で痛みが走り、弥彦は苦悶する。逆にそのお陰で騒がずに済んだのかもしれない。弥彦はズキズキと痛むのを堪えた。
――あれ……そういえば、初めてじゃない感じがする。
どこかで出会ったような気がする。少しずつ冴えてきた頭で思い返し、白蛇に尋ねた。
「もしかしてキミは、あの森にいた……?」
「そうだぞ! お前があの森で会ったの、オレ!」
すごく元気の良い蛇である。動揺を隠しきれず疑惑の表情を向けて弥彦は聞く。
「どうしてそんなところにいたのかな?」
疑問に首を傾げると、白蛇は丸い目をぱちくりとさせてから、真似るように首を傾げた。
「しらね」
「えぇ……」
あっさりとした回答に愕然とする。
「仕方ねえだろお。オレだって分からねぇんだからさあ」
白蛇は尻尾の先を大きくくねらせて訴えかける。ただ、のんびりとした口調から怒ってはいないようだ。
「ご、ごめん」
気分を害した可能性もある。そう伝えると、
「わかってくれればいいんだ!」
白蛇はご機嫌に目を細めた。
――なんか、可愛く見えてきた。
白蛇の素振りに少し和んでしまう。緊張もほぐれる。
――いろいろ聞いてもいいのかな。
そう思い、弥彦は尋ねた。
「どうして喋れるの?」
「お前も喋れるよな。オレたち不思議だよなぁ~」
――た、確かに……?
なぜ人も動物と言葉を交わすことが出来るのか……もしかしたらこの蛇がおかしいのではなく、自分が頭を強く打っておかしくなった可能性も考えられる。
「確かに……そうかもしれない……。じゃあ、キミは普通の蛇と同じなの?」
「普通ってなんだ? お前は普通なのか?」
そういわれると、人間の普通も分からない。異能者は普通じゃないのかもしれない。そう考えるとこの質問も不適切なのかもしれないと思えてくる。
「んんん……そもそもキミは何者なんですか?」
「オレはオレだな!」
そうかあ、自分たらしめるは自分、ということなのであろう。一理ある。
弥彦はなんとなく天を仰いだ
――謎は深まるばかりだ……。
途方に暮れる気持ちになると、扉からノック音がした。返事をする前に開き、女性の看護師が入室してくる。
「あら来杉さん、目が覚めたんです、ね……?」
その手にはクリップボード。恐らく点滴の様子を確認しに来たのだろう。だが、弥彦はこの状況に思考が固まった。
弥彦の目の前には白い蛇がいる。その白蛇も看護師を見ては「しまった」というような雰囲気で口を開けっ放しでカチンコチンに固まっていた。
ほんの少しの静まり返った時間。長くも感じたその後、看護師はクリップボードを落とす。
「きゃああああああああ!」
まさか蛇がいるとは想像もしなかったであろう。看護師が甲高い悲鳴を上げた。まさに口火を切った悲鳴といえる。
「わああああああああああああああああ!」
それに驚いた白蛇も目を丸くしては大きく口を開いて共振するように声を上げた。
――しまったああああ!
どうしようもない現状に、動けない弥彦も大声を上げたくなった。
看護師の悲鳴を聞きつけて走ってきた数名のスタッフ。きっと凶悪犯と遭遇したのではないかと男性ばかりがやってきた。その実態が白蛇であったことに弥彦だけでなく、ここにいる全員が対応に戸惑っているようだ。
「おーおー。大した騒ぎになってんなあ」
その硬直した間に人だかりの後ろからでもわかるほど頭ひとつ以上抜きんでた長身の男がやってきた。
派手な赤髪の青年だ。目は髪とは対照的に透き通るほどの淡い水色だ。体格が良く、男らしさを感じる。
耳には複数のピアス、手首にはシルバーのアクセサリーを着飾っている。だが下品な付け方ではなく、白い制服を着崩しつつお洒落に着こなしているのが素人目にもよくわかった。なんだか見た目だけでも女性受けしそうな印象だ。
そんな青年に周囲のスタッフがギョッとする。そして女性スタッフは少し頬を赤く染めていたのを、弥彦は見逃さなかった。
一人の男性スタッフが困惑した声で赤髪の青年に尋ねた。
「もしかしてこれは……?」
赤髪の青年はニッと笑った。
「そ、ウチの管轄。上の人には話を通しているはずなんだけれど騒ぎにして悪かったな。ちゃんと引き取るから安心してくれ」
その言葉に納得して、集まったスタッフは多くを語らず納得したようで、ぞろぞろと部屋を去っていった。女性スタッフは恥ずかし気に赤髪の青年をチラチラと見ていると、青年は気前よく清々しい笑顔で手を振る。それに対して女性スタッフは更に顔面を真っ赤にして両手で顔を覆っては走って行ってしまった。
二人と一体になった部屋で、白蛇はサラッと言葉を突き付けた。
「なんだあいつ」
――あいつ⁉
初対面の人に対して失礼を言う白蛇にギョッとする。
――そもそも喋ったら驚いてしまう!
