2.地を這うもの、空を飛びたい②-2
異能者協会本部から徒歩十分ほど移動した場所にあるレストラン【カシカシ・ジョー】。常連には【カシカシ】と呼ばれることの多い飲食店だ。
ここは以前リアイゼルに教えてもらったレストランのひとつ。スパゲティやハンバーグ、グラタンなど様々な料理が楽しめる。初めて来る人でも好みの料理があるだろうと安心できる店だ。
ずっと公園で作業していたフォイエルバもあの時間まで長らく食べていなかったらしい。全員で食事を摂ることとなり、目の前には多くの品々が運ばれた。
ラインナップはサラダにオリーブのアヒージョ、チーズの盛り合わせ、海鮮のスパゲティ、羊肉のステーキなどなど。何を頼むか弥彦とフォイエルバが優柔不断に悩み続けているとロフティが食べられないものを尋ねた後で適当に注文してくれた。思いの外ロフティが注文も取り分けも率先して行ってくれる。後輩である弥彦はこれではいけないと気を張り直す。そして何を言うわけでもないが、取り分けを担い始めた弥彦に対して意外と役割を譲らないロフティと取り分け用の皿を素早く手に取れるかの勝負をし続けた。
「まさかこんなべっぴんさんがわての読者様だなんて驚いたなあ」
そうスパゲティを頬張るフォイエルバは幸せそうな笑みを浮かべた。二重の意味で嬉しいようである。
その彼の向かい側に座っているロフティはまたしても両手で顔を覆っていた。どうやら余りにも感動と緊張で情緒がぐちゃぐちゃになっているようだ。
――注文と取り分ける時はあんなにテキパキしてたのに……。
弥彦は隣のロフティを横目にジュースを飲んだ。このようなファンに慣れているのだろうか、フォイエルバはひたむきな笑顔でロフティに声をかける。
「ロフティさんは何でわての作品知ったんだか?」
その質問に対してロフティは何かをごにょごにょと言った。だが顔を手で覆っているせいで上手く聞き取れない。弥彦は「ロフティさん、落ち着いて。水でも飲んでください」と背中をさする。ロフティはその言葉に沿うように赤くなった顔を晒して手渡された水を一気飲みした。コップを勢いのままテーブルに置くとロフティは深呼吸を繰り返す。やっと落ち着いたのか、喉から声を絞り出した。
「【リボルサ・ナ・ブロムグ】です……」
「ブロムグって……わての一作目だ! うれしいなあ、あれを出版したのはいつだったが」
「えっと……あたしが初めて読んだ時には四作目まで発売されていたわ……」
「となると……三、四年くらい前だか⁉ そんな前から読んでくれたんだなあ、ありがとなあ」
「ありがとうだなんてこっちの台詞だわ! フォイエルバ先生の作品はあたしの心の支えで……! ずっとリボルサシリーズだけじゃなく、その他の絵も本も……ずっと好きで……!」
早口で語るロフティは最後には遠ざかる虫の羽音のように言葉が掠れ、恥ずかしそうに顔を俯かせた。
――まるで愛の告白を目の前にしてるみたいだ。
近くで聞いていていいのか。そうやや気まずく思いながらも、弥彦は話を聞きながらもロフティのペースを乱さないように目の前の切り分けられた羊肉のステーキに集中した。
にこにこと話を聞いているフォイエルバに、ロフティは震える声で尋ねた。
「あの……ひとつ聞いてもいいかしら……?」
「答えることだったらなんでも言ってくんろお!」
「それじゃ……」と一拍おいてロフティは下げがちな視線を遠慮がちに上げた。
「その、昔と今の作風ってどことなく……こう、コンセプトみたいなものが変化している気がするの。作品を作るにあたって、心境の変化とか、あったのかしらと思って……」
――だいぶ濃い話を切り出した⁉
弥彦は直球な内容にむせ込みそうになった。まだロフティの情緒は特急モードかもしれない。そのためかフォイエルバは驚いた顔になった。
「すごい、よく分かったなあ」
――そうなの⁉
弥彦は目が飛び出しそうになった。弥彦の反応に気付いたフォイエルバははにかんで言った。
「せんせの前で言うのも恥んずかしい話だけんども、わての処女作、八歳の頃に出版したんだなあ」
「八歳⁉」
「えぇえぇ。縁の廻りあわせって言うんかねえ。あんりがたいことに、すんごいお金持ちの人の目に留まったみたいでなあ。その方や他の支援者の皆々様に支えられて世界を飛び回ることが出来るようになったんだなあ」
――そんなドラマみたいなことがあるんだ⁉