弥彦は慌てて赤髪の青年を見る。しかし、そんな彼は快活に笑った。
「生きがいいじゃねえか、安心したぜ!」
赤髪の青年は上機嫌そうに弥彦の方へと歩み寄った。近くに来ると、身長が2m近くあるのであろう。見上げる弥彦の首が痛くなりそうだ。赤髪の青年はそれを考慮したからか、「失礼するぜ」と告げてベッドの傍らにあった椅子に座った。
「俺はリアイゼル。リアイゼル・バーラ・フラマリス。ゼルって呼んでくれ。お前さんの名前は?」
とても気さくだ。体格の良さからの威圧感は全くと言って感じない。
弥彦は突然の来訪者におどおどとしながらも話し始める。
「来杉弥彦といいます。ゼ、ゼル……さん、よろしくお願いします」
「弥彦な。よろしくな」
思わず緊張してしまう弥彦に対して赤髪の青年――リアイゼルは大きく歯を見せて笑う。差し出された手に、弥彦も重い手を挙げ握手を交わした。
「今目覚めたばかりなのか?」
勢いのまま話が進むことに弥彦は戸惑いながら頷いた。
「そうですね。たぶん、三十分もかかってないかと」
リアイゼルは「おお、ドンピシャだな」と少し驚く。
「えっと……ゼルさんはどのようなご用事でこちらに……?」
まずは要件だ。ここに来たということは何かしら目的があるに違いない。それに、白蛇への態度にも気が掛かる。喋る蛇に対して臆するどころか安心しているようでもある。
「いったい、何者なんですか……?」
「……そうだな」
気さくな様子から一変。リアイゼルは真剣な表情を向けた。
「俺は夕凪さんと同じ異能者組織【オリジン】に所属している」
「――」
そんな気はしていた。知らない人が何の用事でここに来るのかは、家族や友人以外に夕凪鷹宗あるいはセツラの共通点である【オリジン】の可能性が高い。
リアイゼルは大きく頭を下げた。
「本来ならオリジン代表の夕凪鷹宗が出向くんだが、多忙につき俺が代役を承った。夕凪鷹宗の言葉をそのまま伝達する。この度は誠に申し訳なかった」
彼はずっとそのまま頭を下げ続けた。自ら頭を上げる気配を一切感じない。
「そ、そんな顔を上げてください。ゼルさんや夕凪さんは悪くないですよ!」
「それでもウチの責任であることに変わらない」
リアイゼルは頑なに頭を下げ続ける
――僕は……。
謝罪を素直に受け取る――それならばと一番伝えたい気持ちを、振り絞る。
「助けてくださって、ありがとうございました」
これが正しい返事か分からない。それでも精一杯の一言を、たどたどしく伝える。
「きっとあのままだったら死んでいたと思います。そこから救ってくれた事が、本当に嬉しかったです」
セツラにはそう言えないが、夕凪やリアイゼルに対しては正直な感謝を述べたい。
「その……ですから、夕凪さんにも感謝をお伝えしてくださると助かります」
そう言うとなぜか白蛇は自慢げに鼻先を上げて胸を張るような姿勢になった。満足げだ。
対してリアイゼルは感極まった様子で目頭を抑え、さらに俯いた。
「弥彦……お前、なんて良い奴なんだ……!」
「なっ⁉ 顔を上げてください⁉」
頭を上げそうもないリアイゼルが突然動揺したことに弥彦も仰天した。弥彦の言葉をよそにリアイゼルは言い続けた。
「普通こんな仕打ち受けたら大事だぞ! それを〝ありがとうございます〟を言えるってなんなんだよっ! 豪胆だな!」
「ななな何を言ってるんですか! そんなことないですよ⁉」
慌てふためく弥彦に対して、白蛇がリアイゼルに向かって威張るように言葉でたたみかける。
「そうだ、ヤヒコは器がデケエんだ! オマエとは違うんだぞ、もっと敬え!」
「敬うしかねえ!」
何故か白蛇はどこか嬉しそうだ。それにリアイゼルも崇めるように両手を合わせた。
流石に弥彦は声を震わせる。
「二人してなに言ってるんですか⁉ いいから頭上げてください⁉」
どうやらリアイゼルは本当に感動している様子だ。
――感情が豊かな人なんだなあ……。
大袈裟なリアクションに苦笑していると、リアイゼルは膝を打ち鳴らす。
「気に入った! 困ったことがあればすぐ言ってくれ!」
リアイゼルは制服の内ポケットから名刺を差し出し、弥彦はその勢いのまま受け取る。
そこには〝異能者協会本部所属国際異能者組織オリジン 第四位リアイゼル・バーラ・フラマリス〟と書かれていた。
「改めて、俺は夕凪さんたちの代理で来たようなもんなんだ。なにせ、お前さんがいつ目を覚ますか分からなかったからな。その上、オリジンの二人のお偉いさんはどっちも多忙だ。だからいつ目を覚ましてもいいように、俺も含めたメンバーで言伝を預かっては、日替わりで様子を見に来てたんだ」
この謝罪をいち早く行うために組織ぐるみで対応していた――そう考えると手厚さを感じる。
「あとは、この件についての説明をさせていただきたいっ――て、ところなんだが、体調的に大丈夫か?」
控えめに尋ねるリアイゼルに弥彦は勢いよく頷く。
今、最も知りたいことはそれなのだ。いったい何故こんな事に巻き込まれたのか、あの森はなんだったのか、そして目の前の喋る蛇は何者なのか――その全てが把握できる。
起きているぶんには無理はないし、なんなら目も冴えてきた。弥彦は前のめりに答えた。
「体は大丈夫なのでお願いします!」
それにリアイゼルは「わかった」と言うと、改めて姿勢を正して言葉を紡いだ。
「まず、驚かないで聞いてほしい」
「はい、なんでしょうか」
何を告げられるのだろうか、予想できない緊張感にゴクリと一息飲む。
「弥彦、お前はオリジンにスカウトされたんだ」
「………………はい?」
目が点になった。
僕が、オリジンからスカウトされた……?
黒の侵蝕のスペシャリストである、あのオリジンに?
…………ボクガオリジンカラスカウトサレタ?
「ドウイウコトデスカ?」
自分は今回の件まで異能を全く使ったことがない。そうだというのに異能者学校入学前に異能者協会本部所属の異能者組織からスカウトをされた、というのか? いやいや、そんな馬鹿な。こんな無茶苦茶な話は聞いたことがない。
「お前、すごいおかしい顔してんな」
リアイゼルは笑いを堪えている。弥彦は思わず身を乗り出す。
「いやだっておかしいと思いませんか⁉ 僕は今まで異能を使ってなかったし、スカウトされる要因なんて見当もつきません!」
ましてや、あの夕凪鷹宗の率いる組織だ。黒の侵蝕のスペシャリストと言われている組織に縁があるとは心底信じられない。
「どうしてお前や俺が選ばれたのか、それは検査でだいたい判断されるらしい」
リアイゼルは淡々とそのあらましを話してくれた。
アルバドリスでは、生まれてから数か月後もしくは入国してからすぐに異能者の潜在能力を測定される。それは血液検査や血圧測定のように手軽に分かり、その検査中にオリジンの求める適正がある程度判る、ということのようだ。
「だが検査で適正が認められてもどの程度かわからないみたいでな。別手段で調べなくちゃならねえのよ」
話の筋を追っていくと弥彦は「まさか」と言葉を漏らす。
「それが先日の件に繋がるんですか?」
リアイゼルは「話が早いな」と頷く。
「そうだ。あれがオリジンの選抜試験。それをセツラが先走ってこうなっちまった」
リアイゼルは苦い表情になった。
――相当イレギュラーなことだったんだろうなあ……。
安全を期さなくてはならないことが、あんな命の危機に直面してしまったのだから、セツラ以外のメンバーは心臓がもたなかったことだろう。そう思うと夕凪鷹宗やリアイゼルに同情してしまう。
「で、そんなこんなで弥彦は選抜試験をパスしちまったわけさ」
「いやいやいや急展開ですよ⁉」
リアイゼルは弥彦の驚く様子に一笑するも、すぐさま真剣な表情で言葉の続きを紡いだ。
「いいか? あの地下庭園で会った動物は全て保護された〝神獣〟だ。オリジンの選抜試験の合否はこの神獣の中から一体、相棒を見つけられるか――ただそれだけなんだ」
リアイゼルは弥彦の上にいる白蛇を指差した。
「んで、今弥彦の上にいるやつがお前の神獣な」
「――――」
これがキャパシティオーバーというものなのだろう。
まず、自分がかの有名な夕凪鷹宗を筆頭とする黒の侵蝕のスペシャリスト【オリジン】にスカウトされたこと。そのための選抜試験を無意識に合格したこと。そしてこの神獣である白蛇と相棒になった、ということ。
なにもかもが異常な出来事だ。
――これはなにかの夢なのか?