弥彦は愕然として持っていたナイフとフォークを皿に落としてしまった。自分が八歳の時はなにか誘われなければ、ぼーっと過ごしていたことがほとんどだった。縁の廻り合わせって言ってもその年から人を惹き付ける実力があったということなのだろう。結果、彼は今まで多くの作品を描き続けているのだ。その将来性も見越したのであればその〝すんげえお金持ちの人〟の慧眼も恐れ入るものがある。
「んでだなあ……ロフティさんの質問に答えるのに重てぇ話になってしまうんだけんども、しても大丈夫か悩んでてなあ」
「――⁉ もちろんよ! よかったら聞かせてくだひゃい――っ⁉」
ロフティは顔を赤らめた。言葉を噛んだことに恥ずかしがっているようだ。リブルはそれに「ははは、そんなに言ってくれるんなら応えないとなあ」と頬を掻いた。
「僕も聞いていいですか?」
「もちろんさあ。あんま、おんもしろい話じゃないと思うけんども、どうか気を重くしないで聞いてくんろぉ」
そう促して、彼は両手をテーブルの上で組んで、思い出すように話し始めた。
「遡ってわてが絵本を描く前――七歳までは姉と二人暮らしでなあ。両親のいない家庭で、姉はわてと、わてらの生活を守るために色んな人と助け合って仕事をこなしてたんだあ。暖けぇ姉だったさあ、なーんも文句も言わんでなあ、いつもわてのことを気ぃ遣って。自分が一番大変なのにわてにはずっと優しくてさあ。今度こそ姉に恩返しするぞぉって思ってたもんだ。そんな姉が不慮の事故で亡くなってなあ、わては相当気が参ったもんだった」
フォイエルバの視線がその両手に落ちる。
弥彦は以前の受診でその話を聞いていた。だから心の準備が出来ていた。初めて聞くであろうロフティはどんな顔をしているのだろうか。そう横目で彼女の様子を確認した。
真剣な顔だ。真摯な姿勢で聴くに徹しているのが分かる。一つも聴き零さないという熱意が伝わる。
フォイエルバは自分のペースを保って、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「その時のわては、姉を失うことになった事件の犯人が憎くてたまらんかった。いつか見つけ出して――殺してやろうとも思った。だけんども、一ヵ月もたたんうちに、その犯人も死んだことが村に伝わってなあ。怒りの矛先が勝手に消えてしまったことに、今度はやり場のない怒りと悲しみが襲って……気付いた時にはずうううっと絵を描いていたんだなあ」
――苦しい経験だ……。
弥彦は思わず悲愴に顔を歪めた。姉を失ったのは事故や病ではなく、事件だったのだ。詳細は分からない。だが、どんな内容であれ、突然大切な人を失った衝撃は計り知れない。想像できないほど苦しかったはずだ。
「そんなわてに、さっき言ったすんげえ大富豪がわての絵を見つけてくれてなあ、なんの因果か資金を提供する代わりに絵を描き続けてくれと依頼されたんだなあ。その流れで絵本のきっかけを得たのが、わての人生の――そう、転換期だったさあ」
視線を落としたフォイエルバがふと微笑を浮かべて目線を上げた。
「なーんも無かった……んや、憎しみと悲しみばかりだったわての心の奥底に、姉のあったけえ思い出が生きてたんだなあ。姉は不器用だけんども強くてキラキラして……弱くて絵を描く事しか取り柄が無かったわてに、ずっと力を与えてくれてたんさ。苦しい生活でもずっと優しかった、そんな心の強さを込めたのが最初のリボルサなんだなあ」
フォイエルバは悲しくも明るい笑みを浮かべた。それはまるで、姉の喪失を乗り越えたような――雨雲の隙間から光が差し込んできたような、そんな表情だ。
「そんな姉の強さを描き続けていくうちに多くの支援者が現れてなあ。それに読者さんもあんりがてえことに増えてくれてさあ。わての創った作品から色んな方々と接していくうちに、姉しかいなかったこの心に別の色がぽつぽつと増えてきたんだなあ。いろんな人がいて、視野が広がって……いつの間にか今の作風になったんだなあ。わての創作の道のりはこんなところかのお……て……」
ふと笑顔だったフォイエルバがぎょっとして言葉を失った。なんだと思い、弥彦は彼の視線の先を見た。
――……⁉
ロフティがぼろぼろと涙を流していた。体が小刻みに震えている。眉間に皺を寄せて、嗚咽を漏らさんと口を必死に閉じている。だが鼻をすする音は引っ切り無しに聞こえてくる。
「ろろろろろロフティさんー⁉」
「あわわわわわわ! わて、やっぱり重い話したよなあ⁉ こんなご飯中に空気読めなかったよなあ⁉」