ぽかんとした表情で放心しているとリアイゼルは腹を抱えて笑いだした。
「そりゃそうなるよな! 俺も最初は信じられなかったのを思い出したわ!」
この反応を待っていたかのような清々しい笑い声が部屋中に満たされ、弥彦は我に返った。
「いや、でもすごくおかしくないですか⁉ 僕がそんな……神獣との適正があっただなんて……」
「おかしいもなにも、現にソイツがお前を認めたんだから確かな話だぜ」
――僕を認めた?
その言葉に、胸の鼓動が高鳴った。ひどく体も強張る。明らかに、なんと言葉にしていいのか分からない衝動が心に蠢いた。
「二十年前の話、白の神獣たちは黒の侵蝕の対抗のために人と手を取り合うことを選んだ。だが黒の侵蝕は小さいながらも未だに確認されている。だから神獣は自分と相性の良い人間を相棒に選び続けてる。そう思ってくれればいい。まあ、こだわりが強いからかその相棒選びっていうのがなかなか進まないんだけどな」
弥彦は白蛇に視線を移す。そうすると白蛇はそれに気づいて明るい声で言った。
「おう! オレ、ヤヒコが好きだ!」
白蛇は笑うように目を細めて、恥ずかしげもなく言った。
――なんだかこそばゆい!
思わず頬が緩むところを、口を固く結んで堪えた。
「ははは、告白されちまったぞ。どうすんだ弥彦~?」
「ちゃ、茶化さないでください!」
むずむずしていることを見破られたようで、反射的に声を上げてしまう。それに対してリアイゼルは面白おかしく笑いながら「冗談だ! 悪かった!」と謝る。
「ただ、こうなった以上、お前にはオリジンになる資格があるということが判明しちまったわけだ」
そうだ、問題はそこである。
先日の選抜試験では自分はただ生き残ることだけを考えてきた。それが、かつて二十年前に大災害として多くの人を死に追いやった黒の侵蝕に立ち向かえる力があると証明されたのだ。
つまりそれは、世界のために戦えという意味でもあろう。
かつての黒の侵蝕では死傷者多数――夕凪鷹宗のような白の神獣と契約した者たちでも数名亡くなっている事実がある。
――ただいつもの生活に戻りたかっただけなのに……。
平凡な日常がいかに尊いものか。それを手放してしまうような未来を見てしまう自分がいた。
「セツラが単独でやった事とはいえ、本当に迷惑をかけたと思っている。やつは厳罰を受けてるから安心してくれ」
ちゃんと罰せられているのならば「よかった」と吐露する。
だが依然強張った顔つきの弥彦に対してリアイゼルは言葉を付け加えた。
「それと弥彦。夕凪さんはこうも言っていた。お前がオリジンに加わるかどうかは自分で考えてほしいってな」
「僕が、決めていいんですか……?」
黒の侵蝕に対応できる存在は貴重なはずだ。また大災害となって再来するとしたら一人でも多くいてほしいに決まっている。
リアイゼルは改めて姿勢を正して真剣な眼差しを向けた。
「本来なら黒の侵蝕に立ち向かう決意があるかを確認してから選抜試験をやる段取りだったんだ。そもそもの話、大災害に立ち向かう覚悟がなけりゃ選抜試験をする必要がないからな。でもお前は無理矢理選抜試験を受けさせられた。だから、ここからオリジンに入りたいか、別の方面に興味があって別の道を歩みたいか――弥彦の意思を尊重する。そう約束すると夕凪さんからの言伝だ」
「そう、ですか…………それなら、安心しました」
不安な表情を崩して胸を撫で下ろす。
「さてと、話も少し長くなっちまったな。とりあえず話はここまでにしよう」
リアイゼルは立ち上がる。
「病み上がりだってのに急に悪かったな。お前さんの家族には連絡済みだからゆっくりと治療に励んでくれ。それと……」
そう言ってリアイゼルは素早く白蛇の体躯を大きな手で確保した。
「ギャー!」
空中へと連れ攫われた白蛇はジタバタと体をうねる。しかし首に近いところを掴まれて手に噛みつくことが出来ないようだ。
「こいつは一旦ウチで預からせてもらうぜ。また騒がれちゃかなわねえからな」
「タスケテー! ヤヒコー!」
――釣りたての魚みたいだ。
握ってはいるが力加減はしているのであろう。白蛇は元気だ。
「そ、そうですね。そうしてください」
パートナーという話ではあるが、一般的には神獣は発見され次第、異能者協会本部に報告されてしまう。それがなくても蛇を家に連れていくわけにもいかない。電車や街中で騒動になることが予想に難くないのであれば、対応してくれた方が余計な騒ぎを作らなくて済む。
「そんな⁉ ヒドイぞ、ヤヒコー!」
体をしならせるしかできない白蛇の虚しい抵抗を意に介さず、リアイゼルは快活な笑顔を向けた。
「それじゃ、また縁があった時にはよろしくな!」
リアイゼルは口角を挙げてそう言うと颯爽と部屋を後にした。
静かになった部屋で、弥彦はベッドに体を預ける。
オリジン、神獣、黒の侵蝕、選択の自由……。どれもが急な話だった。
今の話を反芻したいところだったが、賑やかだった部屋が静寂に包まれると、緊張が解けたのか眠気が強く襲ってくる。失いかける意識で弥彦は思いふける。
――僕はどうしたいんだろう……。
弥彦は抵抗する理由もなく瞼を閉じた。
…………
少年の部屋を後にしたリアイゼルは白蛇を片手に異能者協会本部の中を移動している。すれ違う人には度々ギョッとされるが、このオリジンの制服を見れば「まさかあれが神獣?」と動揺するまでで混乱するまでには至らない。一体を除いては。
「オイ、離せよ! ヤヒコのところに戻るんだー!」
ジタバタする白蛇にリアイゼルは笑い飛ばした。
「駄々捏ねるんじゃねーよ」
リアイゼルの手から逃れようと必死の白蛇。普通の人が同じ真似をしたらきっと望みが叶っただろう。しかし、このリアイゼルにかかればそうはいかない。
抗っても無理であろうにも関わらず、それでも抵抗し続ける白蛇の一生懸命さにはなんだか微笑ましく思う。リアイゼルは自分に正直なこの神獣に対して悪戯にニヤリと笑ってみせる。
「お前がおとなしくすれば再会するのも早くなるかもな?」
「いーやーだー! 苺色の髪の毛のくせに馬鹿力なんだよ! 離さないと食べるぞー!」
力で勝てないと分かったのか暴言を吐き出した神獣に、流石のリアイゼルも驚愕した。髪のことも言われ、思わず動揺して声を震わせる。
「いきなりひでえな⁉ 髪の毛はこれでいいんだよ! ほらいくぞ!」
「うわああああああああ! タスケテー!」
白蛇の悲鳴は寂しく廊下を残響させる。虚しくもそれを認識できる人間はこの場のリアイゼル以外いない。
――しっかしさっきの態度といい、妙に無邪気なんだよなあ。
来杉弥彦との会話中、白蛇の態度がどこか引っ掛かる。
手元で騒がれながらも、疑問に首を捻りながら、リアイゼルは関係者専用のエレベーターに乗り、上階へと移動した。