弥彦は背中を必死に擦り、フォイエルバは鞄からハンカチを取り出してロフティに差し出した。ロフティはそれをやんわりと手で遮り、しゃっくり混じりに喋りだす。
「ご、ごめんなざい……! 話を聞いてたら……気持ちが……込み上がっちゃって……我慢出来なくて……!」
ロフティは自分のハンカチを取り出し顔に押し当て、涙が止まったかと思うと今度は鞄からティッシュを一枚引き抜き鼻を激しくかんだ。「はあ……」と一息落ち着くと、ロフティはか細い声で言った。
「あたし、あなたの作品を一目見ただけで引き込まれたの。独りでも力強く生きる銀狐は、あたしの心を救ってくれたわ。それに四作目以降は登場人物が増えて、いろんな縁を深く築いていったのがよく伝わってきて……独りのリボルサも孤独じゃないっていうのが凄く感じて……心が暖まるの」
また零れた涙を拭って、弱々しくもフォイエルバを真っ直ぐに見た。
「この作品を創ってくれて、本当にありがとう……ございます……」
心の底からの言葉であると、芯に響く言葉だった。いかにロフティの人生がフォイエルバの作品に支えられてきた事が何となくでも伝わってくる。
フォイエルバは息をごくりと呑んだようだった。少し間を置いてから、フォイエルバはくしゃりと笑顔になった。
「わての作った物語にここまで共感してくれるだなんて、わてはつくづく幸せな作者なんだなあ」
「それだけ素晴らしい作品なんですね。僕も全部買ってみようかな」
「――⁉ それならわて、全部お贈りします!」
「え⁉ それは流石に受け取れないですよ⁉」
「なんのなんの! 異療発展研究科って研究の替わりに本来の異療費より安く請け負ってるんでしょう? 協力も惜しまないけんども、せんせの異療でわては救われてんだなあ! こんくらいのお礼させてくんろ~!」
「異療のお礼は研究の協力で十分ですよ⁉ 後はお気持ちだけで……!」
と、全てを言う前に、弥彦は両の肩をガシリと掴まれる。なんだと思った時にはロフティと向き合う態勢にさせられた。
両肩をぎりぎりと握るロフティは涙で赤くなった目ですごむように言った。
「いただいときなさい!」
「え、いやでも」
「いいからこういう好意には甘えないと失礼よ! 大先生がそう言ってるんだから遠慮なくいただくのも礼儀よ!」
「そうですよせんせ! 置く場所が困るなら考えますけんども……」
どこか悲しそうに落ち込みそうになるフォイエルバに弥彦は咄嗟に首を振った。
「いえ置く場所には困ってません! わ、分かりました! そこまで仰って頂けるんなら……大切にさせてください!」
「ほんとですか⁉ まるで嫁に送るみたいだなあ! えぇえぇ、次の受診の時に持っていかなくちゃなあ!」
フォイエルバはぱあっと明るい表情になった。
こうして夕飯はフォイエルバの話題を中心に盛り上がる。
料理はどれも美味しく、弥彦にとっても満足な夕食を摂ることが出来た。自炊に無頓着なロフティもどうやら美味しいご飯には目がないようで、テーブルに広がる数々の料理を率先してを全員に取り分けながら幸せそうに頬張っていた。
――やっぱり誰かとご飯を食べると幸せだなあ。
実家のハウス・ロビンから出て独り暮らしを始めた弥彦はそう嬉しく思うのだった。
「ここはあたしが払うから――いえ、払わせて!」
年長者だし、いろんな話を聞かせてもらったし、体の気を使ってくれてたし……などなどロフティは早口で言いくるめた。余りにも決意が固く、大きく腕を振りながら必死に訴えるので、弥彦とフォイエルバは顔を見合わせ、そのご厚意に甘えることとなった。
先にフォイエルバがバスに乗り帰宅していく。それを見送った時、ロフティはまた鼻をすすった。
「もしかして、泣いてますか?」
驚いて思わず尋ねると。
「な、泣いてないわよ!」
「ごめんさないー!」
こっち向くんじゃない、と背中を叩かれ弥彦は視線を夜空に彷徨わせた。
互いの帰路の分かれ道に着いたところで、ロフティは恥ずかしそうに眼を合わせたり逸らしたりしながら伝えてきた。
「……ありがとう、今日は、よく眠れそうだわ」
「――? ロフティさんも不眠症だったんですか?」
「い、いいえ。そうじゃないけれど……思えばこんなにお腹いっぱいに食べたの久しぶりだったから……。と、とりあえず色々な意味を込めて感謝してるわ! あんたも良く寝るのよ!」
「あ、はい! おやすみなさい、ロフティさん!」
先に歩を進めたロフティの背中に弥彦は言葉を投げる。見送っていると、そんなロフティがまた目を擦るような素振りをしたように見えた。




